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国際・政治 香港

処理水問題にからめた中国政府の“日本たたき”は不発に 佐藤大輔

行列ができているすし店 筆者撮影
行列ができているすし店 筆者撮影

 中国政府は経済不調への国内の不満を、日本の「処理水」に向けようとしたが、むしろ、国民の分断を深める皮肉な結果となっている。

禁輸直後に客足が伸びた香港の日本食レストラン

 東京電力が福島第1原子力発電所の建屋内で生じた放射性物質を含む水を、国際的な安全基準を満たすまで浄化した多核種除去設備(ALPS)処理水を2023年8月24日から海洋放出を開始したことに関連し、中国政府は日本の水産物の輸入を全面的に停止したほか、香港では福島県、東京都など10都県を対象に輸入を禁止した。中国政府が禁輸を政治カードに使っているのはすでに読者の方もご存じだろうが、スマートな(賢い)人々は科学を信じて、処理水を気にせずに魚を食べる人もいるなど、中国国内は現実には、分断しているのが実情だ。

 日本政府、在中国日本国大使館などの情報発信の初動が鈍かったのは事実だ。新型コロナウイルスもそうだが、ある事象について十分な知識がない時、人間という生き物は、客観的な数字よりもウイルスや放射能という事柄のインパクトがどうしても勝る。国際原子力機関(IAEA)のお墨付きを受けてからようやく日本政府は気合を入れて発信を行い、徐々に処理水への理解が広まっていったという状況だ。

禁輸で香港に客殺到

 ところが、輸入禁止が始まった8月24日、興味深いことが起こった。香港にある日本食レストランでは客がさらに減少するどころか、逆に予約が入り始めたのだ。また、中国本土と香港を結ぶ高速鉄道の乗車率が大きく上昇した。距離的に近い広東省辺りに住んでいる中国本土の人が香港の日本食やすしを食べにきた。

 中国では「処理水は安全ではない」と考える人が多いのは事実だ。中国も社会的な同調圧力があるのは言わずもがななので、食べたくても食べられないという人もいる。「上に政策あれば、下に対策あり」という有名な言葉が中国にあるが、彼らは仮想専用通信網(VPN)を使って中国政府が設置したファイアウオールを超えて海外のインターネットを閲覧している人もいる。つまり、客観的な情報を得た中国人が日本食を食べに香港を訪れた。

 禁輸措置は、経済の不調による不満のガス抜きや日本の半導体の輸出規制の対抗措置だったが中国国内で分断を引き起こした。これは中国政府にとっては誤算だった。また、国際会議の場で思った以上に中国の意見が諸外国に広がらなかったのも想定外。中国産の水産物の購入も念のため控えようとする動きも一部にあるようだ。つまり、三つの誤算が生じた。

 香港の人口はわずか750万人にもかかわらず、日本の農林水産物の輸出先として20年までは16年連続で1位を記録するなど、今でも日本の水産関係者にとって重要な輸出先だ。スシローや元気寿司は香港に多くの支店を構え、イオンなども進出し普通に日本の食材を買える。また多くの香港人は何度も訪日観光しており、日本の文化に詳しい。 

 香港はここ数年政治的な動きが強かったが、彼らの基本的なDNAは、政治ではなく「お金を稼ぐこと」だ。アジアの物流のハブとして世界を相手に貿易をしてきた人たちで、10都県からの輸入が無理なら、代替先を探せばいいと割り切っている面もある。

この商店では日本海域の水産物は販売してないという看板が掲げられていた 筆者撮影
この商店では日本海域の水産物は販売してないという看板が掲げられていた 筆者撮影

 お金を稼ぐためという意味で、香港のローカルな魚市場では、客に安心を与えるために、「日本水域の海産物、水産物は取り扱っていない」ことを掲げる店ももちろんある。これはこれで有りだと筆者は考えている。利益を出すための思案をした店長の結論だからだ。

 香港政府は、基本的に中国政府の政策に従う。1国2制度を生かしてなんとか全面禁輸とまではならなかったが、香港政府としても対応に苦慮しているようだ。日本から香港に水産物を送っていた関係者によると「香港政府による業界人向けの説明会がありました。政府に質問すると政府関係者A、B、C全て違う答えでした」と語る。また、「九州産の魚を直接、香港に送るのは問題ないのですが、飛行機がありません。そこで、羽田空港経由で送るとします。その時、魚を冷やすべく保冷剤などを再び東京で入れ替えるのですが、それだと東京発といって輸入禁止となり、困りました」と、香港政府内でも運用に混乱をきたしているようだ。

スーパーでは通常通りすしが販売されている 筆者撮影
スーパーでは通常通りすしが販売されている 筆者撮影

冷静な香港市民

 香港市民は禁輸措置について予想以上に冷静な判断をしている人が多く、売り上げに一定の影響はあるが、思ったより深刻な状況ではない。日本食店の前では列ができているほか、スーパーで売られているすしに大きな変化はない。香港政府の環境生態局の謝展寰(しゃてんかん)局長ですら「日本食をこれからも食べる」と発言するくらいだ(中国政府の方針に従う必要がある香港政府の悲哀がにじむ)。

 香港政府の政策を支持する、日本政府が提出した数字を信じる、無条件で食べる、無条件で食べない、とりあえず様子見など、いろいろな意見が交ざるカオスな街こそが香港といえる。クリティカルマス(小集団の存在を無視できなくなる、または商品やサービスが一気に普及する分岐点)は3割といわれているが、日本政府は、様子見の層を食べるほうにシフトさせたい。クリティカルマス状態を作り出すのが最初のミッションだ。

 水産物禁輸の状況は、10年の中国のレアアースの日本への輸出規制に類似している感がある。最終的に日本は、レアアースの使用量を減らす技術を開発して中国依存を減らし、14年には中国のレアアースは赤字に転落。世界貿易機関(WTO)でも協定違反として抗議して勝った。結果、中国政府も15年に輸出規制を撤廃している。

 今回も日本の水産業が打撃を受けるなら、WTO提訴を念頭に入れつつ新しい輸出先を探せばいいだけの話だ。確かに最初はそう簡単に輸出先を見つけられないだろうが、輸出先を1国に依存するのは、中国であろうが、アメリカであろうがよくない。中国でビジネスをするとしても、中国以外の国も開拓したほうがよいと20年以上前からいわれてきたが、巨大市場の中国で手っ取り早く稼げるのでついつい依存してしまった。今回は販売チャンネルの多角化を目指すよい機会だ。漁業関係者へのさまざまなバックアップを日本政府はしているようだが、少子化の日本を考えると、新しい海外の販路開拓に力を入れることが大事だ。今回はレアアースの応用編として正しいやり方をすれば漁業関係者の憂鬱期間は短くなる。

(佐藤大輔・ジャーナリスト)


週刊エコノミスト2023年10月10・17日合併号掲載

「日本産」たたきは逆効果に 中国が直面する国民の分断=佐藤大輔

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