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海外で体感する円の弱さ “アジア最弱通貨”の現実 唐鎌大輔
9月はじめ、筆者は出張で5年ぶりにシンガポールを訪れた。日本の物価と比較すると、両国の差は非常に大きいことを痛感した。
例えばスターバックスでいえば、アイスコーヒー(アイスアメリカーノ)のトールサイズが約5.2シンガポールドル。クレジットカードの決済レート(1シンガポールドル≒111円)で、約577円になる。日本は445円なのでシンガポールの方が約1.3倍高い。
水(エビアン、500ミリリットル)はチャンギ国際空港で約3.2シンガポールドル。同じ決済レートでは約355円となる。同じ商品を日本のコンビニエンスストアで見つけることはできなかったが、ネット上で確認できる希望小売価格は税別170円(税込み180円強)。小売店で購入した場合やまとめ買いした場合は税込み142円程度になるようだ。つまりシンガポールの方が約2.5倍高い。
もちろん、シンガポールでも安売りしている店舗はあるだろうしまとめ買いもできるので、価格差に幅はある。とはいえ、日本の空港で500ミリリットルの水が300円で売られている光景は想像がつかない。コーヒーや水のような日常生活に身近な財でこれだけの価格差が浸透している状況では、日本の旅行者や出張者、駐在員などが痛みを被りやすくなっていることがうかがえる。
ドル高とは別次元
シンガポールとの価格差は確かに近年直面している名目ベースの円安の影響が大きい。名目実効為替相場に関し、2022年はじめを100とした時、今年8月末時点の円は約15%下落した一方、シンガポールドルは約9.4%上昇した。為替要因でそれだけ差がついた上で、賃金格差も乗るので上述のような価格差もうなずける。
なお、シンガポールは金融センターという機能も含むため、アジアでも物価・賃金の騰勢に直面しやすいという見方もあるが、その他、アジア通貨と比較しても円の下落幅は突出している(図)。常々、筆者は今の円安状況について「ドル高の裏返しではない」と強調しているが、それはこうした構図からも分かる。本当に世界的なドル高が円安の真因だというならば、円に追随して下落する通貨があってもよいが、そうはなっていない。今の円安はあくまで「円売り」の側面が大きく、その原因を探ろうとする姿勢が過去にも増して重要と考える。
中国失速と原油高
筆者は、円安の原因は日米金利差拡大もさることながら、赤字が拡大する貿易収支、黒字が国内回帰しない第1次所得収支(対外金融債権・債務から生じる利子・配当金などの収支)、デジタル関連を中心に赤字が広がるサービス収支など、円売りに傾斜する需給環境も重要と考えてきた。この点、23年はじめから、日本の貿易収支に関しては「昨年よりはまし」という通念の下、「需給環境の改善が円安相場のピークアウトに寄与する」との見方が支配してきた。
ただ、ここにきて貿易収支には二つの想定外が浮上している。一つは中国経済の失速と、もう一つは原油価格の上昇だ。前者については7月時点で中国向け輸出が8カ月連続で前年実績を割り込んだことに象徴される。背景に不動産バブル崩壊に伴う内需低迷があることは多くの説明を要しない。
こうした中国の停滞もあって日本の世界向け輸出も7月、21年2月以来、29カ月ぶりに前年実績を割り込んでいる。日本の世界輸出に占める中国の割合は2割弱であり、ここが伸びないと輸出全体の仕上がりに影響する。今の中国経済の情勢を見る限り、この経路で輸出が押し下げられる状況は当面続くだろう。
さらに悪い話だが、西側諸国が中国とのデカップリング(分離)に傾斜している以上、中国向け輸出の不調は避けて通れない。そう考えると日本の輸出は構造的な抑制要因を抱えることになる。
二つ目の想定外は原油価格の上昇だ。既報の通り、9月はじめからサウジアラビアやロシアの減産延長を受けて原油価格が強含んでいる。9月上旬時点の原油価格はすでに1年前と同じか、少し高い水準だ。このような動きが続けば、22年下半期に見たような輸入額の急増も絶対ないとはいえない。年初から日本の貿易収支に関し「昨年よりはまし」という論調が支持されていたのは円安が落ち着き、原油価格も下落していくからという前提があったからだ。しかし、夏場以降、昨年を彷彿(ほうふつ)とさせる円安と原油価格が復活している。
会計上は黒字
需給環境といった場合、貿易収支を含む経常収支を分析することになるが、この点は毎月改善が報じられている。しかし、基本的に経常黒字は第1次所得収支黒字に規定されている。筆者の試算によれば、第1次所得収支黒字の7割弱は円買いにつながらない「会計上の黒字」で、経常黒字が示すよりも円買い圧力はもっと小さい。
例えば、22年、日本の経常黒字は約11兆円プラスだが、第1次所得収支黒字のうち債券利子や再投資収益など、日本に還流しないだろう黒字を控除すれば、キャッシュフローベースで約10兆円の赤字だった疑いがある。ちなみに23年も1~7月合計で会計上は約12兆円の黒字が出ているが、キャッシュフローベースでは約2.7兆円の赤字だった。これならば「経常黒字なのに円安が進む」という現状と整合性が取れる。
為替市場では米連邦準備制度理事会(FRB)の「次の一手」に注目が集まるものの、こうした「円を売りたい人の方が多い」という需給状況は米金利動向と大して関係がない。筆者はFRBが利下げしても円高にならないといっているわけではない。利下げに伴い、当然、円高は期待できるだろう。
だが、そのレベルに関していえば、かつて日本が経験したようなヒステリックな円高ではなく、穏当な反発にとどまるというのが筆者の抱くイメージである。もはやドル・円相場の主戦場は「100~120円」から「120~140円」などへシフトしているという大局観を持ち、先行きを検討すべきではないか(いずれも9月12日時点の分析に基づく)。
(唐鎌大輔・みずほ銀行チーフマーケット・エコノミスト)
週刊エコノミスト2023年10月3日号掲載
FOCUS 円安いつまで 海外で体感する「弱い円」 「アジア最弱通貨」の現実=唐鎌大輔