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週刊エコノミスト Online 教え子が語る小宮隆太郎

お別れの会に350人 教え子と愛娘が語る経済学者、教育者、父親(編集部)

「通念の破壊者」とも言われ、論争を楽しんだ
「通念の破壊者」とも言われ、論争を楽しんだ

 戦後、日本の近代経済学をけん引し、昨年10月に93歳で亡くなった小宮隆太郎東京大学名誉教授のお別れの会が3月14日、都内で開かれた。350人の教え子や大学関係者が参列した。

「私が日本銀行で金融政策の運営の責任を担うようになった際、難しい判断のたびに、先生の姿勢を思い起こすことで、先生に背中を押されているように感じ、仕事に必要な勇気をいただいた」。白川方明前日銀総裁は、小宮先生の教えを胸に、難しい金融政策運営に臨んでいたことを吐露した。

 2008年4月に誕生した「白川日銀」は、終始厳しい局面に立たされた。08年9月にリーマン・ショック、翌09年秋にはギリシャ危機をきっかけに、欧州債務危機、そして11年3月には東日本大震災に見舞われた。不安定な内外の政治経済情勢の中、円高が進み、当時の民主党政権や自民党から、金融緩和に消極的で円高を放置していると批判にさらされた。

 そうした中、小宮先生は「今の日銀批判はひどすぎる」と白川日銀を擁護し続けた。実は、日銀批判はそれ以前から激しく、小宮先生は日銀理事だった白川氏に相談し、反日銀派と討論する場を設けてもらっている。この論争が『金融政策論議の争点 日銀批判とその反論』(日本経済新聞社)にまとめられた。ここに岩田規久男氏や八代尚宏氏、白川氏といったゼミOBが、多数登場する。

 三村明夫日本製鉄名誉会長は「議論の際になぜ、なぜ、と問う姿勢、たとえ少数派であっても、常識的に正しいと思われることでさえ、疑問を発する態度はゼミ生に多大な影響を与えた」と小宮先生の功績を称えた。自身が富士製鉄(現日本製鉄)に就職することを報告すると、「今さら鉄鋼メーカーに就職するのか、なぜ、自動車メーカーにしない」と、反応が今ひとつだったという。

 1968年、その富士製鉄と八幡製鉄が合併するとの報道に、小宮先生はじめ約90人の経済学者が反対の論陣を張った。理由は巨大製鉄会社の誕生で、競争が制限される恐れと、独占禁止法の政策論理を当時の経済界や閣僚、官僚がきちんと理解しないまま強引に推し進めようとしたことだ。この時の問題提起がその後の独占禁止法の存在感を高めた。「理論の作り手よりも使い手が重要」という持論を体現した逸話の一つだ。

メス犬は絶対にダメ

「私、やります」。小宮先生が新聞への寄稿を手伝う学生を募った際、真っ先に手を挙げたのが、須田美矢子キヤノングローバル戦略研究所特別顧問だった。これをきかっけに7年間の共同研究が始まり、共著で2冊の本を仕上げた。

 須田さんは、小宮家が犬を飼う時のエピソードを披露。先生はメスは絶対にダメだという。「小宮家は、先生と奥様のみどりさん、3人の娘さんの5人家族。肩身の狭い思いをされたのではないか」と想像するが、「この家庭環境のおかげで、私は経済学者になれたのではないか」と振り返る。

「小宮先生は、研究相手として男女の区別なく接してくださった。当時は女性が研究者になるハードルは高い時代だった」

 次女・直美さんは、父親や家庭人としての先生の素顔を紹介した。出張がない限り、毎日夕食を家族で共にする。土曜日の夕食後は、トランプや百人一首のゲームタイム、時折「円高とはどういうことか」と、“特別授業”もあったそうだが、子煩悩で「日本の平均的な父親像より、より親しい父親」(直美さん)だった。

 しかし、論理を追求する姿勢は最後まで変わらなかった。最晩年、入院中の先生を直美さんが妹と見舞った時のこと。妹が「お父さん、大丈夫だからね」と励ますと、小宮先生は「何がどう大丈夫なのか、順を追って説明してほしい」。合掌。

(浜條元保・編集部)


週刊エコノミスト2023年4月4日号掲載

小宮隆太郎先生お別れの会 教え子と愛娘が語る経済学者、教育者、父親=編集部

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