破滅の淵に立たされた救世主クレマンソー 今も仏国民を一つに 評者・藤好陽太郎
『クレマンソー』
著者 ミシェル・ヴィノック(パリ政治学院名誉教授) 訳者 大嶋厚
作品社 6600円
本書は、第一次世界大戦でフランスに勝利をもたらしたクレマンソーの評伝であるが、同時に専制国家に囲まれ、混迷の極みにあった第三共和政の実像も明らかにしている。
クレマンソーはジャーナリストでもあり、労働者の権利保護や反植民地主義、政教分離(ライシテ)などを求めた。社会正義に目覚めた背景には、法的手続きなしに父を投獄した理不尽な司法制度があった。クレマンソーは獄中の父に「必ず復讐(ふくしゅう)します!」と誓う。
国を二分したドレフュス事件で、これを果たす。政治部長を務めた『ロロール』紙に文豪ゾラの「私は弾劾する」を掲載する。自ら軍の不正を徹底的に追及し、大統領を名指しで批判した。共闘したのが、同志であり、最大のライバルでもあった社会主義者ジャン・ジョレスである。
「虎」と恐れられたクレマンソーの最大の特性は、「死をものともせずに笑い飛ばす」不屈の魂である。例えば大戦中に前線の塹壕(ざんごう)に赴いた。砲弾が飛んでくる中、出撃する兵士について、議会でこう語った。
「生き方において偉大であり、魂によって偉大であり、高貴なものを望み、自らを十分に高く評価しているとは言えませんが、彼らは生命を賭けています。これ以上を、彼らに要求することはできません」。彼は徹底した現実主義者であった。
クレマンソーは権力を手にすると、労働者のデモを厳しく取り締まる。ジョレスとは袂(たもと)を分かち、社会主義者からは敵視された。徴兵期間の短縮やドイツとの国際協調を求める理想主義は、クレマンソーの現実主義とは相いれなかったのだ。それでも、クレマンソーは検閲を緩和し、議会で「報道の自由を怖がるべきではない」と明言した。「法を擁護する闘士」から転向したとはいえない。
最大の失政は、ドイツに巨額の賠償金を課したことだろう。英経済学者ケインズは強く反対したが、クレマンソーは妥協を拒み、ナチスの台頭を許した。
現代フランスの世論調査では歴史上の人物の人気上位に、ジョレスが位置する。マクロン大統領もゆかりの地で演説を行った。確かにクレマンソーは平時の英雄とはいえない。
本書の結びは、第二次大戦を勝利に導いたシャルル・ドゴールが、大先達クレマンソーの墓前で、頭を垂れる場面である。著者はこう記す。破滅の淵(ふち)に立たされた伝説的な救世主は「フランス人の祖国をいまなお一つにまとめている」。フランス国民はそう確信している、と。フランスを知るヒントがあふれた大作である。
(藤好陽太郎・追手門学院大学教授)
Michel Winock 1937年パリ生まれ。歴史家。専門は近現代フランス政治史、政治思想史。『ミッテラン』で仏上院歴史書賞(2016年)などを受賞。
週刊エコノミスト2023年7月11日号掲載
『クレマンソー』 評者・藤好陽太郎