週刊エコノミスト Online創刊100年特集~Archives

作家 城山三郎「広田弘毅、浜口雄幸、井上準之助……『私』がない、でも断じてやる、そういう人がいなくなった」(1997年1月7日)

週刊エコノミストは、各界の第一人者にロングインタビューを試みてきました。2004年から「ワイドインタビュー問答有用」、2021年10月からは「情熱人」にバトンタッチして、息長く続けています。過去の記事を読み返してみると、今なお現役で活躍する人も、そして、今は亡き懐かしい人たちも。当時のインタビュー記事から、その名言を振り返ります。


戦後日本の「組織」と「人間」との関係に迫り、経済小説の先駆者とも呼ばれた城山三郎氏(2007年3月死去)。週刊エコノミストの1997年1月7日号、1月14日号に2回にわたって掲載された新春インタビューで、政界、財界、官界に対して苦言を呈した。当時の記事を再掲する。※記事中の事実関係、肩書、年齢等は全て当時のまま

作家・城山三郎氏インタビュー

政・官・財への苦言「いま、してはならないこと」

1997年1月7日

 官僚の不祥事は言うに及ばず、政治も経済も方向感覚を失って、最近の日本はどうみてもおかしい。政・財・官の人物像を扱って独自の境地を確立し、1996年に菊池寛賞(第44回)を受賞した作家、城山三郎(しろやまさぶろう)氏に「この国の現在」を解剖してもらった。聞き手=首藤宣弘(本誌編集長)

◆世紀末◆

―― 政治も経済も行政もすべてが方向感覚を喪失したような、そんな状況だと思うのですが、城山さんは戦前から戦後、高度成長期にかけて、政・財・官のいろいろな人物を書いてこられて、いまの社会をどうご覧になりますか。

城山 平凡な言い方だけれども、やはり世紀末かと‥‥。前世紀末は、文学などを通して知っていましたが、あのころ世紀末といったのはこういう現象を指したのか、つまり世紀末的現象というのはこういうものかということがあります。もうひとつは、ここまできたのかという呆れる気持ちと同時に、そういう予感もしていたということですね。つまり歯止めが全部利かなくなっている、もうどこまで滑り落ちていくかわからないという感じがずっと続いていました。

―― いつごろからなぜこのようなことになったと思われますか。

城山 戦後の何もない時から立ち直る、官僚も経済界もこの貧しい国を何とかしようということでやってきて、大体そのメドがつき始めたころから、前ほどのひたむきさがなくなってきた。まあなんとかこれで動いていくだろうというころですから、何年からと言われると困るのですが、やはり本田(宗一郎・本田技研の創立者)さんの全盛期ですね。

 本田さんは「自分は通産省の言っていることと全部反対のことをやる」「通産省にはひとつも世話になっていない。外国では役所と産業界が一体となって日本は強いのだというけれどもとんでもない。俺は通産省の言うことをひとつも聞かないで、ここまでなったのだ」と言っていました。協調していると同時にお互いに張り合う――日本をなんとかするのだ、ということでは張り合うところが通産にもあったでしょうし、本田さん側にもあったでしょう。

 そのあと石油ショックがありましたが、それも官民力を合わせて乗り越えるという面がまだまだあったと思うんです。で、心配していた石油ショックも日本はとにかくうまく乗り切った、公害問題もある程度クリアした。そういうことになって、一方では気概の向け先がなくなった、みたいなことがあるのでしょう。でもそれ以上に、戦後ずっと続いた、つまり岸(信介元首相)の時代から始まった金権政治ですね。許認可権などいろいろな権利権益をめぐるカネの動きがだんだん強くなって、田中角栄(元首相)で頂点に達した。官僚はエリートで、言うことを聞かなくたって、札束でほっぺたを叩けば言うことを聞くんだというのが角栄の論理ですね。

 たしか田中が大蔵大臣になったとき、幹部に1人50万円ずつ現金を配ったという話を噂で聞いたことがあります。官僚たちはみんなびっくりして、これを受け取っていいかどうか相談したが、みんなでもらえば怖くないというか、突っ返したのではまずいということで受け取ったと。本当に気概があるのだったらそのとき突っ返せばよかったですね。みんなで返せばまた怖くないんですからね。少し官僚もおかしくなってきたのかなと思いましたね。

 そのあと田中派支配が長く続いて、本当に金と権力が結びつく構造ができあがってきた。

 また、日本人が長寿になってきた。ところが官僚たちは50歳ちょっと過ぎぐらいから肩たたきにあって辞めなくちゃいかんけれど、あとどうしてくれるんだということで、その先のことを考えるようになった。天下り先を年々真剣に考えるようになってきて、最近では官僚は仕事をするよりも、天下り先をつくるのが功績になるのだという。最初は冗談かと思っていたけれども、そうじゃないんですね。競って天下り先をつくっている。

 そういうことになってくると、ほんとに官僚って何だろうという時代になってきたのじゃないですかね。

◆チェック◆

―― ミスター通産省とも呼ばれましたが、官僚としての佐橋滋(元通産次官、『官僚たちの夏』のモデル)さんはどんなふうに感じておられますか。

城山 人によってはいろいろ勘繰る人もいるけれども、とにかく争っていたのは政策ですね。国際協調路線でいくか、あるいは自国保護の路線でいくかという、政策での男と男の争いみたいなことがありましたね。ところがその後の争いは、人事をめぐる争いだとかね。

―― 最近の通産省は人事抗争集団なんて言われるぐらいですね。

城山 そうですね。だから『官僚たちの夏』で描いた時代はやはり官僚のひとつのあるべき姿で、佐橋さんが登用するのも、両角(良彦・元通産次官)さんという、彼の考えている方向を外国でよく勉強してきた人です。なにも派閥とかなんとかでなくて、ああいう能力を買いたいということですね。能力とか政策とかで人が動く時代、そういう意味では風通しがよくて、わかりやすかったですね。

―― 大蔵省についてはいかがでしょうか。というのは、『男子の本懐』を書かれた時、私はちょうど新聞の方で大蔵省担当だったのですが、そのころの主計官は国士というか、われわれみたいな駆け出しをつかまえて「なぜ財政再建をやらないといけないか」を熱っぽく説くわけですね。大蔵省もあのへんまではすごいなと見ていたのですが。

城山 僕は主計局次長という人から手紙をもらって――全然知らない人ですが、厚い手紙がきて、「日本はいま大変なことになっているので、自分たちはぜひこういうことをやりたいので」という、ほんとに学生みたいな純粋なというと変ですが、国を思う手紙をもらって、1回会いまして、話をし、ああ、こういう人がいるから日本の転落に歯止めがかかっているのだなということを実感したんです。

 だから僕の大蔵官僚の姿といえば、浜口(雄幸元首相・『男子の本懐』の主人公)さんからその主計局次長の人まで続くような流れだと思っていました。何があるにしろ、我が事以上にまず国のことを心配するのが大蔵官僚だというのがあったですね。

―― もうひとつは、少なくとも戦後は政治家が官僚を使いこなすことが十分保障されていた。にもかかわらず、使いこなしたことがなかったのではないかという気がします。

城山 この前、佐高(信)さんが「政治家は官僚が手足だと思っているから、手足はなかなか切るわけにいかんというようだけれども、手足だけでなくて頭にも官僚が乗っかっている」と言っていましたが、ほんとにそうです。一体政治家は何をやっているのかと言いたくなるぐらい、政治家の不勉強と見識のなさと言いますか、特に野党の政治家は勉強していない。官僚のおんぶに抱っこでやっているだけで、あれでは官僚にナメられるだろうなと実感する政治家が多かったですね。そういう官僚をチェックするものが何もない。民主主義というのはチェック・アンド・バランスの社会なのに、高級官僚については誰もチェックしない。政治家がチェックすべきなのに、そういう体たらくだからチェックするだけの能力を持っていないし、むしろ利口な政治家はそういう官僚と仲良くというか、官僚に乗せられていくことがうまいというか、これはいまに至るまで同じですが、ずっとそういう流れが続いていますね。

 とにかく国民の機嫌は損じてもいいから、官僚の機嫌は損じたくないというのが見え見えです。だから国民に代わって官僚を指揮しているというのではなくて、官僚に代わって国民に代弁をしているという感じの大臣があまりにも多すぎます。何でこんなに自分の役所の官僚に気を使うのか。そういう自信のないというか、全然国民のことを考えていない政治家が大臣になるということのおかしさ、腹立たしさがありますね。

◆「民活」◆

―― もうひとつの戦後を支えた支柱というか、主役に経済界がありますね。政治三流、経済一流と言われてきましたが、バブルのあたりから旧財閥系も含めていろんな不祥事がこっちにも出てきます。戦後の財界人というのはプラスマイナスどのように評価されますか。

城山 時期によってもいろいろですが、本田さん、土光(敏夫・元経団連会長)さんといった人の時代ぐらいまではもちろん活気もあったし、個性もはっきりしていて面白い人が多かったですね。

 それからあと高度成長期に入ってからはそういう人が少なくなっていった。そういう個性などを必要としない、いわゆる調整型の人が主流になってきた。これは日本経済が安定した成長路線に乗ったから、もう右に倣えでいい、下手に変わったことをしないほうがいいのだということがあって、個性などということはあまり考えないで済むような時代になってきたと思ったのでしょうね。だから人事のうまい人、そういう人間関係のうまい人というような人がわりと出世コースに乗っていくようになったのですね。

 これは日本だけでなく、アメリカでも、ずいぶん昔読んだ経営学の本で、もう重役タイプという人は終わりだ――つまり一癖も二癖もあって、いかにも個性的な重役タイプがあったけれども、もうそういう時代は終わって、これから先は隣家の好青年タイプが会社のエグゼクティブになっていくのだ、という本を読んで、おお、そうかと思ったことがあります。そういういわゆる隣家の好青年タイプがどこの企業でも主流に座って、官庁とも銀行とも商社ともうまくやっていける人、角のない人というか、そういう人たちが経営の主流に座っていく時代が続いたのですね。ただ、それでも隣家の好青年だからそれほど悪いことはしないということはありましたね。

 悪いことをするようになったのは、またその時代が終わるころからですね。特にバブルの時代になり、そのあとポストも限られてきたということがあるし、一方では終身雇用制がおかしくなるとか――企業としての一体感が薄れて、それほど労働市場が流動的になったとは思いませんが、実力主義などが言われ出すようになってきて、じっくりここに腰を落ち着けて自分でやれるだけのことをやってみようというタイプが前ほどはいなくなってきたということですね。それが何かの機会に特別な利益があるとかいうことがあると、おかしくなっていくのでしょうね。

 日本の場合、昔は官僚もそうだし、経済人もそうですが、渋沢(栄一)さんの「片手にソロバン片手に論語」を出すまでもなく、やはり金儲けだけではいかんということがあった。五島昇(元日商会頭)さんもよく言っていましたが、「世の中のためになって金儲けをしてこそ経営と言える」と言うんです。「金儲けだけするのは経営ではないのだ、世の中の役に立っているという前提があって儲けるのが経営なんだ」ということを言っていましたが、それがそのころからその前半がなくなってしまって、とにかく金さえ儲ければいいのだという形になっていく。

 金儲けはいいことだというのは、たとえば「民活」というような言葉――「民活」という言葉を悪く受け取って、それが悪い刺激になって、とにかく儲け至上主義も出てくる。そのへんから自分自身が儲けることについての後ろめたさがなくなっていったのではないか、ということですね。

―― 『毎日新聞』で連載していただいた『もう君には頼まない』――石坂(泰三・元経団連会長)さんを取り上げたあの時期は、その欠落していったものに焦点をあてられたということでしょうか。

城山 そうですね。つまり、いま気概ということで言いましたが、やはり志――世の中の役に立ってというのも志ですが、そこには志がまず初めにあるんですね。そういうものを全然持たない層が増えてくればもう金儲けしかない。

 その本にも書きましたが、渋谷界隈は東急のホームグラウンドで、いろいろなものがあった。デパートもそうなんですが、そこへ西武デパートが出るというとき、石坂さんは東急の社外重役だから普通は反対とか、賛成しないのだろうけれども、西武のほうが石坂さんにまず頼みにいったら、「ああ、それは競争が増えるのだから、いいことだよ」と、経営の王道からいったら自由競争で競争が激しいほど消費者にとっていいのだ、それで鍛えられていくのが企業だという一種の王道を説く生き方があった。そして、そのとおりにいかないと、金屏風で、本当は後ろに控えている社外重役なのに、拳骨で後ろから殴られると‥‥。

―― 「拳骨付きの金屏風」という‥‥。

城山 ああいう「拳骨付きの」というのがなくなったんですね。金屏風はまだあるかもしれないけれども、「拳骨付きの」というのがなくなると、ワサビのないなんとかみたいで、やっぱりおかしくなるんですね。

 いまの日本のシステムからいくと、企業のトップになってしまえば何も怖いものはない。外国の会社は社外重役のほうが多くて、言いたいことを言うし、株主のほうが力が強いし、それを代表する会長というのがいて、社長に対していろいろチェックする。社長に対するチェック機能が社の内外にあるのに、日本では社外重役は全部利害を同じくする中から頼んで、名前だけの社外重役になってしまうし、株主に対してはいいかげんなことしかしないし、取締役会は決議機関というよりも承認機関だというんですね。その前の常務会の段階で決めてしまったものをシャンシャンシャンと通すだけ。日本ほど社長の権限が強大なところはないでしょう。だからここでもチェック・アンド・バランスは消えてしまっている。

◆トップ◆

―― 城山さんの小説に登場するような、気概と愚直なまでに責任感のある人物、そういう人がだんだん出なくなった。なぜでしょうか。

城山 たとえば名鉄という、名古屋を中心にした大きな私鉄がありますが、そこに土川(元夫)さんという、京都大学を出た人が就職した。当時は同族会社だったから上のほうは全部そういう人に占められていて出番がなくて、無聊をかこっていたというんです。それが終戦を境に、空襲で電車は焼かれるし、線路もあちこちズタズタになってしまうし、組合は強くなるし、ということで、経営陣がすっかり自信を失って、「もう俺たちはダメだから、君やってくれよ」ということで土川さんが起用された。

 それで彼によって名鉄は様変わりして甦るし、おそらく日本の企業で最初で最大の社会貢献をやった。明治村とモンキーセンターをつくったことです。フィランスロピーとかなんとかいうはるか前に、一つの企業であれだけのことをやった。しかも営利本位でなく本当に文化活動をやったのは、土川さんがいたからです。難しくなってくればそういう人に頼まざるをえない。

 だから力のある人はこれからが出番だ。いままでは人間関係をうまくやるだけで力も何もない人がトップになったのだけれど、これからは力のある人をトップにしないと、もう会社はやっていけないという時代に入っていくと思います。

◆無私◆

―― 政界、財界、官界とそれぞれの分野でいま求められる人物像は。政治家としてはどういう人がこの時代を乗り切っていけると思いますか‥‥。

城山 現代の人はよく知りませんが、やはり自分が書いた人がタイプですから、広田弘毅(元首相)、浜口雄幸(元首相)、井上準之助(元蔵相)というような人たち、つまり自分の命を捧げて志に殉ずるという人たちですね。ある意味で全く私がない人たちで、しかも断じてやるという人たちですね。

 戦後でもつい最近まで三賢人というのがいたんですね。椎名悦三郎(元外相)、前尾繁三郎(元衆院議長)、灘尾弘吉(元衆院議長)さんという、三人とも性格は違いますけれども、私がないという点では共通していますし、金銭にきれいだという点もね。しかも人がついていく。ついていく人も偉かったですが、おカネでなくて、そういう人間の魅力によって人が集まって‥‥。派閥というと、普通はみんなおカネや、自分が権力を欲しくて、ということですが、そうでなくて、指導者の人間的魅力とか志の持ち方に共鳴してということで成り立った時代があった。そういう時代がどこへいってしまったのか‥‥。

―― 財界人ではやはり渋沢栄一さんみたいな人‥‥。

城山 渋沢さんもそうですし、前回言った五島昇(元日商会頭)さんあたりも、ですね。もちろん石坂泰三(元経団連会長)さんもそうです。財界人では、官界に遠慮しないというか、『もう君には頼まない』の石坂さんのように、大蔵大臣に向かって「もう君には頼まんぞ」というようなことを言える、そういう啖呵の切れるような人はいなくなりましたね。

 それにはいろいろ理由があります。とにかく許認可がめちゃくちゃ多くなって、官僚の機嫌を損じたらどうなるかわからないとかいうこともあるでしょうし、官僚とのあいだで天下りとか、いろんなものを通して親戚みたいになってしまった、癒というよりも組み込まれてしまったようなところがあって、やむをえない面もあるんですね。

 たとえば東芝がココム違反で問題にされましたが、あの前の段階で通産省が東芝に社長を押しつけたらしいですね。それを東芝が「うちは天下りはいらない」といって断った。一種その報復みたいにこの問題をやったのだということを最近聞きましたが、そうなると、天下りを断ることさえも会社を脅かす――一種のゆすりですね。そういうことをやるということになってくると、やはり官僚にはタテ突けないということで、財界人もだんだん小粒にならざるをえない、事なかれ主義にならざるをえない。それが悪循環みたいに悪いほうへ悪いほうへと進む、ということですね。

―― いまそこらへんをなんとか改革しようということで、橋本首相以下、行革の旗印をかかげていますが‥‥。

城山 本当に行革をやるのだったら、今度つくったのは私的な調査会ですか、そこに官僚の古手は一切入れてはいかんし、大臣なども、本当に行革のやれる人を選ばなければいけない。それには官僚出身とか、官僚に近く、親しい政治家とか、そういうのは避けるべきです。『毎日』の社説にあった大蔵大臣を民間人から出せというのもひとつですね。全く違う角度から役所を指揮できる人、しかも経済のわかる人ですね。官僚を引きずっていけるぐらいの見識を持っているような経済人なり部外者を大臣にするぐらいのことがあれば、ああ、本当にやる気があるのだなということになりますよね。

 前の臨調のときも、事務局には相当官僚のOBが入って、メンバーの中にも官僚と気脈を通じる有力な委員などがいて、あの土光敏夫(元経団連会長)さんが「君は一体味方なのか敵なのか」と怒鳴りつけたという話があるぐらいです。やはりメンバーを選ぶ段階から、ああ、今度は本当にやる気があるのだと国民に言わせるぐらいの選び方をしないと、ああ、お茶を濁すだけだな、ということになってしまいますね。

◆楽園◆

―― 過去においては戦前からずっと失敗していますからね。もうひとつ、これは率直な質問なんですが、城山さんご自身は、21世紀の日本の将来は明るいと見ておられますか、それとも悲観的にとらえていますか。

城山 真っ暗だとは思わないです。色にたとえれば灰色というか、それでどこかにオレンジ色が残っているというような感じじゃないかと思うんです。なぜかというと、いまの政官の癒とか、いろいろなことで暗いのですが、たとえばフランシス・フクヤマさんの『歴史の終わり』という本が出てからまだ数年ですね。エズラ・ボーゲルさんの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出てからもまだ十数年ですかね。そういうふうに評価されるものが日本にはあった。それが全部消えてしまったわけではないと思います。勤勉さとか、チームワークのうまさとか、凝り性なところとかですね。

 昔のことですが、アメリカ軍のパイロットから聞いたのですが、「日本人が整備してくれると安心だ」というんです。何でかと聞いたら、「アメリカだとマニュアルで、ここからここまでは誤差5%以内にとか、ここは3%以内というと、もうそこでやめてしまう。日本人の整備士に頼むと、それをゼロにしようと思って一生懸命やってくれる。だから日本人に頼むと安心だ」と。そういうものはまだ残っていると思うのです。

 ボーゲルさんもそういうものを買っているし、フランシス・フクヤマさんも、これから先日本の時代がくると言っているんです。

 彼に言わせると、人間は優越本能、つまり人に勝ちたいという本能と、平等でありたいという願望と、ちょっと矛盾していますが、その両方があって動いてきている、というんです。だからそのために戦争をやったりする。その両方の願望をうまく満たせる社会がいちばんいい。

 そうすると、民主主義で自由競争の社会は、自由競争だから人と競争して勝つ負けるということが起こるし、民主主義だから平等だ。両方とも実現できる。そこから先どうするかというと、競争は残るけれども、人を傷つけないような競争の仕方に洗練されていくのがいちばんいい、それは日本人がやっている、というんです。

 日本人の生き方を見ていると、たとえば俳句や短歌は、自己満足し、俺が他人よりうまく作ったといったって、それで誰かを蹴落とすわけではない。だから日本人のやっている競争の仕方は、踊りにしても、能にしても、人を傷つけないで、しかも優越願望が満たされる生き方をしている、だから日本がいちばん未来社会に向かって動いている、というとらえ方をしている。そのへんのことは今も変わっていないと思うのです。

 それに、ちょっと異色ですが、詩人の田村隆一さんの本によると、みんな悲観的だけれども自分はそうでもないのだという。とにかく日本には民族の対立、宗教の対立、言語の対立という、血を流すようなものがない、これは非常に大きなことだ、と言っているんです。いま日本は昔と違っていろいろな民族が入ってきたりしますが、根本的に血で血を洗うような対立は何もないですね。1億を超す人口で、しかもそういう対立のない国はきわめて少ない。そういう強さもある。

 悲観論を言いだせばきりがないです。たとえばこの前、人口推計が出て、21世紀の終わりに日本は6000万人になってしまって、扶養する能力があるかどうかといいますが、私は昔から、この狭い土地に1億人は多過ぎる、日本人が自立というか、外国に無理にモノを売らなくても食っていけるような規模に小さくなったほうがいいと思っていますから、人口が少なくなることは決して悪いことではない。家の数も半分くらいで済むわけだから、住宅難も通勤難もなくなっていく。ほかにいいことも出てくるので、そういう見方をしていけば何も騒ぐことはない。

 日本は気候に恵まれていて、こんなに山紫水明のところはありませんし、山や海や湖とかいろいろあって、自然も繊細だし、歴史もあるし、美の感覚もある。終戦後、アメリカ人がいい生活をしているのでうらやましいと思って、ちょっとアメリカ人の将校に話したら、「いや、日本ほどいいところはない」というんです。そのころですから日本人はまだあまりカネがない。「アメリカ人の給料をもらって日本で暮らすのが人間の理想だ」というんです。いま日本はベースからいったらアメリカを超すような給与になっているわけでしょう。そして日本人の生活が残っているのだから、そういう意味では本当に地上の楽園に暮らしているみたいなんですね。

◆無駄◆

城山 それを失わないようにするには、やはりいまの財政危機を早く片づけないと、アメリカ人並みの所得があるということもなくなりますから、打つべき手はどんどん打たなくちゃいかんということなのじゃないでしょうか。

 たとえばニュージーランドが行革に成功したのなら、ニュージーランドから行革の手法を学ぶ。アメリカは公務員に対してすごく厳しい立法があって、2000円以上のものをもらったら処罰されるが、それもまたアメリカから学んでやる。もういまは国際化の時代だから、他の国のいいことは何でもどんどん取り入れてやっていく。

 日本人はよその国のものを持ってきてうまくするというのは得意なのだから、向こうの国でやっていることを、モノを作ることだけでなく、政策面でもそういうものをどんどんやっていけばいいのではないか。

 ところが、現実はそうじゃなくて、無駄なことばかりやっていますね。なんとかのホールを造ったり、すごい庁舎を造ったり。いまの世の中をおかしくしているひとつは、原理原則といいますか、基本的なこと、つまり官庁は何をやるべきか――アダム・スミス以来、官がやる仕事は、民がやれないことをやれ、というのが経済学のABCですね。そうしたら、ゴミの処理、治安、国防、これは民ではやれない。官はそれをやればいい。それをめちゃくちゃ贅沢な庁舎を造っておいて、ゴミの収集は、やるにはやっているけれども、税金で取っている中からでなくて、別にカネを取ってやる、あるいは分別を強要するとか、役所のやるべきことにまともに取り組まない、冗談じゃないよ、ということがありますね。

 そういう原理原則を全く知らない連中が政治をやる。だから地方分権なんてうっかりやられると、どうなることかわかりませんね。そういう人がもっと権力をよこせなどといったら日本中めちゃくちゃになってしまう。

◆ナポレオン◆

―― 最後にお聞きしたいのですが、ナポレオンのことをいろいろ調べておられるそうですが‥‥。

城山 ナポレオンのことをちょっと書きましたが、これはむしろ僕の個人的な問題があって、あの人は自由平等ということをうたって成功したというか、大きくなったのだけれども、今度は自分が皇帝になってしまって、全く逆のことをやっていくわけでしょう。指導者がそのように豹変というのか、まあ、大義の問題ですね、国の大義をそう軽々と変えていいのか、あの男は本気では何を考えていたのか――僕は戦争中、そういう意味で大義がクルッと変えられたから、大義を簡単に取り換える男の感覚みたいなものを知りたいと、そういうことから入っていったのです。

―― まだ取り上げられておられない人物で、将来この人は書いてみたいというのはありますか。

城山 ナポレオンのときもそうだったのですが、神戸に鈴木商店というのがあって、あれは小僧さんが一人しかいない砂糖屋さんだったのが、傘下に60社をかかえる世界最大の総合商社になって、帝人、神戸製鋼、日商岩井などをはじめとする企業をつくる。おそらく世界の経営史上にない急成長だと思います。それが昭和2年(1927)に倒れて消えてしまうというのですが、それをやり遂げた大番頭の金子直吉というのが、自分のやることがどんどん成功していくんですね。

 成功していった理由はいろいろありますが、成功していく過程で、「初夢や太閤秀吉ナポレオン」という俳句を作る。いいかげんな俳句ですが、それぐらい彼の事業はもう世界に並ぶもののない成長をした。

 ナポレオンも確かにそうなんですね。彼も、フランス人じゃないわけですからね。イタリアから行ったわけですから、フランス語もよくできなくて、みんなにいじめられ、貧しい‥‥というのがフランスの皇帝になってしまうわけでしょう。そしてまたあっ気なくつぶされていく。あれもまた世界の政治史上にない空前の成長と空前の破綻でしょう。なぜそういう空前の成長と空前の破綻が起きるのかということで、鈴木商店を調べて非常に面白かったものですから、ナポレオンについてはどうだろう、空前の人間的な成長と破綻の秘密は何だったろうということを僕なりに調べてみようと思ってやったのです。

 それはまだあとを引っ張ってまして、ナポレオンと戦って、ナポレオンを打ち倒したウェリントンですね。彼は貴族の出で、ナポレオンとは性格的にも対照的なタイプですが、それがナポレオンを破るわけだから、そのウェリントンと比べてみて‥‥2人は同じ年生まれなんです。その対照が面白いからね。その2人のことを対照して書いた本が向こうにありますから、それをまず翻訳し、それに加えてウェリントンを少し調べてみたいと思っています。

 大体ずっとこれまでやってきているのは、中山素平(元日本興業銀行頭取)という人です。日本興業銀行もいまちょっと問題がありますが、あの人は非常に気概のある最後の経営者だと思うのです。非常に高齢ですけどお元気で、それでわりに淡泊な人ですね。卑しくない人です。僕の好きなのは、生き生きしていて、絶えずあるべき姿を求めている、そして卑しくない。各界を通してそういう人が僕は好きなんです。中山さんはそういう意味では生き生きして、いまだに非常に好奇心旺盛だし、非常に早く頭取も会長も辞めましたし、身の引き方もきれいだし、絶えず日本の行き先を心配している。

 この前、藤沢周平さんと――あの人の最近の傑作は『三屋清左衛門残日録』という小説だと思いますが――「今の時代の三屋清左衛門は誰だろう」といったら、異口同音に「中山さんだ」ということになった。つまり天下の御意見番みたいなところがあるんですね。

 権力を持っているわけじゃない。けれども、見識をもち、いざとなれば力を発揮するというか、国の大事になったらやるという人で、平生は非常に淡泊な、淡々とした暮らし方をしている。飄々としているといいますか、明るい屈託のない人だし、本当に人一倍国のことも憂えている人だし、ということで、いまは中山さんのことを書いているということです。

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