教養・歴史アートな時間

節度の保たれたリメイクだ。主人公が観客のそばにいる 芝山幹郎

©Number 9 Films Living Limited
©Number 9 Films Living Limited

映画 生きる LIVING

 ミスター・ウィリアムズ(ビル・ナイ)が〈ラウアン・トゥリーの歌〉を口ずさむ場面が、映画に2度出てくる。

 ミスター・ウィリアムズとは「生きる LIVING」の主人公だ。ラウアン・トゥリーとはナナカマドの木を指す。昔のスコットランド民謡で、古語が多用されている。聞き取るのはけっこう大変だが、《夏に白い花が咲き、秋に赤い実がなる》という部分や《その木を見ると、亡くなった旧友が心に蘇(よみがえ)る》という箇所は、ビル・ナイの歌声と姿によく似合っていた。

「生きる LIVING」は、黒澤明の名作「生きる」(1952年)のリメイクである。話はみなさんご存じだろう。責任をひたすら回避しつづけ、無難な人生だけを心がけてきた市役所の課長(志村喬)が、末期癌(がん)で余命いくばくもないことを悟り、生きていた証を残そうとする。彼がブランコに揺られて低い声で歌った〈ゴンドラの唄〉を思い出さない人はいないはずだ。

 その歌を、あるいは類似の曲を脚本のカズオ・イシグロは慎重に避けた。賢明な判断だ。この感性が、「生きる LIVING」に節度をもたらした。

 主な舞台は1953年のロンドンだ。ウィリアムズは、イギリス南東部のイーシャーからロンドンのウォータールー駅まで毎朝同じ列車に乗り、市役所へ通勤している。課長を務める市民課のデスクには、彼の無気力を映して未決書類が山積する。

 その後の展開も、「生きる」を忠実になぞる。癌を宣告されて海辺の保養地でささやかな遊蕩(ゆうとう)にふけり、役所を…

残り683文字(全文1333文字)

週刊エコノミスト

週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。

・会員限定の有料記事が読み放題
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で過去8号分のバックナンバーが読める

通常価格 月額2,040円(税込)

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

6月6日号

上がる金&揺らぐドル 史上最高値への地殻変動16 米実質金利との逆相関 崩れた背景に中銀の買い ■村田 晋一郎/谷道 健太19 これで分かった! 「金」の基礎知識 Q&A ■池水 雄一 徹底展望 2023年末 金価格の見通し22 2300ドル 非民主的国家が買い増し 西側への不信で分断拡大 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事