週刊エコノミスト Online 日韓関係
日本と韓国で受け止め方にズレ 漢字文化圏同士でありがちな言葉の「行き違い」 澤田克己
「『呼応』って、広辞苑に出てないの?『対応』とは意味が違うでしょ」
韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権で対外政策に関わる高官にこう問い返され、うなってしまった。
ソウルで久しぶりに再会し、日韓の懸案である徴用工問題について話し合っていたときのことだ。尹政権は、徴用工問題の解決には「日本の誠意ある呼応」が必要なのだと強調してきたが、日本メディアでは「呼応」ではなく「対応」と訳されることがある。それを伝えると、冒頭の言葉が返ってきた。共に漢字語を使う国同士、たまに起きるミスコミュニケーションの典型である。
日本にも「一緒に動いてほしい」という思い
この幹部は「日本語への通訳や翻訳で、どうなっているかまでは気にしてなかったなぁ」とぼやきつつ、「『呼応』というのは英語で言うと『エコー』なんだよ」と力説した。韓国側がきちんと対応するから、日本もそれを無視したり、揶揄したりせず、前向きな反応を見せてほしい、という意味だという。
「広辞苑に……」と言われたので、後で辞書を引いてみた。広辞苑では「呼応」の語釈は「一方のものが呼べば相手が応答すること」が一番に挙げられ、次に「互いに気脈を通ずること」となっている。一方で「対応」で三つ示された語釈の筆頭は「互いに向きあうこと。相対する関係にあること」で、3番目に「相手や状況に応じて事をすること」が挙げられている。
広辞苑の語釈は歴史的なものから並べられている。ただ現代日本語での一般的な用法から並べる新明解国語辞典も基本的には同じで、「呼応」では「互いに気脈を通じて、行動を共にすること」という語釈が真っ先に挙げられるが、「対応」では3番目に「状況の変化、それぞれの相手に応じて、それにふさわしい行動をとること」だった。
韓国外務省の実務当局者に聞くと、「『対応』は一方的に何かするというニュアンスで、『呼応』は反応してほしいということだ。一緒に動いてほしいという意味でもある。意識して使い分けている」と話していた。
「呼応」と言い換えるメディアも
ただ、「誠意ある」を付けた場合の日本語としての用例は微妙である。やはり「誠意ある呼応」より、「誠意ある対応」の方が表現としてしっくりくる。「細かなニュアンスの違い」程度に受け止めた場合、翻訳や通訳の際に、より自然な言い回しとして「誠意ある対応」を選択する、という可能性はありそうだ。
当初は「誠意ある対応」と訳していた日本のメディアの中には、途中で「意図的に『呼応』を使っているようだ」と気付いて「誠意ある呼応」と言い換えるようになった社もある。翻訳でニュアンスまで伝えることの難しさを示す事例だろう。
「対応」と聞いて自民党議員が反発
日本の外務省高官に聞いてみると、「呼応」の意図はきちんと伝わっていた。この高官は、韓国内の取り組みに日本が口をはさむのは尹政権の努力に水を差すことになるので控えていると前置きしながら、「韓国側がきちんと対応してくれるなら、ボールをちゃんと打ち返す」と話した。
ただ、「対応」と訳されたことが、日本側の韓国側への不要な反発につながったケースもある。「対応」は、相手に何か要求しているような印象を与えるのだろう。
7月に来日した朴振(パク・ジン)外相が日韓議員連盟の額賀福志郎会長と会談した時のことだ。朴氏が「日本側も誠意あるリアクションをしてもらえればありがたい」と通訳されたようなのだが、これに対して自民党の強硬派議員から「韓国側が具体的な解決策を出す前に『誠意ある対応を』と言うのは言語道断だ」という声が上がったのである。
同じ漢字文化圏でもここまで違う
日本語と韓国語は漢字文化を共有するものの、同じ表現でも意味やニュアンスが異なることは珍しくない。特に注意すべきは、韓国語は漢字語を多用するということだ。一方の日本語は、ひらがなで表記される「やまと言葉」をよく使う。同じ意味でも通常はやまと言葉で表記し、漢字語で書くと強い、もしくはきつい印象になる。
やまと言葉に当たる言葉を韓国語では「固有語」と呼ぶ。日本語がやまと言葉と漢字語の組み合わせであるように、韓国語は固有語と漢字語の組み合わせで成り立っている。ただし韓国語表現における漢字語の比率は、日本語より圧倒的に高い。日本語なら確実にやまと言葉を使うような会話表現でも、韓国語では漢字語がぽんぽんと飛び出すのだ。
感覚的に言うと、韓国語にとっての漢字語は、日本語における漢字語よりずっと身近なものだ。そして漢字であるだけに、そのまま日本語で使っても意味は通じてしまう。そうすると、韓国人は軽い気持ちで使った表現が、日本語にすると強過ぎる印象を与えるという困った事態が起きる。
韓国人が気軽に使う「歪曲」
代表的な例が「歪曲」だろう。韓国語では「ごまかす」程度の意味から使われているので、韓国人はきわめて軽く使う。だが、日本語にするときつい響きになってしまう。しかもこの言葉が、日韓の感情的対立を呼びやすい歴史認識問題におけるキーワードの一つになっているのである。
今回の「呼応」と「対応」のように、「誠意ある」という言葉と組み合わせた時の語感が自然かどうかというのは、さらに難しい問題だ。日本語と韓国語には似ている部分も多いが、やはり外国語なのだ。
日韓関係は両国の国内政治とリンクされてしまっている。外交当局間でニュアンスを含めた意思疎通がなされていたとしても、それだけでは足りない。政治家を含め、特別な背景知識を持たない人にもきちんと届く翻訳が大切だということだろう。改めて認識しておきたいポイントである。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数