「容赦ない批判」は「批評」と「生きること」の対立を生み出してしまう ブレイディみかこ
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批評とは何か? 批評に未来はあるか? そうした言葉が飛び交う状況にあって、『批評と生きること 「十番目のミューズ」の未来』(片岡大右著、晶文社、2640円)は、「批評」と「生きること」の関係を再考する試みだ。
序文から、「批評精神の歴史とは、危機的時代の歴史であるということができる」という加藤周一の言葉が引用され、同時に、「批判の論理をあまりにも徹底的に適用するなら、(中略)もはや『世界は間違っている』と悟るような人間になるほかなくなってしまいます」というデヴィッド・グレーバーの言葉が引用される。「存在するすべてに対する容赦ない批判へ」とはマルクスが25歳のときに書いた言葉であり、自分も若い頃にはそんなふうに考えていたが、こうした容赦なさには代償が伴うと感じているとグレーバーは発言していた。
その代償こそが、わたしたちの生そのものであり、「生きる」という人々の日々の営みだと著者は書く。社会を徹底的に容赦なく批判すれば、いまここにある人々の生を生きるに値しない何かとして退けてしまう。それは「批評」と「生きること」の不幸な対立関係を生み出し、社会批評を行う人間は、あたかも自分はそこに生きていない者であるかのような高みから言葉を放つことになってしまう。
個人的には、このような現象がコミカルなまでに先鋭化しているのはSNS論壇(そんなものがあるとすればだが)であり、出版界までそれに引きずられているような気がする。が、その現状にため息をつき、批評の意義や未来を憂えるのは早合点であり、まだ批評は十分にエキサイティングで面白いのだということを体現するような一冊だった。
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なぜか自分の中で鶴見俊輔がリバイバルし、『期待と回想』(ちくま文庫、1870円)を読む。
「学生が『正しい観念によって自分の日常生活を革命的に批判する』なんていうのを聞くと、私は『そんなことできるかな?』と…
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週刊エコノミスト
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