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評伝 元エルピーダメモリ社長・坂本幸雄さん死去 群を抜く先見性と統率力 不可解すぎた倒産の経緯 豊崎禎久

元エルピーダメモリ社長 故坂本幸雄氏
元エルピーダメモリ社長 故坂本幸雄氏

 半導体大手エルピーダメモリ(現マイクロンメモリジャパン)の社長を務めた坂本幸雄氏が2月14日、心筋梗塞(しんきんこうそく)のため死去した。76歳だった。日本の大手電機3社を母体とする、「寄り合い所帯」だったエルピーダを、持ち前の明るい性格と強力なリーダーシップでけん引し、20世紀後半に世界を席巻した「半導体王国ニッポン」の再興に力を尽くした。

 市場の急拡大とその後のリーマン・ショックによって、エルピーダの経営が翻弄(ほんろう)された2000年代後半は、台湾企業との提携に活路を見いだした。その後の市況悪化と超円高に直撃され、エルピーダが12年2月に経営破綻した後は、中国の半導体産業発展に身を投じた。台湾積体電路製造(TSMC)を擁する台湾勢の躍進を熟知し、驚異的な成長を示す中国勢の台頭を早くから予見した坂本氏の先見性は、高く評価されるべきであろう。

 坂本氏は1970年、米テキサス・インスツルメンツ(TI)の日本法人に入社。倉庫番から身を起こし、TI本社でワールドワイド製造・プロセス・パッケージ開発本部長を務め、日本TI副社長。その後、神戸製鋼所、台湾系半導体製造受託メーカーの日本ファウンドリー社長を経て、02年11月に経営危機にあったエルピーダの社長に就任し、経営再建を託された。

 エルピーダは、日立製作所とNECのDRAM(一時記憶用メモリー)事業が母体で、その後、三菱電機の同事業が合流した。

「即断即決」で再建

 坂本氏は出身母体にこだわらない人事政策を導入して停滞していた企業風土を刷新。自ら米国に出向いてインテルから1億ドルの出資を引き出すなど、「即断即決」の経営手法を通じてエルピーダの業績を一時期はV字回復させた。

 坂本氏の半導体経営者としての特徴は、常にユーザー企業を意識していたことだ。半導体事業におけるアプリケーション(アプリ=用途)の重要性を認識し、どのようなアプリが伸びるのかを常に意識するようになったのだろう。ファウンドリー(受託製造)のビジネスも経験して、半導体ビジネスを総合的に見てきた人物であった。

 エルピーダの倒産は、いま振り返っても不可解だ。会社更生法適用を申請した12年2月当時でも、有力取引先からの受注が入っており、つなぎ資金さえ調達できれば再建可能だった。しかし、坂本氏によれば日本政策投資銀行が100億円の融資を拒否した。その結果、翌年7月にエルピーダは米マイクロン・テクノロジーに2000億円で買収されたが、エルピーダが存続していれば今なら3兆~5兆円の価値になっていたであろう。

 同社を引き継いだマイクロン広島工場には、日本政府が1920億円の補助金を出すことを決定している。「意図的」にエルピーダを倒産させたとしか思えないほど、日本の半導体政策は拙い。坂本氏はその後、中国の半導体産業の発展に関わり、直近では、広東省深圳市の新興DRAMメーカー、昇維旭技術(スウェイシュア)のCSO(最高戦略責任者)に就いていたという。

 米中半導体摩擦が激化する中、中国に肩入れした坂本氏に対する“陰口”も少なくない。しかし、中国は、米国の制裁を跳ね返し、米国企業でも未実現の5ナノメートルの微細化にめどを付けたとされる。日本体育大学卒と学歴エリートではなかった坂本氏が秘めていた反骨精神が、中国ビジネスに突き進む原動力になったと筆者は理解している。

(豊崎禎久・アーキテクトグランドデザイン ファウンダー&チーフアーキテクト)


週刊エコノミスト2024年3月19・26日合併号掲載

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