役者・光石研への“アテ書き”で実直な男を味わい深く描く 寺脇研
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映画 逃げきれた夢
光石研は、日本映画を代表するバイプレーヤーの一人として長年にわたり活躍してきている。ただ、16歳で「博多っ子純情」(1978年、曽根中生監督)の主役に抜擢(ばってき)された後は、なかなか芽が出なかった。それが30代半ばから、次々と気鋭の監督に起用され始め、幾多の問題作に欠かせない位置を占める役者となってきたのだ。
苦労人と言っていい。その生き方と存在感に、彼からすると息子世代に当たる二ノ宮隆太郎監督が憧れ惚(ほ)れ込んだ。こういうのを「アテ書き」というのだが、素顔の光石の人柄や成育過程をそのまま当てはめて主人公のキャラクターを造型し、主演作に仕上げている。
職業は定時制高校の教頭。校長を目指したが果たせぬまま、黙々と役目を果たしている。生徒が校舎裏で隠れて吸った煙草(たばこ)の吸い殻を掃除し、問題を抱えた子たちに声がけをする。ただ、「熱血先生」のような気負いはない。彼としてみれば、己のなすべき仕事を忠実に実行しているだけなのだ。昭和の時代に多く見かけた実直な職業人の面影を強く感じさせる。
一方、家庭では所在無さげだ。妻とは過去に何らかの重大な気持ちの齟齬(そご)があったらしいのだが、それはそれとして夫婦関係を穏便なままに保とうと努力している。成人して父親に関心が薄い娘の前でも、心なしか遠慮がちに振る舞う。妻も娘も、そうした気遣いに対して素っ気ない。退職する決意を告げた際にも労(ねぎら)いの言葉はなく、これにはさすがに怒りを爆発させかかるものの、すぐに我に返り謝…
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週刊エコノミスト
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