教養・歴史 男女賃金格差
インタビュー「ノーベル経済学賞のゴールディン教授はジェンダーを経済学の重要テーマにした」奥山陽子ウプサラ大学助教授
2023年のノーベル経済学賞に米ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン教授の受賞が決まった。ゴールディン教授をよく知り、ジェンダー問題の研究に取り組むスウェーデンのウプサラ大学の奥山陽子助教授に聞いた。(聞き手=浜條元保・編集部)
── ゴールディン教授のどういった研究・業績が評価されたのか。
■ゴールディン教授は経済史家として広く知られている。労働問題を扱っているため労働経済学者としての視点も入るが、歴史を経済学的に解明してきた研究者だ。
授賞理由は「女性の就労や賃金の変遷について経済学的理解を深めたこと」。具体的には三つの貢献が挙げられる。一つは、米国の約200年にわたる歴史の中で、女性の労働がどのように変化してきたかという点を、データを掘り起こして明らかにしたこと。2点目はその変遷を追いながら、なぜ変わってきたのかを時代ごとに仮説を立てて、一つひとつ検証したことだ。三つ目は、彼女のライフワークとも言える、米国の高学歴女性の労働参加を追跡することによって、ジェンダーを経済学の中で、非常に重要なテーマとして打ち立てこと。この3点目が授賞理由としては、とても重要だ。
仕事の貪欲さの解消を
── ゴールディン教授は一連の研究で、労働参加率の高まりには「科学技術の進歩」と「将来の期待」が重要としている。
■科学技術で言えば、低容量ピルの例が有名だ。彼女が女性労働を分析する際の思考の軸は、「女性が働くか否かやどのような仕事に就くかは、家族と労働のトレードオフの中で決まる」というものだ。このトレードオフが社会環境や科学技術によって、どう変わるか。まさに低容量ピルの出現は、女性が子どもを産むか、否かという判断を自分で決められるようになったという点でエポックメーキングな出来事だった。というのも、いつ妊娠するかどうかわからない状況では、ハイリスク・ハイリターンとなる自己投資、たとえば大学や大学院への進学がためらわれがちである。ライフイベントが自分でコントロールしやすくなると、自己投資へのリスクが下がる。こうしたロジックで、ゴールディン教授は低容量ピルが、女性のよりハイスキルな教育と仕事への進出を後押ししたのではないかという仮説を立てて、それを検証したという非常に重要な研究論文だ。これは欧米では非常に響く。
──「将来の期待」は?
■人はなぜ勉強して、自分に投資してスキルを身につけるか。それは、そのスキルが将来生かされると「期待」できるからだ。逆にこの「期待」が醸成されない限り、人の行動は変わらない。ゴールディン教授の世代間を比較した研究によれば、女性たちは自分の母親世代が何をして、どんなことに苦労してきたかをつぶさに見て学び、将来の期待を形成するという。そうしたメカニズムによって、世代を下るにしたがって女性の教育達成度や就業率が飛躍的に伸びてきた。これは厳密な因果的な実証は難しいが、彼女が提示する理論的な枠組みとして、非常に重要だ。この考え方は私たちにも非常に示唆的だろう。
── 男女賃金格差を解消するカギとして、仕事の「貪欲さ」をゴールディン教授は指摘している。仕事の中身が、属人的か、分業できる否かで、貪欲な仕事とそうではない仕事に分けられる?
■「貪欲な仕事」とは、長時間労働や、急な要請にもいつでも対応できることなどが、高く評価される仕事のことだ。ゴールディン教授は「貪欲な仕事」の例として弁護士や医師などを挙げるが、日本ではより多くの仕事が「貪欲な仕事」に該当するのではないか。彼女は、「貪欲な仕事」ほど男女賃金格差が広がりやすいと論じている。だとすると、男女賃金格差解消のカギは、仕事の貪欲さの解消ということになる。
仕事の貪欲さを解消するには、仕事を属人化しすぎないことが肝要だ。例えば人員を増やす、あるいはテクノロジーを使って、これまでできなかったチームでの生産活動に変える。この話は実は、ジェンダーの問題を超えて、働き方改革に直結している。つまり、長時間労働を避け、短時間で成果を上げられるような仕事の建て付けに変えていこうということだ。そのために、生産性をどう高めるかという議論になる。表面的にはジェンダー格差の問題でも、根っこでは働き方改革をどう進めるか、生産性をいかに上げるかという問題に行き着く。日本にとっても非常に今日的な議論だろう。
相関関係に基づく研究
── 理論とそれに基づく実証研究が経済学で重視される昨今、ゴールディン教授の受賞研究は必ずしも実証されていない。相関関係の強さだけを指摘する研究は説得力に欠けるという指摘もある。
■非常に重要な指摘だ。ゴールディン教授の多くの論文は、たしかに必ずしも因果関係を実証したものではない。政策提言という目的に照らせば、説得力に欠ける研究と言われても不思議ではない。相関関係のみから説得力のある政策的処方箋を導き出すのは、やはり難しいからだ。彼女もその点はよくわきまえている。自身の相関関係に基づいた研究からは、強い政策的な主張はしていない。
彼女の研究に因果推論をしていないものが多いのには、二つ理由があるだろう。一つは、彼女の初期の研究は、いわゆる「因果革命(因果推論=理論や仮説を裏付ける統計的因果関係の実証を重視する研究スタイル)」以前の研究であること。当時重要だと評価された貢献に対して、因果推論をしていないと評価するのはアンフェアではないか。もう一つは、「U字カーブ(米国女性の就業率が農業中心の時代に高く、工業化とともに一度低下し、サービス産業の台頭とともに再び上昇に転じる)」論文が代表するように、彼女はそもそもデータのないところに対して、データを探し出してくるという貢献もしている。それ自体を評価するべきだろう。
なお、ゴールディン教授は因果推論を忌避しているわけでもない。低容量ピルやオーケストラの奏者選び(「匿名オーディション」で、女性演奏者の採用確率が上昇することを明らかにした)の実験論文もある。これらは因果関係を実験的手法で、実証している。
それらを踏まえたうえで、なぜノーベル委員会が彼女の一連の研究に賞を与えたのか。これは私見だが、政策的インプリケーションではなく、彼女をアジェンダセッター(課題設定者)として高く評価したのだろう。ジェンダー問題が経済学の重要なテーマたりうるかと、相関関係をもって問題提起をした。最近、因果推論が広く知られるようになり、相関関係を見せる研究はダメとか、意味がないといったような論調も散見されるが、因果推論と相関に基づく研究の役割はそもそも違う。
── どう違うのか。
■相関関係に基づく研究の役割とは、まず我々は何を観察しているのかを明らかにすることにある。これは仮説を立てる時に、非常に有効だ。たとえば、XYに相関があることを見て、我々はなぜこの二つが関連しているかという仮説を立てる。その後その仮説を、因果推論していく。データに基づいて仮説を立てる時に、相関関係を見せることは非常に重要だ。仮説提示のための研究をしてきたという意味で、とても価値があるだろう。
(奥山陽子・ウプサラ大学助教授)
■人物略歴
おくやま・ようこ
1989年生まれ。2012年東京大学経済学部卒業。同大大学院経済学研究科修士課程を経て、米エール大学にて経済学博士号を取得。20年9月より現職。専門は実証政治経済学、労働経済学、ジェンダー格差の実証研究。
週刊エコノミスト2023年12月26日・2024年1月2日合併号掲載
男女賃金格差 インタビュー 奥山陽子 ゴールディン教授にノーベル経済学賞 ジェンダーを経済学の重要テーマに