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インフレ下で減る日本の年金受給額 基礎年金ほど削減幅大 西沢和彦

大勢の高齢者が訪れる巣鴨地蔵通り商店街(東京都豊島区)。インフレによる年金の目減りで購買力の低下が懸念される
大勢の高齢者が訪れる巣鴨地蔵通り商店街(東京都豊島区)。インフレによる年金の目減りで購買力の低下が懸念される

 インフレ下では物価に対して貨幣価値が目減りするため、年金生活者には不利になるとされる。インフレが一層進めば受給額はどう変わるのか。

>>特集「円安インフレ襲来」はこちら

 現在、日本には4023万人(2021年度末)の公的年金受給者がおり、給付総額は57.6兆円(21年度)に達している。年金受給者は約20年間、デフレの恩恵を享受してきた。仮に今後インフレに転じるとなれば、その恩恵は失われる。特に低年金者にとって深刻になるとともに、年金生活者の購買力の低下は日本経済にもダメージを与えることとなる。

 デフレが年金受給者に恩恵をもたらしてきたのは、04年の年金制度改正で導入された「マクロ経済スライド」がほとんど機能してこなかったためだ。04年改正前は、毎年の年金給付額は消費者物価指数(CPI)に連動する仕組みだった(物価スライド)。04年改正では、物価スライドをいったん棚上げし、CPIから一定率(スライド調整率という)を差し引いた値での連動にとどめる仕組みへ改められた。

 スライド調整率は足元の労働力人口減少率の絶対値に0.3を加えた数値と定義されており、人口減少下ではおおむね1〜2%となる。これがマクロ経済スライドであり、年金財政の長期的な安定が見込めるまで続けられることになった。長期的な安定は、年金給付水準が04年時点対比2割程度抑制されれば達成されると見積もられていた。

 ただ、マクロ経済スライドには給付抑制の仕組みとして重大な欠陥があった。04年改正時、政府が年金受給者の反発を恐れたためか、前年度の名目年金額は維持するとの規定が年金法に盛り込まれたのである。これを名目下限措置という。例えば、当年の年金額10万円、CPI0.5%、スライド調整率1.5%とすると、マクロ経済スライドを完全に機能させるためには、翌年の年金額を1%減額(=0.5%−1.5%)し、9.9万円とする必要があるが、10万円に据え置くことになった。

 年金受給者にとっては1000円得するが、その財源は年金積立金(234兆円、21年度末)の前倒しでの取り崩し、および赤字国債で賄われる。いずれも将来世代の負担である。

 04年改正以降、デフレ下で名目下限措置が常態化し、マクロ経済スライドが機能したのはわずか4回にとどまった。この結果、年金給付水準はおおむね04年改正時のまま高止まりし今日に至っている。

 04年改正時のもくろみでは、23年すなわち現在、年金財政の長期的安定が見通せているはずだった。名目下限措置は、年金財政をあずかる政府の側からみれば(自らそれを盛り込んだとはいえ)重大な欠陥であるが、翻って年金受給者の側からみれば大いなる「福音」となってきた。

 年金財政の安定が見通せていない以上、今後もマクロ経済スライドを続けていかなければならない。では、給付水準はどうなるのか。年金給付には1階部分に当たる基礎年金と2階部分の厚生年金がある。国民年金制度加入者は、基礎年金のみを受給し、厚生年金保険制度加入者は、基礎年金と厚生年金を受給する。現在、40年加入で基礎年金は月6.5万円、厚生年金は平均的な賃金の場合月9万円だ(表)。

 5年に1度、政府により年金財政の将来見通しが作成される(財政検証)。それによると、今後、スライド調整率が十分に差し引けるほどのインフレが続く場合、基礎年金は47年度まで、厚生年金は25年度までマクロ経済スライドによるカットを続ければ、年金財政の長期的な安定が見込めるとされている。

 現在価値に引き直した給付額は基礎年金で4.7万円、厚生年金で8.8万円となる。なお、今後、スライド調整率が引ききれない程度の軽微なインフレ、あるいは、デフレのまま推移すれば、名目下限措置があることによりマクロ経済スライドが効きにくくなる。すると、積立金の前倒しでの取り崩しが続き、積立金の運用収益が先細りになる。積立金200兆円、運用利回り3%とすれば、運用収益は6兆円で影響は大きい。そのため、最終的な給付水準は基礎年金で3.5万円、厚生年金で6.5万円と落ち込みは一層激しくなる。

非正規の老後に影響も

 こうした見通しの中で、特に給付の2階部分の厚生年金に比べて、1階部分の基礎年金の方がより大きな抑制を求められるのは深刻な事態だ。国民年金制度加入者の就業状況をみると、最も多いのは非正規雇用者である。現在の収入も不安定であり、将来の年金給付も基礎年金しかない上に、その給付水準も大幅な低下が予想されている。

 現在、高齢者の相対的貧困率は男性16.4%、女性22.8%と推計されているが(ⅰ)、今後、基礎年金しかない国民年金制度加入者や遺族年金に期待できない単身女性を中心に、状況は一段と悪化していくことが懸念される。

 さらに、年金生活者の継続的な購買力の低下は、わが国経済へダメージを与え続けることになる。とりわけ高齢化率が高い地域ごとで見れば、影響は一層顕著になる。例えば、秋田県の高齢化率は21年現在38.1%だが、45年には50.1%になると推計されている(ⅱ)。

「下限措置」撤廃を

 今後インフレが続くケースを想定してきたが、デフレに逆戻りするケースもあり得る。すると、当面の年金受給者は恩恵を受け続ける。もっとも、それは将来世代の一段の負担の上に成り立っている。前掲のインフレケースで描写した事態がより深刻化し、後の世代に降りかかるのだ。

 こうした事態を回避するには、名目下限措置の廃止などを盛り込んだ年金改革が不可欠だ。デフレが続いたとしても、マクロ経済スライドが毎年確実に機能するようにすることが重要だ。高齢者の給付を守るべきなのか、将来世代の負担を減らすべきなのか──。二律背反的な課題だが、非正規労働者が増える中で、「最低保障機能」としての基礎年金の役割は一層増している。年金制度について本格的な議論が必要だ。

(西沢和彦・日本総合研究所主席研究員)


ⅰ OECD「Pensions at a Glance 2021」

ⅱ 国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来推計人口 2018年推計」


週刊エコノミスト2023年7月11日号掲載

円安インフレ 年金 基礎年金で削減幅大きく 高齢者の購買力にダメージ=西沢和彦

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