社会に不可欠な労働者の格差を解消し公正な待遇実現への方向性を提言 評者・後藤康雄
『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』
編著者 田中洋子(筑波大学教授)
旬報社 2750円
流通や医療など社会に不可欠な仕事を担う労働者が、コロナ禍の期間にクローズアップされた。本書は、そうした「エッセンシャルワーカー」が、業務の重要性に反して恵まれない待遇になりがちとの問題意識に基づき、社会科学の見地から現状と今後のあり方をまとめた文献である。
全体は大きく三つの内容からなる。まずわが国の現状が整理される。「正規/非正規」「男性中心/女性中心」などの軸でエッセンシャルワーカーを分類し、主な業種の実態を詳述する。往々にして我々は、自らの生活圏で接する彼らを理解している感覚を持つ。しかし、ごみ収集作業ひとつとっても、公務員、委託契約者、派遣労働者などが混在し、労働条件が大きく異なり得る。実のところ我々は内実をほとんどわかっていないことに気づかされる。
わが国の状況を海外、特にドイツと対比し、問題点を浮き彫りにしている点が本書の特徴である。コロナ禍で、ドイツのメルケル首相(当時)は、スーパーマーケットの店員らへの謝辞を述べ、わが国でも医療関係者などへの感謝がさまざまな媒体で伝えられた。エッセンシャルワーカーへの敬意は各国共通である。しかし、彼らの社会的な位置づけには大きな差異があると本書は指摘する。その上で、雇用区分を主たる基準とするわが国に対し、業務内容を処遇の基準とするドイツをひとつの望ましいモデルとみなす。
本書の二つめの内容は、わが国がそうした状況に至った歴史的考察である。そこでの“主犯”は、非正規雇用の拡大や各業界の過当競争を招いた規制緩和であり、また、わが国特有のジェンダー格差である。ではどうしたら現状を変えられるのか。
将来のあり方への提言が三つめの内容である。詳細は本書に譲るが、正規、非正規などの雇用区分に基づく待遇差の解消や、委託等を通じた公共サービスの民間開放の抑制などの方向性が挙げられる。いずれも現代の標準的な経済学の見地からは大いに議論があろうが、重要な論点ではある。評者自身は、個々の労働者の努力で変えられない社会構造のゆがみがあるなら、確かにその変革は自己責任の範疇(はんちゅう)ではないと考える。
映画「赤ひげ」は、江戸時代を舞台に、貧しい人々を診る医師らを描いた。我々はエッセンシャルワーカーが自己犠牲を払って社会に尽くす話を称賛する。しかし、それらはあくまで個別の美談であり、社会の仕組みづくりは切り離して考えるべきだ。アフターコロナの今、多くを考えさせられる一冊である。
(後藤康雄・成城大学教授)
たなか・ようこ 東京大学大学院経済学研究科修了。博士(経済学)。筑波大学社会科学系准教授を経て、現在、人文社会系教授。ドイツ社会経済史、日独労働・社会政策が専門。主な著書に『ドイツ企業社会の形成と変容』。
週刊エコノミスト2023年12月26日・2024年1月2日合併号掲載
『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』 評者・後藤康雄