トランプ氏ならウクライナ和平へ道筋 東郷和彦
ウクライナ戦争は、ロシアの歴史認識や価値観を軽んじた西側諸国に責任がある。「ディール」を優先するトランプ氏なら終結させることができるかもしれない。
今年11月に行われる予定の米国大統領選挙は、前回2020年と同様、バイデン大統領とトランプ前大統領の対決になることが濃厚である。世界の安全保障にもっとも重要な米露関係においてどちらの候補が望ましいかという問いに答えるのは難しい。
だが、ウクライナ戦争についてはトランプ氏に期待する。彼が在任期間中に繰り出した政策は、「ディール」の発想に基づくものである。「取るものもあれば失うものもある」という妥協がディールの本質だ。トランプ氏なら、ウクライナを抑え、ロシアにある程度の恩恵を与えるという政策志向によって、ウクライナ戦争終結の道筋を見いだすかもしれない。
NATOが踏み越えた一線
ウクライナ戦争を考える時に、欧州諸国とロシアがウクライナを地政学的にどのように位置付けているかを理解する必要がある。その観点でいえば、ロシアのプーチン大統領にとって、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大と、ウクライナに在住するロシア系ウクライナ人の保護の問題、この2点は絶対に譲れない問題である。第一のNATOの東方拡大は図1の通りである。
プーチン氏が絶対に容認しないのが、ロシアと国境を接しているウクライナとグルジア(現在のジョージア)の2カ国がNATOに加盟することだ。08年4月、ルーマニアの首都ブカレストで開催されたNATO首脳会議で、将来における両国のNATO加盟を認める意向が示された。プーチン氏は、「レッドライン」を踏み越えようとする西側、とりわけ米国の意志を絶対に許せないと腹を決めたに違いない。
ロシア系ウクライナ人の保護の問題は、この国の歴史を振り返って、その根深さを理解する必要がある。第二次世界大戦でヒトラー率いるナチス・ドイツがウクライナに攻め込んだ時、西部ガリツィア地方にステパン・バンデラという人物がいて、彼の下に集まった民族主義者たちがナチス・ドイツと手を組んで赤軍(ソ連軍)と戦う。しかしドイツは戦争に負けて、バンデラの周辺にいたウクライナ人の多くはカナダに移住した。ウクライナからカナダへの移住は、二つの大戦を挟んで続いていたが、1991年のウクライナ独立を機に「いつか故郷へ戻る」という思いでいたカナダ在住のウクライナ人たちが多く帰還した。
図2は、ウクライナにおけるロシア語話者の比率を示したもので、黒海に面したクリミアとロシアと国境を接するドネツク州はロシア語が支配的。東部はロシア語とウクライナ語が拮抗(きっこう)し、首都キーウがある中央部はウクライナ語が優勢、ガリツィアを含む西部ではウクライナ語が支配的だ。
ガリツィア系のウクライナ人は、歴史的にポーランドとの関係が深く、もともとウクライナ国内の安定において不安材料であった。とはいえ、外交官として通算10年間モスクワに駐在した経験で知る限りは、ウクライナでは民族的に混合した状況にあって平和に共存していた。
プーチン氏にとって、第二のレッドライン越えが14年2月の「マイダン革命」だ。親露派だったヤヌコビッチ大統領を国外追放した騒乱と政変を引き起こしたのが、ガリツィア地方の若者だ。過激な民族主義を主張する人物も決して少数派ではなく、プーチン氏は、そうした連中がウクライナで勢力を拡大すれば、ロシア系住民が危険にさらされるとの判断から、一挙にクリミア半島を併合(14年3月)した。このマイダン革命は、当時のバイデン米副大統領とビクトリア・ヌーランド米国務次官補(現国務次官)などの、民主党のネオコン(新保守主義者)が演出した政変劇である。少なくとも、ロシア側の確信である。
そもそもネオコンとは何か。1990年代初頭に冷戦が終結し、米国は、「米国の価値で世界を仕切ることができる」という達成感の絶頂に立った。裏腹に「米国の価値に逆らう国は押しつぶす」という傲慢さが浮上した。それが共和、民主両党に存在するネオコンである。21世紀以降の急速な経済発展を背景に、中国が米国に盾突く国の筆頭格になったが、NATOの東方拡大やマイダン革命を契機に、ロシアがその隊列に加わった。
誇張される残虐行為
ただ、ロシアにとっても、隣国ウクライナとの泥沼の戦争を継続したくはなかったのが本音だろう。ウクライナも停戦に必死だった。22年3月29日、トルコ・イスタンブールでの和平会議で、ウクライナ側は、ウクライナのNATO非加盟、ウクライナの安全保障の枠組みへのロシア参加、クリミアについての15年交渉等の条件を提示、合意間近であった。
ところが、4月2日からはキーウ近郊のブチャで400人以上が殺害されていると西側メディアが一斉に報道。3月29日に撤退した露軍による犯行だと報じられたこと、さらには4月9日にはジョンソン英首相(当時)がキーウを訪問し、ウクライナのゼレンスキー大統領との会談で、ロシアと停戦しないことを確認。イスタンブールの和平合意は幻と消えた。
ブチャの虐殺については、その後もいろいろな検証が出ているが、筆者が注目するのは、米政治学者のゴードン・ハーン博士の考察である。ハーン博士はブチャで起きたことを詳細にフォローしていて、以下のように結論づけている。
「ウクライナ政府は、西側諸国政府とメディアの助けを借りて、ロシアの残虐行為を誇張し、ウクライナの残虐行為を隠蔽(いんぺい)する挑発的なフェイクにすり替えようとしている。彼らは故意にブチャでロシア軍に殺された民間人の数を指数関数的に水増ししている」
ウクライナでの戦闘や国際世論の情報戦は、23年前半まではウクライナが優勢に進めていたが、同年後半からはロシア有利に転じた。同年6月からの反転攻勢が不発に終わり、10月にはイスラエルとパレスチナとの大規模な戦闘が始まり、ウクライナ情勢に対する世界の関心は急速に薄れていった。
今年3月中旬にはロシア大統領選がありプーチン氏の再選は確実だが、11月の米大統領選の行方は本稿冒頭で触れた通りである。ただ、米国には、寄せては返す波のような現実主義の声がある。冷戦期に「ソ連封じ込め」の戦略を発案した米外交官のジョージ・ケナンは、冷戦終結後におけるNATOの東方拡大を厳しく批判した。
そうした流れをくむ研究者の中で筆者が注目しているのが、米国の研究者ベンジャミン・アベロー氏である。同氏は、論文「西側諸国はいかにしてウクライナに戦争を持ち込んだか」(22年9月)で、ウクライナ戦争を次のように結論づけている。「すべてを考慮した場合、第一の責任は西側諸国、特に米国にある」
(東郷和彦〈とうごう・かずひこ〉元外務省欧亜局長)
週刊エコノミスト2024年3月12日号掲載
ウクライナ戦争 戦争誘発の責任は米国にあり トランプ氏なら終結へ道筋=東郷和彦