キックボクサーだった産業医――池井佑丞さん
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医師・格闘家 池井佑丞/110
産業医とプロ格闘家の二つの顔を持つ池井佑丞さん。大学在学中に始めた格闘技では、キックボクシングのプロ選手として活躍。医師としては「病気にさせない医療」を目指し、健康管理サービスを事業化している。(聞き手=村田晋一郎・編集部)
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── 実家は宮崎県小林市で100年続く「池井病院」だそうですが、子どものころから医者になろうと思っていましたか。
池井 私は次男でしたので、子どものころは野球など好きなことをやっていて、少年野球では全国大会に宮崎県代表として出場しました。しかし小学6年生の夏、6歳上の兄が医学部に行かないことになり、私にお鉢が回ってきて、鹿児島の中高一貫校に進学しました。
「医者にもなるが、もう一つ別の人生も生きる」
── すんなり受け入れられたのですか。
池井 兄は医者になるレールから外れて自由に生きているのに、私はそのレールに乗せられていることへの反発があり、進学した学校ではやさぐれていました。高校をやめようと思った時に、親や学校の先生など周りの大人が一生懸命止めようとしてくれて、何代も続く病院を自分のひねくれた反抗で壊すのはよくないなと思いました。
それに、自信家だったので、医者にもなるけれど、もう一人分、別の何かになれるのではないかと思ったらスッキリして、医者を目指すことにしました。そこからは、やるべきこととやりたいことをやるというのが自分のテーマになっています。
── 大学受験はどうだったのですか。
池井 高校の時はろくに学校に行かず、授業を聞く習慣がなかったので、予備校に通っても1年で受かることは無理だと思いました。また、兄が宅浪(自宅での浪人生活)して慶応義塾大学に進学したので、兄への対抗心もあって、宅浪を選択しました。ただ、宅浪では兄が付きっ切りで私の勉強を見ることになり、軟禁状態でした。非常につらかったですが、1年で受かるスケジュールを組んで、それを必死にやって、杏林大学に合格しました。1年で決めたいというプライドもありましたし、自信になりました。
── 格闘技を始めたきっかけは?
池井 大学では留年を続けて1年生を3回やりました。3年目は崖っぷちでしたが、そのころに始めたのが格闘技です。医者とは別のもう一つの人生を歩みたいという自分探しをして、それが見つからずにいたところで、格闘技にはまりました。格闘技をやると同時に勉強もやるというシンプルなスタイルを確立してからは、歯車が回り始めた感じでした。
格闘技はもともと見るのがすごく好きでした。ある時、格闘技をやりたいという先輩とジムを見学に行ったら、素人ながら割とうまくできたのですが、根性論が強めのジムだったので、自分でやろうと思い大学でサークルを作って始めました。休み時間に格闘技のDVDを見て、放課後に技を練習することを繰り返していたら、口コミで少しずつ人が増えていきました。それで周りから「そろそろ試合に出てくださいよ」という話になって、乗せられて試合に出ることになりました。
初出場のアマ大会で優勝
池井さんは2006年7月、キックボクシングイベント「RISE」のアマチュア日本一を決める大会「KAMINARIMON」の80キロ以下級トーナメントに出場して、いきなり優勝する。同大会の優勝者にはRISEのプロ大会への出場資格が与えられ、同年9月のプロ大会に出場してプロデビュー。翌年の大会では準優勝を飾った。
── アマチュアとはいえ、初めて大会に出ていきなり優勝ですか。
池井 「独りガラパゴス現象」と言っていますが、自分で独自に作り上げた技術体系や練習法がすごくはまった。これは宅浪の経験が生きたと思います。そこからは、大きなジムに所属してプロ選手として活動しました。
── 先にプロ格闘家としてデビューした後、08年に医師免許を取得しました。
池井 研修医の2年間までは格闘技を一生懸命やりたいと思っていました。研修医2年目の大みそかがちょうど30歳の誕生日で、その年の年末の試合で勝つことを公言していました。そして、誕生日前日の10年12月30日の「戦極 SOUL OF FIGHT」というイベントの試合で実際に勝ち、自分の思った通りの30歳を迎えられたので、格闘技はそこで事実上引退して、医者に専念した格好です。
「やりたいことで満足感を得るからやるべきことを頑張れる。両方やらないとうまくいかない」
── 格闘技と医師の両立で大変だったことは?
池井 私の場合は両方やっていないとうまく回らないことが経験上、分かっていました。やりたいことで満足感を得るから、やるべきことを頑張れるし、やるべきことを頑張ったご褒美としてやりたいことをやっているという感じで、この循環が非常に大事です。
── 医師の道では内科を専攻しました。
池井 実家は総合病院ですが、メインは内科です。それに内科はいろいろなことができるので、進むなら内科だと思っていました。スポーツ選手をやっていた経験を生かし、トレーニングやダイエットの専門家としても活動していたので、ヘルスケアと医療を両方やれる医者になりたいという思いがあり、そういう活動には内科がマッチします。
ただ、いつものことですが、自分のやりたいことを見極めるのが人よりゆっくりで、格闘技で一線を退いた3…
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週刊エコノミスト
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