経済・企業

「今こそ会計士の底力を発揮する時。だから私は再審請求に踏み切った」細野祐二・会計評論家

 害虫駆除ベンチャーの粉飾決算に加担共謀したとして、逮捕・起訴され、2010年に有罪が確定した元公認会計士の細野祐二氏(69)が12年後に再審請求した理由──。それは会計のプロとしての矜持と、人類の英知ともいえる複式簿記を「えん罪」のまま歴史に残せないという執念だ。

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 2020年5月の連休中、たまたま立ち寄った書店で目にした経済刑法の本(山口厚編著『経済刑法』2012年11月30日商事法務刊209~210ページ)にキャッツ粉飾決算事件が「粉飾決算」の共謀事件として解説されているのを見て、私は驚愕(きょうがく)した。この事件は、現行刑事司法により有価証券報告書の虚偽記載事件として確定しているものの、問題とされたキャッツの02年度財務諸表に対しては有価証券報告書の訂正報告書は出ておらず、これが適正なものであることは会計的に確定しているからだ。会計的に適正な財務諸表を粉飾とする原審判決は間違っている。この判決を歴史の中に確定させてはならない。これまでにない強い危機感から昨年末、無罪を主張し、東京地裁に再審請求をした。

 害虫駆除会社キャッツの粉飾決算に加担共謀したとして、元公認会計士の細野祐二氏(69)に1審、2審とも有罪判決が下った。2010年5月、最高裁が上告棄却し有罪が確定していた。

監査をしない会計士

 最高裁で上告を棄却されてからは、再審請求するつもりなど毛頭なかった。04年の逮捕・起訴から1審、最高裁への上告・棄却まで、6年余りの時間を費やし、裁判費用は4000万円を超えた。多くの被告人が、無実にもかかわらず検察の言うままに調書にサインしてしまうのは、自白調書に署名しなければ生活が成り立たないという現実があるからだ。執行猶予をとって早く社会復帰しなければ、本人も家族も生きていけない。

 粉飾決算はおろか、経済事件で再審が認められたケースは戦前戦後にかかわらず日本の刑事司法史上、1件もない。最近、殺人罪などで有罪になった被告がDNA鑑定などで再審無罪となる事例が出てきているが、経済事件にはそもそも物証がない。理論上、再審請求は不可能だと裁判後に思い知らされた。

 私が最高裁まで争ったのは、常に適正な決算を指導し、キャッツの決算は適正だったという強い自負があったからだ。適正な決算を粉飾と誤認する判決は、人類の英知である企業会計原則の否定にほかならず、これを国家の判例としてはならないと、私は命がけで闘った。

 再審請求を強く後押ししたもう一つの要因は20年3月、刑法学者の松宮孝明・立命館大学教授との出会いだった。松宮氏は「会計基準にのっとって決算が組まれているという鑑定意見が出れば、明白な新証拠となり、再審事由となる」と力強く助言してくれた。21年5月、弁護人を弘中惇一郎弁護士に依頼し、会計処理について適正意見書を専門家からもらって新証拠として提出した。

「キャッツ事件」はその後の、会計士業界に大きな負の遺産となった。正しい決算、コーポレートガバナンス(企業統治)など上場企業の品質を保証する資本市場のインフラとして、また、経済を活性化させるベンチャー企業の育成を担う会計士本来の役割が放棄されているからだ。

「担当会計士が粉飾を指南したと、クライアント企業の経営陣に口裏を合わされたら、会計士はひとたまりもない」といった現役会計士の戸惑いや推定有罪で、連日取り調べが進み調書にサインを迫られる……。私が著書『公認会計士vs特捜検察』で生々しく描写したのも影響したかもしれない。

 でも、すべて事実だ。キャッツ事件後、公認会計士は社会が会計士に期待する本来の監査業務をしていない。莫大(ばくだい)な監査報酬だけをもらって黙ってハンコを押す企業の「寄生虫」に成り下がっているように思う。

 公認会計士には、財務諸表に対する意見表明(批判)、会計処理の指導、実務に基づいた会計基準作りという三つの役割がある。しかし「キャッツ事件」をきっかけに、できることは意見表明だけとなり、適正な財務諸表作成のための指導助言ができなくなった。

 キャッツは害虫駆除ベンチャーとして、魅力的な会社だった。当時、無料検査と称してシロアリを床下にばらまいて顧客をだます不良業者が多い中で、キャッツは顧客に5年間の無料サービス保証を付けるという画期的な営業戦略をとった。また、徹底した成果主義・人事で、業績を急拡大させていた。しかし、急成長に内部管理体制が追い付かず、会計に至っては零細企業のレベルだった。

 店頭公開を目指すベンチャー企業として、私が担当するようになったのは1990年から。提携先探しや資金調達方法など、同世代の経営陣と一緒に必死でキャッツをサポートした。90年代前半のバブル崩壊後に、経営危機に陥ったこともあったが、私が資金繰りに奔走して、どうにか危機を脱出。その後、順調に業績を伸ばして、95年に店頭公開を果たした。

指導的機能の重要性

 再審請求を引き受けてもらった弘中弁護士は、「弁護士は、やりがいのある仕事を受任した段階で、既に弁護士として報われている」と言う。弘中先生に倣えば、「私はやりがいのある仕事を受任した段階で、既に公認会計士として報われていた」となる。私が上場を手がけた8社はすべて何ものにも代えがたい、会計士としてやりがいのある仕事だった。

 私は有罪確定後、土日はもちろん、クリスマスも正月も自分のボロ事務所で仕事をした。自宅に一人閉じ籠もっていると、「なんで無実の私を特捜検察は狙い撃ちしたのか……」などと不毛なことを考え、発狂しそうになるからだ。

 そして、驚いたのは土日であろうが、大みそかであろうが、事務所に相談の電話がかかってくる多さ。社会には刑事事件や経営問題で苦しんでいる人がたくさんいて、彼らには土日や正月など関係がない。むしろ相談する人がいない休日ほど孤独にさいなまれ、苦悩は深まる。事件で否定された公認会計士の指導的機能こそ、社会が求めているのだと痛感した。

 経営が不安定な会社ほど、質の高い監査が必要だ。監査の意義も高くなる。リスクが高いからと、大手が監査契約を解除するのは、プロとしての責任回避だ。大手が断れば中小や個人の公認会計士が監査を行わざるを得ず、監査の質が落ちる。その結果、不正の防止は難しくなり、それが発覚するとさらに企業会計に対する投資家や消費者の不信が強まるという悪循環に陥る。

 会計士の持つ知識、技能、そして経験は民間企業のみならず、政府や地方自治体まで幅広く組織経営や運営の改善でその効力を発揮することができる。世間はもっと「会計のプロ」を使いこなすべきだ。会計士には企業や政府、自治体、もっと広く社会をよくする底力があると私は信じている。だからこそ、日本人と日本社会のために、キャッツ事件を粉飾決算事件として歴史に残してはいけない。

(細野祐二・会計評論家)

(構成=浜條元保・編集部)


キャッツ事件

 2000年ごろから仕手筋にキャッツ株式の買い占めを巡り、有価証券報告書の虚偽記載があったとして東京地検特捜部が摘発したもの。大友裕隆社長(当時)が02年2月、キャッツ株を買い戻すため同社から60億円を借り受けたが、それを①02年6月中間決算の貸借対照表で「預け金」と記載、②大友氏が買い戻したキャッツ株を基にポイントカード運営会社「ファースト・マイル」を買収したが、同社株の取得原価が6.5億円にもかかわらず、02年12月期の貸借対照表に60億円と過大計上した──ことで有価証券報告書の虚偽記載の罪に問われた。

 一連の裁判では、会計基準における会計処理の妥当性は一切争点にならず、当時の経営陣が検察に「細野氏に粉飾決算を指導された」と供述したことで、有罪が確定した。

(編集部)


 ■人物略歴

ほその・ゆうじ

 1953年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。82年3月、公認会計士登録。78年からKPMG日本およびロンドンで会計監査とコンサルタント業務に従事。2004年3月、キャッツ有価証券報告書虚偽記載事件で逮捕・起訴。10年、最高裁で上告棄却。懲役2年、執行猶予4年の刑が確定。公認会計士登録抹消。著書に『法廷会計学vs粉飾決算』など。


週刊エコノミスト2023年2月21日号掲載

税理士・会計士 元公認会計士の叫び 細野祐二 会計評論家

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