仁左衛門が東京で21年ぶりに風流人にして忠義の人を演じる 小玉祥子
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舞台 吉例顔見世大歌舞伎 松浦の太鼓
片岡仁左衛門が、歌舞伎座の「吉例顔見世大歌舞伎」夜の部で、秀山十種(中村吉右衛門家のお家芸)の内「松浦の太鼓」の松浦鎮信(しずのぶ)を演じている。「忠臣蔵」の外伝物で、鎮信は赤穂浪士が主君・浅野内匠頭の無念を晴らすことを心待ちにする大名。仁左衛門が東京で演じるのは2002年11月以来だ。
大石内蔵助率いる赤穂浪士による吉良上野介邸討ち入りは元禄15年12月14日(太陽暦では1703年1月30日)。その日、吉良邸の隣屋敷で鎮信は俳句の師、宝井其角を招いて句会を催していた。
仁左衛門が初めて鎮信をつとめたのは1975年1月の名古屋・中日劇場。本役は大高源吾だったが、鎮信を演じていた十四世守田勘弥が千穐楽(せんしゅうらく)に体調を崩し、急きょ代役に指名された。
「楽屋のスピーカーなどで、ずっとおじさん(勘弥)のせりふを聞き、それまでにも、中村屋のおじさん(十七世中村勘三郎)の鎮信を拝見していたので、ある程度は心得ておりました」と振り返る。
本役での初演は翌年3月の京都・南座で、好評を受けて同年12月には名古屋・御園座でもつとめた。「改めて中村屋のおじさんに教えていただきました。わかったのはせりふの運びの細かさです」
家臣たちとなごやかに句作に励んでいた鎮信だが、腰元、お縫の姿を見た途端に不快の念を示す。お縫は赤穂浪士のひとりで其角の俳諧の弟子でもある大高源吾の妹。鎮信は赤穂浪士が敵討ちをしないことに憤りを感じていた。
「鎮信は忠義心、侍の心を重んじる人…
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週刊エコノミスト
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