1000兆円市場へ国内外からテークオフ 稲留正英・編集部
今年のパリ五輪、来年の大阪・関西万博で「空飛ぶクルマ」が商業運航する。「空の散歩」の日常化は、もう目前だ。
「空飛ぶクルマ」の巨大市場がいよいよ離陸しようとしている。空飛ぶクルマとは、垂直に離着陸する電動の飛行機のことを示し、英語では、eVTOL(イー・ブイトール)(electric Vertical Take-Off and Landing、電動垂直離着陸機)と呼ばれる。動力源を化石燃料から電気に置き換えることで、既存の航空機に比べ構造が簡単で安価になり、「空の移動」が自動車と同様に身近になると期待されている。今年7月開幕の仏パリ五輪や来年4月の大阪・関西万博では、初の商業運航も予定されており、新市場のテークオフに乗り遅れまいと、国内外の多くの企業が参入に名乗りを上げている。
日本製は251機受注
「当社のSD-05型はマルチコプターと呼ばれる回転翼タイプで、電動で軽く、3人乗りであることが特徴。二酸化炭素(CO₂)が発生せず、静かでコンパクトなため、ビルの屋上など狭い場所での離発着も可能。街中での日常的な移動手段として活用が期待できる」──。日本でeVTOLを開発するスカイドライブ(愛知県豊田市)の福沢知浩CEO(最高経営責任者)は鼻息が荒い。
2018年にトヨタ自動車出身の福沢氏らによって設立されたスカイドライブは、調達資金270億円、従業員数は1月末で236人と日本最大のeVTOL開発ベンチャーだ。出資者には日本政策投資銀行、三菱UFJ銀行をはじめ、スズキ、関西電力、近鉄グループホールディングス(HD)など日本の名だたる企業が名前を連ねる。SD-05は定員3人、航続距離15キロで、商業運航に必要な国土交通省の型式証明を26年に取得することを目指している。SD-05はこれまでに、ベトナムの不動産開発会社などから251機の受注を獲得した。
関西万博では4社が空飛ぶクルマの運航を予定しており、スカイドライブはその1社だ。会場である夢洲(ゆめしま)と大阪港中央突堤の2点間の飛行を目指している。福沢CEOは、「ラストワンマイル、もしくは、20~30キロの近距離を移動するには、最もリーズナブルな機体」と話す。万博後は、愛知県でのエアタクシー事業などを計画する。
大手商社の丸紅は万博で、英バーティカル・エアロスペース社の機体「VX4」を使い、会場と尼崎フェニックスを結ぶ2点間のデモフライトを行う。VX4は定員5人、航続距離は160キロとスカイドライブに比べて大型の機体だ。同様に、日本航空は、独ボロコプター社の「ボロシティ」(定員2人、航続距離35キロ)を使い、夢洲と桜島間の運航、ANA HDは、米ジョビー・アビエーションの機体(定員5人、航続距離160キロ)で、会場周辺の湾岸や河川沿いを飛行させる計画だ。
大阪・関西万博に先立ち、今年7月開幕の仏パリ五輪では、いち早くeVTOLの飛行を体験できそうだ。独ボロコプターがフランスの航空運営会社と組み、飛行場に設置する五つの離発着場を拠点に、三つのルートで運航する。ボロコプターは、欧州航空安全庁(EASA)の型式証明取得を計画しており、実現すれば、eVTOLによる世界初の商業運航となる。
コストや静粛性でメリット
空飛ぶクルマは、ヘリコプターでは化石燃料で動かすエンジンを電池とモーターに置き換えることで、大きなメリットが生じる。日本政策投資銀行産業調査部の岩本学・調査役によると、既存のヘリコプターに比べ、①機材・運用コスト、②運用上の安全性、③騒音──の三つの利点があるという。
具体的には、電動化による機体構造の簡素化、燃費とメンテナンスコストの削減、運航の自動化によるパイロットの削減、冗長化による安全性向上、また、電動化に伴う静粛性の向上などだ。
例えば、中国のeVTOLメーカー、イーハンが開発した2人乗りの機体の価格は41万ドル。米ロビンソン・ヘリコプターの2人乗りヘリコプター(36万~38万ドル)より高いが、イーハンは遠隔操縦のため操縦士が不要で、乗客が2人乗れる。電動で部品点数が少なく、メンテナンスコストも大きく下げることが可能だ。
5人乗りの機体を開発する米ジョビー・アビエーションによると、距離30キロの乗客1人当たりの運航価格は、26年の運航開始当初は56ドルだが、将来的には32ドルに低下するという。例えば、成田空港と東京駅間(約60キロ)なら、約60ドルで利用できる計算だ。都心の交通渋滞を避けたい旅客や都内の遊覧飛行も兼ねたい観光客には十分に受け入れられる価格となる。
電動のeVTOLは自動操縦や遠隔操縦との親和性も高く、将来的にはパイロットも不要になる。運航時の騒音は、「45デシベルで街中ではほとんど気にならない」(ジョビー・アビエーション)といい、上空を通過する地域住民の理解も得られやすい。
世界各地のさまざまな企業や組織がeVTOLに強い関心を持つ背景には、その市場規模の大きさがある。米モルガン・スタンレーによると、機体やサービス、インフラなどを含めた市場規模は2040年には1兆ドル、2050年には9兆ドル(日本円で約1350兆円)になる見通しだ(図1)。これは、2021年で3.6兆ドルといわれる自動車市場を大きく上回る。地上から数百メートルの低~中高度の空域は、ほぼ未開拓であり、そこが「空の産業革命」の主戦場となる。
観光面で大きな需要
1万を超える島々からなる日本にとっては、「空飛ぶクルマ」は大きなビジネスチャンスを生み出す。ローランド・ベルガーの山本和一プリンシパルは、「これまではヘリポートや空港を設置できなかったような場所にも新たな離発着手段を提供できる」と見る。特に期待されるのが観光分野だ。丸紅は、英バーティカル・エアロスペースの「VX4」200機を事前予約。関西エリアを中心とした観光運航サービスを実現させる考えだ。
すでに、同社では南海鉄道などと組み、22年12月から23年1月にかけ、3回にわたり「空飛ぶクルマ」による疑似体験観光ツアーを実施した。大阪の八尾空港と和歌山県那智勝浦間の100キロをヘリコプターで結び、一般募集した顧客に片道30分の空の旅を2万円で提供した。鉄道なら片道4時間、料金7000円の行程だ。体験後のアンケートでは、体験者が「支払ってもよい」と答えた料金の平均は2万9730円で、想定価格の2万円を上回った。また、移動時間の短さなどを理由に9割の人が、「満足」と答えたという。同社航空宇宙・防衛事業部航空第3課の相原彩良氏は、「インフラ整備や人材育成をはじめ、課題は多いが、さまざまな企業や自治体と新しい産業を構築していきたい」と話す。
日本航空も独ボロコプターのほか、バーティカル・エアロスペースのVX4を100機リースする。同社によると、「北海道や九州・沖縄の離島からのリゾート地へのシームレスな移動などの移動サービスのほか、機体の特性を生かし、災害時の緊急搬送や医師の移動支援等のニーズもある」(広報部)としている。ANA HDは、「米ジョビー・アビエーションと関東・関西圏といった都市部におけるエアタクシーサービスの実現を目指している」(広報部)とする。
タクシー会社が参入
機体の電動化で参入障壁が低くなることにより、異業種からの「空飛ぶクルマ」への参入も期待される。26年に創業100周年を迎える大阪の老舗タクシー会社の大宝タクシーは、22年5月「そらとぶタクシー株式会社」を設立した。韓国のプラナ社が開発する7人乗りの機体を使い、25年以降の運航を目指している。創業家4代目で、そらとぶタクシーの宝上卓音社長は、「熊野古道、白川郷、富士山など外国人にも人気のスポットを訪れる観光客に超高速の移動を提供したい」と語る。
製造やインフラ面でも異業種の参入が相次いでいる。トヨタは20年、米ジョビー・アビエーションに約4億ドルを出資して製造面を支援。スズキはスカイドライブと共同で製造子会社を設立し、将来的には年間最大100機の規模で生産を開始する予定だ。インフラ面では、オリックスが大阪・関西万博で「バーティポート」と呼ばれる空飛ぶクルマの離着陸場の運営を担うほか、関西電力が充電設備を整備する。
しかし、世界的に見れば、「空飛ぶクルマ」の開発では、欧米勢が大きく先行しているのが実情だ。日本政策投資銀行によると、23年末の国別の投資額では、米国の7481億円、ドイツの2831億円に対して、日本はわずかに145億円だ(図2)。航空電子機器、飛行制御システム、蓄電池などの主要パーツも海外勢が独占している。三菱重工業が開発した国産ジェット旅客機の開発中止の苦渋を繰り返さないためにも、国を挙げての同分野への取り組みが必要とされている。
(稲留正英・編集部)
週刊エコノミスト2024年3月12日号掲載
空飛ぶクルマ 1000兆円市場がテークオフ=稲留正英