日本の活断層/1 中央構造線/上
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「内帯」と「外帯」に地質を大分断/125
日本には大きな災害を引き起こす活火山とともに活断層が数多くある。日本列島で最も長大な大断層帯は、関東から四国まで長さ1000キロメートル以上に及ぶ断層の集合体「中央構造線」である。
中央構造線は今から約1億年前の中生代に誕生した。その当時の日本はアジア大陸の一部であり、太平洋から大陸の縁に沈み込むプレート運動によって、大きな地質境界ができた。
その後、日本列島は大陸から分離し現在のような弧状列島になったが、そのとき中央構造線を境として、日本海側に「内帯」、また太平洋の海溝(現在は南海トラフ)側に「外帯」という岩石地帯に分かれた(図)。
プレート・テクトニクス理論を用いて簡単に説明すると、海のプレートが沈み込んだ結果、内帯ではマグマが発生して大量の花崗(かこう)岩が生まれた。一方、外帯ではプレート運動による「付加体(ふかたい)」の活動で、海と陸で堆積(たいせき)した大量の地層が積み重なっていった(本連載の第63回を参照)。
そして、内帯と外帯の間にあったはずの岩石が、中央構造線の横ずれ断層活動によって失われて、現在では内帯と外帯が中央構造線を境にピッタリ張り付いた地質構造が残ったのだ。よく誤解されるが、中央構造線は過去も現在もプレートの境界ではない。
ナウマンが発見
中央構造線を最初に発見したのは、ドイツ人地質学者のエドムント・ナウマンである。明治政府が招いた優秀なお雇い外国人で、日本全国の地質を調べている最中に西南日本を縦断する大断層、すなわち中央構造線を発見した。彼によって日本列島の構造が明らかになり、同時に行った化石の発掘調査で見つかった「ナウマン象」の由来にもなっている。
ちなみに、中央構造線は関東から四国までは位置が分かっていたが、西の九州ではどこに接続するのかが不明だった。40年ほど前、私の博士論文で「大分─熊本構造線」に連続することを突き止め、1億年前以降に左横ずれ断層運動を行っていた中央構造線が、約600万年前から右横…
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週刊エコノミスト
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