教養・歴史書評

閉ざされた空間で激化するばかりの恐怖を描いた2冊を読む ブレイディみかこ

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 閉ざされた空間での子育ては不健康であり、危険である。これはわたしが英国で保育士の資格を取ったときに繰り返し教わったことだ。

 その不健康さと危険さが回避されないままに子どもが大人になり、最悪の結末を迎えたらどうなるか。そんなことを考えながら、『母という呪縛 娘という牢獄』(齊藤彩著、講談社、1980円)を読んだ。

「医学部9浪」の31歳の娘が58歳の母親を殺害した事件を追ったノンフィクションは、娘が母によって牢獄に囚(とら)われたような生活を強いられ、詰問や罵倒や脅迫といった虐待を受け続けた事実を明かしていく。娘は自分には医学部入学は無理だと悟り、別の道に進もうとするのだが、母親がそれを許さない。絶対的な服従を強いられ、暴力的に支配される関係は、もはや狂気だ。水換えをしない金魚鉢のように母子ふたりの空間は濁り、空気が薄くなっていって、母か自分かどちらかが死ななければこの関係は終わらないとまで娘は考えるようになる。

 閉ざされた空間が危険なのは、そこで何が起きていても他者には見えないからであり、異常な状況がどんどんエスカレートしてしまうからだ。「閉じた扉はどんどん開けていきましょう。それが社会の仕事であり、子どもを守るということ」という保育コースの講師の言葉を思い出した。

×月×日

『82年生まれ、キム・ジヨン』が大ヒットしたチョ・ナムジュの新短編集、『私たちが記したもの』(小山内園子、すんみ訳、筑摩書房、1760円)には、別の意味での閉ざされた空間の息苦しさを描く短編があった。『誤記』という作品だが、こちらは、世界に開かれた場所でありながらも閉ざされた密室性を持つインターネット空間における誹謗(ひぼう)中傷が、物語を動かす装置になっている。

 著者自身を思わせるような主人公は小説家で、「たくさん読まれたし売れた」小説のおかげで有名になったが、同時にネットでの誹謗中傷を受けるよ…

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週刊エコノミスト

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