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教養・歴史 これまでの/これからの100年

いま至るところにある国際金融危機の“芽” 宮崎成人

破綻が世界金融危機の引き金を引いた(ニューヨークのリーマン・ブラザーズ本社、2008年)(Bloomberg)
破綻が世界金融危機の引き金を引いた(ニューヨークのリーマン・ブラザーズ本社、2008年)(Bloomberg)

 大恐慌、ニクソン・ショック、そして世界金融危機──。国境を越えて行き来する資本の流れは、これまで幾度も国際金融危機を引き起こしてきた。

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 本誌が創刊された1923年は、国際金融危機の歴史においても重要な年だ。

 第一次世界大戦後、敗戦国ドイツには過酷な賠償金支払い義務が課せられたが、その支払い遅滞を理由にフランスとベルギーが、23年1月にルール工業地帯の占領を開始した。ドイツの通貨マルクは価値を失い(23年11月に1ドル=4.2兆マルク)、物価は1カ月に3万%上昇するハイパーインフレとなった。この経験は、10年後のヒトラー政権誕生に向けた第一歩であったといえる。

 なぜこのようなことが起きたのだろうか?

回転しなかった歯車

 第一次世界大戦前はグローバリゼーションが進んだ時期であり、自由放任イデオロギーの下、貿易と資本の流れによって、その後敵国同士となるイギリスとドイツを含め、主要国相互は密接な関係にあった。モノの輸出が世界のGDP(国内総生産)に占める比率は、大戦前夜の13年に約14%だったが、貿易のグローバリゼーションがその水準を回復したのは、ようやく70年代末だった。

 戦後各国は、戦前同様に貿易と資本が円滑に回転するグローバリゼーションの世界に戻ろうとした。戦勝国にとって、その回転の第一歩はドイツからの賠償金の流入だったが、ドイツに支払い能力がなかったため、歯車は回転を始めなかった。冒頭のルール占領は、何とか歯車を動かそうという絶望的な実力行使だったといえる。

 このように、ちょうど100年前の危機は、資本の流れが各国の経済活動の維持・発展に極めて重要であることを示した。実際、24年に賠償金問題に一定の妥協が成立し、米国からドイツに借款(ローン)の形で資金が流れ始めると、主要国経済は安定を回復した。

 現在まで続くその後の100年の間には、資金の流れが増減したり逆回転したりすることをきっかけに、大小さまざまな危機が発生した。そうした変調が国内にとどまる場合もあれば、国境を越えて発生する場合もある。

 本稿では、世界経済のコースを変えるほど大きな影響をもたらしたいくつかの危機を概観した上で、最近欧米で発生した銀行危機が将来の新たな危機の伏線となりうるのかについて考えてみたい。

1 1920年代後半~30年代 大恐慌

 20年代後半には、米国の株価上昇と金利の上昇により米国への投資が相対的に有利となったことから、投資資金が米国に急激に還流し、ドイツへの資金流入がほぼストップした。ドイツから戦勝国(英仏)への賠償金支払いもストップしたため、英仏から米国への戦時債務返済も止まり、国際的な資金の流れが滞ってしまった。

 そうした中、バブル状態だったニューヨークの株価暴落(29年10月)を契機に、世界的な不況が発生し、銀行が経営危機に陥った。しかし、硬直的な金本位制(各国が金の保有量に応じて通貨を発行し、固定相場を維持する制度)の下で、政府・中央銀行は有効な対策が取れなかった。

 米国では銀行救済への批判が高まった結果、連邦準備制度理事会(FRB)が消極的な態度を取ったため、国内で信用収縮が発生した。欧州でも銀行救済のため政府が財政余力を作ろうと緊縮政策を取り、通貨防衛のため金融が引き締められたので、状況が悪化した。主要国の不況は世界的な「大恐慌」へと転じ、失業者が街にあふれて社会不安が発生し、ドイツをはじめ多くの国で極右勢力が伸長する結果となった。

 各国は自国第一主義の下、貿易障壁を高めてブロック経済化したため、グローバリゼーションが逆行した。すでに世界最大の経済大国となっていた米国では、33年就任のルーズベルト大統領が金本位制を停止し、公共事業の拡大を通じて自国の経済回復を図ったが、国際協調のリーダーシップを取ろうとはしなかった。米国の失業率が29年末の水準(3.2%)を下回ったのは43年になってからだが、すでにその時には第二次世界大戦が起こってしまっていた。

2 1971年 ニクソン・ショック

 大恐慌の反省に立った第二次世界大戦後の国際金融システム(ブレトンウッズ体制)は、自由貿易を基本理念とし、各国通貨がドルとの間に固定相場を設定した上で、ドルのみが金との交換義務を負うものだった。ドルは主要な貿易決済通貨であり、各国はドル入手を優先課題としたが、やがて貿易赤字や対外投資の形で国外に流出したドルが累積すると、流通するドルの量が米国の金保有量を上回ることが明らかとなった。

 つまり、ドルの信認の基盤である金との交換可能性が損なわれ、各国は自国の保有するドルの実質的な価値が目減りしている現実に直面したのだ。ニクソン大統領は、ドルの信認維持のためのインフレ抑制や、経常赤字縮小に向けた引き締め政策を取るつもりがなく、71年8月、ドルと金との交換を停止するという突然の発表(ニクソン・ショック)を行った。

 それは国際的な約束(ドルと金の交換義務)よりも国内景気を優先するという、「自国第一主義」の表明でもあった。他の主要国はドル価値の変動に対応するため変動相場制に移行し、ブレトンウッズ体制は崩壊した。

 なお、その後のスタグフレーション(インフレ下での景気停滞)の中で、ドルは78年に暴落(「ドル危機」)するに至ったが、79年に就任したボルカーFRB議長による強烈な利上げとレーガン政権の「強いドル政策」の結果、80年代初めにドルは反転した。

3 1980年代 中南米債務危機

 70年代の2度にわたるオイルショックの結果、産油国が得た大量のドルが欧州系の銀行などを通じて途上国に貸し付けられていた。ところが、70年代末から米国の利上げでドル金利が上昇し、ドル高も進んだため、ドル建てで借りていた途上国に重い債務返済負担がかかっていった。

 特にメキシコ、ブラジル、アルゼンチンといったラテンアメリカ諸国では、恒常的なインフレ体質に加えて政情不安もあり、通貨への信認が低下した結果、リスクに敏感な海外投資家からの資金流入が細ったのみならず、国民が自国通貨をドルに移す動き(資本逃避)が強まった。

 82年8月にメキシコが債務元本の返済不能を宣言したことを皮切りに、ブラジルやアルゼンチンも債務不履行(デフォルト)に陥っていった。主要先進国は最終的に、債務国がIMF(国際通貨基金)の指導下で緊縮政策や構造改革を行うことを条件に、ラテンアメリカ諸国などが民間銀行に対して負う債務の削減を容認する方向にかじを切った。

4 1997~98年 アジア通貨危機

 成長著しい東南アジア諸国は、自国通貨を事実上ドルとペッグ(固定)する一方で資本規制を緩和したため、為替変動リスクが小さいと見た多額の投資資金が流入していた。その結果、経済状況は絶好調だったが、一部では住宅バブルなども発生していた。これに乗じたタイ・バーツへの投機的なアタック(バーツ売り)により、97年7月にドルペッグの防衛が放棄されると、 バーツは大暴落した。

 これをきっかけに、他のアジア諸国でも通貨売りが広がり、海外銀行が融資を止めてむしろ債権回収に回ったことで資金の流れが急激に縮小した。次々に通貨の暴落が発生し(危機の伝播(でんぱ))、インドネシアでは暴動が発生してスハルト大統領が退任に追い込まれた。

 また、韓国では銀行間融資への依存度の高かった銀行セクターが危機的状況となった。IMFと主要国はこれらアジア諸国に資金支援を行ったが、海外投資家の資金回収の動きはむしろ新興市場国全般へと広まって、ロシアやブラジルも危機に陥った。

 危機発生前のアジア諸国のファンダメンタルズ(経済の基盤)はそれほど悪くなかったため、パニック的な資金の引き揚げが収まるにつれ、景気は徐々に回復し、特に好調な米国経済にIT機器を輸出することで、比較的早期に貿易主導で資金の流れが回復していった。しかし、そのころ、バブル崩壊後の不良債権累積に起因する金融危機に陥っていた日本経済にとっては、アジア諸国の混乱は停滞へのさらなる要因となった。

5 2007~08年 世界金融危機

 グローバリゼーションが絶頂期を迎え、中国や産油国などの経常黒字国が獲得した大量のドルが米国へと還流したため、米国は低金利を享受し、住宅バブルが発生した。証券化した住宅ローンをさらに組み合わせた投資商品(CDO)が飛ぶように売れたことから、徐々に信用力の低い債務者(サブプライム)へのローンが商品化され、投資家や金融機関がそれを保有するようになった。

 2006年に住宅価格が下落を始めると、住宅ローンに返済遅滞が生じ、CDOの価値が下がっていった。保有するCDOを担保に借り入れをしていた金融機関は担保の追加を求められ、また取引の相手方がCDOをどれほど保有し、どの程度含み損を抱えているか判然としないことから、疑心暗鬼に駆られた銀行などは、金融市場での取引を絞るようになり、影響は世界的に拡大した。

 こうした中、米大手証券会社のリーマン・ブラザーズが08年9月に破綻し、金融市場にパニックが拡大した。金融市場の機能不全は信用収縮を通じて実体経済にも波及し、08年初まで5%を下回っていた米国の失業率が09年10月には10%に達するなど、各国で景気悪化が急速に深刻化した。

 その後、09年には世界経済がマイナス成長に陥ったが、米国で多額の公的資金が銀行や保険大手AIG、自動車大手のゼネラル・モーターズ(GM)やクライスラーといった大企業に注入されたのに加え、各国(特に中国)が巨額の財政支出を行ったこと、主要な中央銀行がゼロ金利とQE(量的緩和)政策、そしてドル供給で市場を支えたことから、かろうじて世界経済は大恐慌の一歩手前で踏みとどまった。

6 2010年代初 ユーロ危機

 99年に欧州11カ国により単一通貨ユーロが導入され、02年からは紙幣と硬貨が流通を開始した。欧州国家間で二度と矛を交えないという理念が単一通貨の形で実り、現在はEU(欧州連合)加盟27カ国のうち20カ国でユーロが採用されている。

 しかし、各国の経済構造や景気循環サイクルが十分にそろわないままで導入され、現在も個別国の実情とは必ずしも整合的でない為替レートや金利水準が、欧州中央銀行(ECB)によってユーロ圏全体に適用されている。 

 そうした矛盾が噴出するきっかけとなったのが、2010年にギリシャの財政赤字がそれまでの想定より相当多額であることが判明したことだった。ユーロ圏内の独仏などの銀行が資金を引き揚げたため、ギリシャは債務危機に陥った。同様に財政基盤が脆弱(ぜいじゃく)だと見込まれた南欧諸国(スペイン、ポルトガル、イタリア、キプロス)や、住宅バブルの崩壊したアイルランドでも資金流入が細り、国債金利が急騰した。

 一時はユーロの崩壊はほぼ不可避と見られていたが、ECBのドラギ総裁がユーロ防衛への強いコミットメントを表明し、債務削減を通じてギリシャの状況が改善したこともあって、12年以降に危機は次第に沈静化した。ただし、ギリシャは今後数十年間にわたって一定の財政黒字を継続し、他のEU諸国からの支援を返済していく義務を負うことになった。

   *   *   *

 このように、過去100年間の歴史は、資本の流れの変化に伴う国際金融危機の歴史でもあった。危機のたびに、今後同様の危機が発生しないよう、官民が協力して予防措置を導入してきたが、それでも思いがけないところから次の危機が生まれてくるのが現実だ。

 それでは、今年3月に欧米でいくつかの銀行が破綻した「ミニ危機」も、これから大きな危機が発生する予兆と考えるべきだろうか。

 近年、QEを通じた流動性の拡大によって民間銀行の預金が増加していたが、FRBなど中央銀行の利上げによって預金よりも他の資産(例えばMMF=マネー・マーケット・ファンド)が有利になったため、大量の預金(特に預金保険の上限を超えた大口預金)が流出する動きがあった。

 その中で、米中堅のシリコンバレー銀行(SVB)は、預金流出に対応すべく保有する米国債を売却したが、FRBの利上げのために米国債の市場価格が下落していたことから損失計上を余儀なくされ、それが預金者のパニック的な引き出しを招いて破綻に追い込まれた。

預金引き出し急速化

 欧州でも、かなり長期にわたり経営の問題が指摘されていたスイスの金融大手クレディ・スイス(CS)に対し、筆頭株主のサウジ・ナショナル銀行が追加出資しないとの報道から預金流出に拍車がかかり、監督当局の指導下でスイスの同業UBSに救済合併されることとなった。

 今回の「危機」は、それぞれの銀行が持つ特異な性格が寄与したものだ。SVBはハイテク企業の大口預金に依存し、保有する米国債の評価損に十分な対応を行っていなかった。CSは長期間経営の重荷になっていた投資銀行部門にメスを入れられていなかった。従って、これらの銀行の破綻が、ただちに他の銀行にも波及するとは考えられない。

 しかし、世界金融危機の際のように、銀行間で互いの健全性を疑って資金取引が停滞してしまうと、国際的な金融危機に転じかねないので、主要中央銀行が市場へのドル資金供給を発表しており、実際金融市場は落ち着きを取り戻しているように見える。

 ただし、今回の「危機」が、重要な課題を残したのも事実だ。第一に、中央銀行の急速な利上げによって、銀行の保有する資産(国債)の価値が急落し、銀行の経営基盤が一気に脆弱さを増すことだ。大局的に見ると、インフレ抑制のための金融引き締めが、金融システムの安定性を損なう可能性があるということであり、また預金流出に応じて銀行が「貸し渋り」に向かうと、想定以上に景気が減速するかもしれない。銀行救済は財政への影響も無視できない。

 第二に、オンライン・バンキングの普及によって、預金引き出しのスピードが急速化したことだ。SVBでは、数時間の間に預金全体の4分の1が流出したともいわれる。当局がこれに即応するのは極めて困難だろう。

 第三に、銀行規制がルール通りに適用されるかどうかという問題だ。米当局は事前に定められた預金保険の上限を超えてすべての預金の保護を打ち出した。また、大銀行の破綻の際の処理手順は国際的な合意に基づいて事前に採択されることになっていたが、CSの計画は米当局が不十分と指摘しており、スイス当局はUBSにCS買収を急きょ要請した。その過程で、CSの株式は無価値とならなかったが、本来は株式よりも優先されるはずの劣後債(AT1債)は無価値となった。

米債務上限に要警戒

 こうしたことから、今回当局は「危機」を見逃したのみならず、場当たり的な対応で銀行と預金者を保護して、モラルハザードを助長したとの批判がある。それは極めてまっとうな批判であるが、『戦争論』でクラウゼビッツが語っているように、事前に想定された机上の戦術は現実の戦争では往々にして想定外の出来事に伴う「摩擦」によって機能しなくなってしまうものだ。つまり、危機対応には常に場当たり的な要素が不可避なので、事前にマニュアルをあまり精緻化するのは実益がないだろう。

 もっとも、銀行への対応は経験が蓄積されている。むしろ、監督当局が必ずしも実態を把握していないノンバンクや投資ファンド、プライベート・エクイティー(未公開株式)などで、債券の含み損や投資先の不調などからくる大きな損失が突然明るみに出るような場合の当局の対応がカギとなろう。

 それ以上に懸念されるのは、米国国内の政治的分断が激しさを増す中、連邦議会で与野党が連邦政府債務上限の引き上げに合意できないことであり、その場合には米国債のデフォルトという想像を絶する事態が発生する恐れがある。

 過去10年以上にわたり世界中で見られた超緩和的な金融環境が急速に転換されている現在、危機の芽は至るところに隠れていると考えるべきだろう。

(宮崎成人・東京大学大学院客員教授、元財務省副財務官)


週刊エコノミスト2023年5月2・9日合併号掲載

これまでの/これからの100年 国際金融危機 予防しても思わぬほころび “芽”は今、至るところにある=宮崎成人

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