経済・企業

「植田日銀」が17年ぶりに取り組む金融引き締めの険しさ 守山啓輔

日銀の新総裁に就任する植田和男氏
日銀の新総裁に就任する植田和男氏

「ドラスチックな変化はなさそうだ」という見方は表面的に過ぎると、筆者は指摘する。新総裁の言動からその本質に迫る。

対岸の火事でない米国銀行の破綻

 3月10日、植田和男氏を日銀総裁に起用する人事案が国会の同意を得た。金融市場では当初、植田氏の下で「金融政策の正常化(正常化)」が早期に進むとの思惑が広がったが、衆参両院での所信聴取で、正常化プロセスは急ぐべきではないとの持論が認識された。しかし、これをもって「どうやらドラスチックな変化はなさそうだ」と見るのは表面的に過ぎるだろう。むしろ、正常化は進むと見るべきだ。

 植田氏の本領は、①金融市場への理解、②データとロジックに基づく政策判断、③コミュニケーションを重視する姿勢──の3点にあり、市場はこれらを確認し、安堵したと見ている。

判断基準はリスクとコスト

 植田氏の審議委員時代の発言を掘り起こすと、政策判断の根拠にリスクとコストという基準があることに気付く。2000年8月にゼロ金利解除を行った際、植田審議委員(当時)は解除に反対票を投じたが、その理由に「そのように待つこと(筆者注:ゼロ金利解除を行わないこと)のコストが足元のインフレ動向から判断して、それほど大きくないのではないかと思われること」を挙げた。これは、植田氏が金融市場(同:当時の議論は株式市場を意識)を理解し、解除に踏み切るリスクと待つコストをデータとロジックに基づいて比較し、判断したことを表している。

 植田氏には、日銀の金融政策を正常化へ向け、何とか軟着陸させることが求められるが、その道のりは険しいと言わざるを得ない。

 市場では、植田日銀がイールドカーブ・コントロール(長短金利操作、YCC)、マイナス金利、政府・日本銀行の政策連携(アコード)などをいつ転換するかに関心が集まっている。しかし、正常化を模索する上では、①金融政策は何ができて何ができないかを整理し、②その上で日本の潜在成長率をいかに高めるかが重要だ。

 その意味ではアコードのうち、成長戦略への取り組みが進まなかった点をどう総括するかに焦点を当てるべきだ。アコードには、①革新的研究開発への集中投入、②イノベーション基盤の強化、③大胆な規制・制度改革、④税制の活用など、潜在成長率を高めるための取り組みが言及されており、その価値は今も失われていない。

 成長戦略への取り組みが進まなかった理由を浮き彫りにしつつ、YCCをはじめ複雑化した政策を解きほぐすことこそが、植田日銀が直面する困難さの本質である。

 なお、植田氏が衆議院での所信聴取で「今後どのようにしていくかは大問題だ」と指摘した上場投資信託(ETF)の扱いは上記政策とはトーンが異なる。市場に影響を与えない移管などの出口策を示すなど、異なる時間軸で取り組む必要がある。

 日本で最後に金融引き締めが行われたのは、17年も前の06年3月(量的緩和の解除)、その前が00年8月(ゼロ金利の解除)だ。私たちがこれから経験する正常化は、多くの人には「初めての大事件」だ。過去2回の金融引き締め局面に何が起きたかを振り返りつつ、①景気、②企業、③政治の三つの切り口からリスクと課題を考えたい。

 第一の「景気」は、正常化に耐えられるほど国内景気の足腰は十分に強いかである。振り返れば、00年8月の引き締めはITバブル崩壊が予感されるタイミングで、日銀はその後の景気悪化と消費者物価の下落を受けて7カ月後の01年3月に量的緩和政策の採用に追い込まれた。06年3月の引き締め時も企業の資金需要は強くなく、銀行の貸し出しや利ざや改善ペースが鈍かったように、タイミングが適切だったとは言い難い(図)。国内景気は今回も必ずしも強いとはいえず、正常化に耐えられるかは十分な分析が必要である。

 一方、米国の急速な金融引き締めで内外金利差が拡大して円安が進んだことを受け、日本も正常化を急ぐべきという議論が持ち上がった。しかし、米国では今年後半の物価下落が見え始めたとの見方があり、そうなれば逆に日本が正常化のタイミングを逸する可能性がある。米国消費者物価指数(CPI)は3割強のウエートを占める家賃などの住居費が強い伸びを示していることから、インフレの再燃が懸念されているが、CPIの家賃は継続契約分であり、新規契約の家賃が22年夏にピークアウトしている点はまだCPIには表れていない。FRB(米連邦準備制度理事会)もこれを認識しており、今年1月のFOMC(米連邦公開市場委員会)議事要旨で「新規契約分の家賃が小幅な増加、もしくは潜在的な下落傾向にある点を反映して、住居費のインフレは今年後半には落ち始める可能性」が指摘されている。

悲観主義を克服する

 第二の「企業」は、慎重過ぎる投資行動、すなわち、元日本銀行理事の早川英男氏が説く「学習された悲観主義」からの脱却である。「学習された悲観主義」とは、エレクトロニクス業界の大規模投資の失敗や1997年の金融危機から08年のリーマン・ショックまでたびたび繰り返された金融不安を踏まえ、多くの企業が投資行動を萎縮させたことを指し、デフレマインドを長期化させた一因ともいえる。企業がアニマルスピリットを取り戻せるかは日本経済の重要な課題である。

 他方、銀行は債券ポートフォリオの評価損拡大に加え、正常化に伴う資金調達コスト上昇でマイナス影響を受ける可能性がある。理由は、①調達サイドの金利更改期間(デュレーション)が運用サイドに比べて短いため、調達金利上昇の影響が運用金利上昇の影響よりも先に出ること、②プライムレート(最優遇貸出金利)ベースの貸出金利の引き上げが(マイナス金利導入時は引き下げられなかったため)見込めないことである。特に、調達方法が預金頼みで多様化していない銀行は、調達金利が運用金利より先に上昇すればALM(資産・負債の総合管理)の不安定化要因となる。

銀行はコア預金に留意

 3月10日に経営破綻した米国のシリコンバレーバンク(SVB)は邦銀にとり対岸の火事とはいい切れない。破綻の引き金は急激な預金流出だが、その原因は同行ALM体制の不備にあった。邦銀、特に地域金融機関は、これまでは粘着性の高い調達手段とされていた流動性預金(コア預金)の在り方を再考する機会となるだろう。

 第三の「政治」は、①政府が金融政策依存から脱却できるかに加え、②正常化で中小企業や地域経済の再生策も見直しを迫られる。今後、地域経済は正常化でデフレ影響を受ける地域と、製造業のサプライチェーン見直しの恩恵からインフレ影響を受ける地域に二分されるのは避けられず、従来とは異なる再生策が必要だ。なお政治日程との関係では、6月の通常国会閉会後に内閣改造や解散総選挙が俎上(そじょう)に載れば、正常化のスケジュールにも影響が及ぶ可能性も否めない。

(守山啓輔、PwCアドバイザリーディレクター)


週刊エコノミスト2023年4月4日号掲載

「植田日銀」金融正常化への難路 対岸の火事でない米国銀行の破綻=守山啓輔

インタビュー

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事