国際・政治 南米
なぜベネズエラはガイアナとの係争地“併合”姿勢を見せたのか 坂口安紀
ベネズエラとガイアナとの領有権問題の起源は植民地時代までさかのぼり、英領ガイアナ時代に引かれた国境線を巡り決着がついていない。
海上油田開発と大統領選を見据えるマドゥロ政権
南米ベネズエラのニコラス・マドゥロ政権が、隣国ガイアナと係争中の広大な地域(エセキボ地域)を一方的に併合しようとする動きを見せた。2023年12月3日、エセキボ地域をガイアナ領とする現在の国境線を否定し、同地域の実効支配を進めることの賛否を問う国民投票を実施したのである。マドゥロ大統領は圧倒的賛成を得られたとして、同地域に新たな州を設置し、住民にベネズエラ国籍を付与するなどと発言した。
ベネズエラとガイアナは南米の北端に並んで位置するカリブ海に面した国で、エセキボ地域はガイアナの西側、同国の国土の約7割(約16万平方キロメートル)を占める広大な地域。大半は密林地帯で、道路などのインフラも未整備な未開発地域でもある。こうしたマドゥロ氏の言動は、当事国のガイアナのみならず、国際社会にも衝撃を与え、両国と国境を接するブラジルは紛争に備えて国境地帯に国軍を派遣している。
エセキボを巡る領有権問題は、ベネズエラとガイアナの植民地時代にまでさかのぼる。ベネズエラは1811年の独立までスペインの植民地で、ガイアナは当初はオランダ、その後1814年にイギリス領となり、1966年に独立している。スペイン植民地時代のベネズエラ総督府の地図にはエセキボ地域が含まれており、独立後のベネズエラはそれを引き継いでいるという立場だ。
英からガイアナ独立
他方、ガイアナを領有していたイギリスは、19世紀半ばにエセキボ地域を自国領に含め、さらにその西側までを英領ガイアナとする国境線を設定していた。エセキボを巡る国境問題は国際仲裁にかけられ、1899年にエセキボ地域を英領ガイアナの一部とする現在の国境線が引かれた。しかし、ベネズエラは裁定は中立ではなく無効だとして領有権を主張する。
イギリスは1966年、ベネズエラの主張を受け入れ、領有権問題について「現実的かつ双方満足いく解決を模索する」との内容で合意した。だが、その数カ月後にガイアナはイギリスから独立したため、交渉相手はガイアナに移った。その後、ベネズエラとガイアナは、国連の支援も受けながら解決を模索したが合意に至っていない。ガイアナは現在も国際司法裁判所の裁定による解決を求めているが、ベネズエラは拒否している。
ただ、エセキボ地域はガイアナ領とする現在の国境が引かれて約120年が経過しており、国際的にもガイアナの一部として認識されている。ベネズエラはその間、領有権を幾度となく主張してきたが、それでも今回の国民投票のような強硬な態度に出ることはなかった。マドゥロ氏の前任者で、過激な言動で国際社会でも注目されたウーゴ・チャベス前大統領(2013年死去)でさえ、エセキボ問題には踏み込まなかった。
近海で石油の埋蔵確認
マドゥロ氏はなぜこのタイミングで強硬姿勢に出たのだろうか。理由は二つある。一つは、近年、エセキボの近海で開発が急ピッチで進む石油の存在で、もう一つは24年に予定されている次期大統領選だ。
エセキボ近海では2015年に大規模な石油埋蔵量が確認され、米エクソン・モービルなど外資が多数参加するコンソーシアムが海上油田開発を進めている。予想産油量は1日当たり約40万バレル、27年には100万バレル以上が見込まれている。ベネズエラは石油輸出国機構(OPEC)加盟国だが、1990年代末と比べて産油量が4分の1(日量78万バレル、23年11月)に縮小しており、新たな石油資源は大きな魅力に映る。
マドゥロ氏は18年の大統領選挙で「再選」されたが、野党の多くの政治家を事実上、選挙に出馬できない状況に追い込んだうえで実施した“出来レース”だった。そのため、欧米諸国などから選挙結果に正統性がないとの厳しい批判を浴び、19年1月以降のマドゥロ政権2期目は、多くの国がその政権を承認していない。米国に至っては、ベネズエラとの石油貿易を禁止する制裁措置を発動した。
24年の大統領選では、支持率が10%台で野党候補に水をあけられているマドゥロ氏は、極めて分が悪い。そのため、3ケタにも達するインフレなど経済的に困窮する国民の不満を国外にそらし、大統領選を少しでも有利に進めたい思惑がみえる。ナショナリズムをあおることができる領有権問題は、反政府派の賛成も得やすい。
武力解決せずで合意
ベネズエラでは経済的困難や政治的抑圧を逃れるために、700万人以上が国外に逃れた。世論調査の結果からも、公正な選挙が実施されれば、野党統一候補の勝利が予想される。米バイデン政権は、ベネズエラ大統領選挙を公正で民主的なものにすることを条件に23年10月、5年近く続けた石油禁輸制裁を一時解除した。野党候補者に対する公職追放措置の撤回などが実行されない場合は、再び石油制裁を科すとしている。
マドゥロ政権としては、18年のようなゆがんだ大統領選がしづらくなった今、領有権問題は選挙を少しでも有利にする有効な手段と考えたのだろう。現実的にはベネズエラが軍事侵攻してエセキボ地域を手中にする可能性は低い。ベネズエラとガイアナの両大統領は23年12月14日、ブラジル、コロンビア、カリブ共同体(CARICOM)、国連などの代表の仲介のもと対面し、領有権問題を武力で解決しないことで合意した。
そもそも現在のマドゥロ政権には、広大なエセキボ地域に軍事侵攻して継続的に支配する経済的、軍事的余裕はない。とはいえ、軍事的衝突の可能性もゼロではなく、大統領選での敗北の可能性が高まった場合、国境付近で小競り合いを起こし、「戦争状態にあること」を口実に大統領選を延期する可能性も否定できない。マドゥロ政権は領有権問題を国内政治の道具にしており、国際社会は大統領選と併せて注視する必要がある。
(坂口安紀〈さかぐち・あき〉JETROアジア経済研究所主任調査研究員)
週刊エコノミスト2024年1月23日・30日合併号掲載
ベネズエラが係争地「併合」の動き 石油と大統領選見据えたポーズ=坂口安紀