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教養・歴史 これまでの/これからの100年

感染症の拡大と抑制が同時進行 国際協力と主権のジレンマも 飯島渉

東京・清瀬村(現清瀬市)の国立東京療養所(後の国立病院機構東京病院)。結核療養の必要上、病院の窓は冬でも開けたまま(1953年)
東京・清瀬村(現清瀬市)の国立東京療養所(後の国立病院機構東京病院)。結核療養の必要上、病院の窓は冬でも開けたまま(1953年)

 結核や天然痘、マラリア、エイズ……。人類はいくつもの感染症の流行に直面し、乗り越えてきた。

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 すべての感染症はエンデミック(地方病)として始まり、何らかの要因によってパンデミック(世界的流行)となることがある。ここ100年ほどの間にも、さまざまなエンデミックが流行し、いくつかの感染症は世界中で流行し、パンデミックとなって多くの人命を奪った。

 1918~20年はスペイン風邪が大流行した。DNA研究の進展によって、病原体は鳥インフルエンザウイルスであったことが確認されている。米国起源で、第一次世界大戦末期、米軍のヨーロッパ戦線への派遣が感染爆発の要因とされる。20世紀の世界では、いくつかの死亡率の高い感染症が日常的に流行していた。その一つは結核である。工業化や都市化の中で、20世紀後半まで、結核は死因として圧倒的な位置を占めた。

 日本でも同様で、20世紀半ばには成人男女の死因の半分以上が結核だった。日本の結核史を描いた米国の歴史家ウィリアム・ジョンストンは、結核を「近代の病気(Modern Epidemic)」と呼んでいる。しかし、BCGワクチンが普及し、栄養条件が改善され(どちらがより有効だったかは依然としてはっきりしない)、抗生物質のストレプトマイシンが登場すると、人類は「死病」とされた結核の抑制に成功した。

 ここ100年の間に、感染症によって多くの人々が命を落とした。同時に、感染症の抑制も進んだ。人類史において最も多くの人命を奪った感染症の一つと考えられる天然痘も、種痘の開発と普及によって新規感染がなくなり、根絶に成功した。世界保健機関(WHO)が根絶を宣言したのは、冷戦のさなかの80年のことである。ヒトだけが感染し、必ず発症するため患者の特定や隔離が容易だったこと、有効なワクチンが開発され、その保存なども容易だったこと、それに加えて栄養条件が改善され免疫力が高まったことも根絶の要因である。

エイズを抑制可能に

 人類史の長期的な時間軸(といってもわずか1万年ほど)の中で、ここ100年ほどは感染症と人類の関係がそれまでとは異なるようになった時代だった。多くの病原体が発見され、治療薬やワクチンの開発が進んだ。また、「魔法の弾丸」と呼ばれた殺虫剤のDDTによって、病原体を媒介する蚊などの中間宿主の抑制も進んだ。

 ここ100年の間に、人類はむしろ感染症で死亡する可能性が少なくなった。こうした状況を「疫学転換」とか「健康転換」と呼ぶ。そのため、感染症よりもがんなどの生活習慣病が死因として重要な位置を占めるようになる。これは、人類史上、最も大きな変化の一つだった。

 第二次世界大戦後、DDTを活用した媒介蚊対策によって、各地でマラリアの制圧が進んだ。日本もその一つで、国内でのエンデミック・マラリアは根絶された。20世紀後半、日本は日本住血吸虫症やリンパ系フィラリア症という地方病(風土病)を根絶し、回虫症などの寄生虫疾患の抑制にも成功した。それがどれほど生活の質を改善したか計り知れない。エンデミックの抑制は、ここ100年の感染症の歴史においてもっと注目されてよい。

エイズ患者の「ホスピス」となったタイの寺院
エイズ患者の「ホスピス」となったタイの寺院

 20世紀後半、人類は近い将来、感染症に完全に勝利できるという考えが専門家の間にも広がった。しかし、それは誤りであった。HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染することで発症するエイズ(後天性免疫不全症候群)という新興感染症が登場し、アフリカ諸国などでは人口動態に影響を及ぼす流行をみせた。また、いったん抑制に成功した感染症にも薬剤耐性などが広がり、再興感染症の流行も顕在化した。

 マラリアに代表されるエンデミックの抑制(マラリア根絶計画)も、一進一退を繰り返した。米国の生物学者、レイチェル・カーソンが62年、著書『沈黙の春』でDDTによる環境汚染の問題性を指摘すると、DDTを使用した感染症対策は停止された。

 21世紀初期、結核、エイズ、マラリアは3大感染症として、各国政府や米IT大手マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が元妻と設立した財団などが資金を提供し、WHOや多くの援助団体がその抑制に尽力している。有効な薬品が開発され、エイズは抑制可能な感染症になった。ベトナム戦争などを背景に、中国の医学者、屠呦呦(とようよう)氏は中国医学の研究を援用してマラリアの特効薬(アルテミシニン)を発見し、その合成に成功した。2021年には、WHOが初めて抗マラリアワクチンを認可した。

「橋本イニシアチブ」

 21世紀になっても、感染症と人類の興亡は続いている。02年にはSARS(重症急性呼吸器症候群)、12年にはMERS(中東呼吸器症候群)というコロナウイルス感染症が登場した。幸いなことに、いずれも日本では患者が発見されずに済んだ。09年には、メキシコを起源とするブタ由来の新型インフルエンザが世界中に広がった。この時、世界はスペイン風邪の再来を恐れ、厳格な対策を取った。日本でも発生したが、幸いにしてその影響は軽微だった。

 新興感染症の出現があるか否かが問題なのではなく、それはいつ起こるかが問題だということは感染症の専門家の間での共通理解だった。こうした中で、20年、中国の武漢市が起源とされる新型コロナウイルス感染症がエンデミックからパンデミックとなり、世界を席巻した。その背景には、グローバル化の進展によるヒトやモノの移動の活性化、中国経済のプレゼンスの拡大がある。

 感染症の流行は常に人間の生死や生活の質を左右してきた。その抑制は人類共通の関心事である。そのため、医療や公衆衛生をめぐる国際協力が意識されるようになった。東西冷戦の間にWHOや援助団体などの地道な努力によって天然痘は根絶された。皮肉なことに、根絶に成功した天然痘は、豊富な知見とともに、種痘が停止される中で、生物兵器テロへの利用がもっとも懸念される感染症である。

 新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって、感染症の抑制は国内問題にとどまらず、国際政治の課題であることが明らかになった。感染症の政治化である。ワクチン開発と供給を巡る競争や「マスク外交」と揶揄(やゆ)された中国の感染症外交も記憶に新しい。しかし、そうした政治化の先鞭(せんべん)をつけたのが日本だったことはあまり知られていない。

 20世紀末、多くの感染症、特にエンデミックの制圧に成功した日本は、世界中の寄生虫症を制圧するための資金と人材を提供し、非軍事的な貢献によって国際社会におけるプレゼンスを高めようとした。当時の橋本龍太郎首相が1998年、英国で開催されたバーミンガム・サミット(主要8カ国首脳会議)でその計画を提起したため、この国際寄生虫戦略は「橋本イニシアチブ」と呼ばれる。

 橋本イニシアチブでは、アフリカのケニアとガーナ、東南アジアではタイに拠点を作り、寄生虫対策を中心に感染症対策を進めた。それは、20世紀前半に医療協力をてこに米国のプレゼンスの拡大に貢献したロックフェラー財団の活動をほうふつさせる。21世紀になって中国政府が「一帯一路」政策の一環として進めている医療支援もこうした歴史的文脈の上に位置している。

「ワン・ヘルス」という課題

新型コロナウイルスの感染が急拡大した2020年5月、人通りが少なくなった東京・渋谷の交差点
新型コロナウイルスの感染が急拡大した2020年5月、人通りが少なくなった東京・渋谷の交差点

 2022年から始まった高校1年生の必修科目「歴史総合」では、その教育内容を定めた学習指導要領で、20世紀の感染症の歴史を教えることを求め、グローバル化の中での暮らしの変化の中で感染症の被害が大きくなったことや国際社会の対応を取り上げることになった。新型コロナウイルス感染症のパンデミックをきっかけとしたものと誤解されるが、もっと前から準備が進められていて、「歴史総合」が新型コロナを先取りした形になった。

 もっとも、学習指導要領の記述はいささか不正確で、20世紀は感染症の被害が大きくなった(その背景は人口増加)と同時に、感染症の抑制が進んだ時代であった。日本はそのトップランナーで、私たちは感染症で亡くなる可能性が少なくなった時代に生きている。新型コロナウイルス感染症の衝撃が巨大だったのは、そうした時代の中で登場した新興感染症だったからである。

 ここ100年ほどの感染症の歴史が教えているのは、抑制のためには国際協力が必要だということである。国際連合の下で20世紀後半に組織されたWHOは、国家主権を超えて医療や公衆衛生的な介入はできないため、国境を容易に越える感染症の抑制にはジレンマを抱えている。そのことは、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの中で改めて実感されることになった。

 新興感染症は、人類が生態系に介入し、開発を続ける間は、その発生を止めることが難しい。最近では、「国際保健」や「グローバルヘルス」に代わって「ワン・ヘルス(One Health)」という考え方が提起されている。人獣共通感染症に注目し、ヒト、動物、生態系の健康を一つのものとみなす考え方で、持続可能な開発計画(SDGs)とも関係する。

 感染症の歴史学は、病気を治すことはできない。しかし、パンデミックやエンデミックの記録や記憶を残し、それを分析して、感染症がどのように流行し、人々の生活、社会や国家にどんな影響を及ぼしたのかを明らかにできる。これは、感染症の抑制のための一つの貢献である。

 100年前のインフルエンザは、感染症がより身近な時代の事件であったため、記録や記憶を残す意識が低く、それらはきちんと残っていない。結核やエイズ、マラリアや多くのエンデミックを巡る記録や記憶も同様である。

 パンデミックを巡る記録や記憶を失うことが、次の新興感染症の衝撃を大きくする。しかし、現実には新型コロナウイルス感染症の記録や記憶は、日々失われつつある。「賢者は歴史に学ぶ」とすれば、今始めなければならないのは、20年以来の記録や記憶を意図的に残すことである。

(飯島渉・青山学院大学文学部教授)


週刊エコノミスト2023年5月2・9日合併号掲載

これまでの/これからの100年 感染症 被害の拡大と抑制が同時進行 国際協力と主権のジレンマも=飯島渉

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