金融リスクを感じない日本 気づいたときは手遅れか 中空麻那
大規模な財政出動と減税措置を発表し、国債が急騰した英国。一方、同じく大規模な経済対策を発表したにもかかわらず、同様の反応は日本ではみられない。
今や街中で体温計がみられる。飲食店などでは体温が37.5度以上ある人の入場を禁止するなど、感染症対策に躍起だ。こうした日常も、体温計が体温を正確に測れるからこそ機能する。
英国のトラス前首相がわずか45日で辞任する事態に追い込まれた。足元の物価高に対しては物価対策を、約束した減税は全て実施を目指し、法人税や富裕層の減税などを履行するとした。しかし、国民受けするこれらの政策も、財源がないままでは達成不能だ。そのため、英国の国債発行が急増すると予見され、金利が急上昇、株価と通貨ポンドも急落するなど、金融市場は冷静な対応をした。
結果、英国年金基金のポートフォリオに評価損が生じ、マージンコール(追加担保の差し入れ要求)が発生。マージンコールを埋めるために、安全資産が売却されることとなり金融市場が大混乱した。
混乱を受けトラス氏は辞任。その後発足したスナク新政権下では、新たな経済対策が提出された。前政権とは異なり物価対策は継続するものの、今度は大増税。450億ポンド(約7.5兆円)の減税から250億ポンド(約4.1兆円)の増税に転換するとは、国民にとっては迷惑としか言いようがない。しかし、金融市場の混乱は、別の言い方をすれば市場が警鐘を鳴らしたということである。
格付け機関にも責任あり
日本はどうか。今のところ、金融市場が混乱していないから安泰か。そうではない。警鐘を鳴らしてくれるはずの金融市場が全く感知しなくなっていることこそ、問題である。体温計は、問題があるときに使えなければ意味がない。なお市場の体温計=自律的な価格調整機能が働くことだ。
日本は政府・日銀が2013年に掲げた物価2%目標を柱とするアコード(政策協定)以降、両者が一体となって金融市場をコントロールしてきた。お陰で市場のボラティリティー(変動率)は低く抑えられたが、物価が3%を達成しても金利は低いまま。欧米の中央銀行などが利上げに走る中、日本だけは知らん顔。日銀が10年債金利(長期金利)を完全にピン留めしたままである。日本国債のリスクなど全く感じない、淡々とした市場動向となっている。
日本は10月末、財源がはっきりしないままに経済対策を決定。その額29兆円、国債発行額は20兆円を超える。だが、英国で見られた反応は日本国債市場には表れない。体温計が壊れた日本で、この経済対策をリスクとみる人は少数派だ。
財政再建は経済あってこそ、と経済を優先する動きは勢いを増している。英国のように性急な利上げが市場の混乱を招くといった意見や、そもそも金利水準が相当違うため、英国を「他山の石」とすること自体が間違っている、との論調になぜか説得力が増しているのも不可思議だ。
格付け機関にも責任がある。債務返済の確からしさが減ったのであれば、格下げで市場にリスクを知らせる必要があるのに、それをしない。英国でも見通しこそネガティブになったものの、格付けは下がらなかったし、日本の格付けも長らく変更されていない。
リスク指標が弛緩(しかん)している日本で、真のリスクに気づいた時には手の施しようがないことにならないだろうか。
(中空麻奈・BNPパリバ証券 チーフクレジットアナリスト)
週刊エコノミスト2022年12月13日号掲載
鳴らないアラート 「経済の体温計」を壊した罪と罰=中空麻奈