ノマド(遊牧民)の音楽家――小川紀美代さん
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バンドネオン奏者 小川紀美代/108
演奏するのが難しい蛇腹楽器「バンドネオン」に魅せられ、国内外を演奏して回る旅を続ける小川紀美代さん。音楽によって自身に新たな出会いが生まれ、また自身も人と人とをつないでいる。(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)
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── アルゼンチンタンゴでよく使われる蛇腹楽器「バンドネオン」の奏者として昨年11月、フランスのジャズバンド「メスカル・ジャズ・ユニット」を招き、山形や東京、京都など7府県を回る8公演の全国ツアー「Music Caravan Project~旅する音楽祭~」を開催しましたね。
小川 大成功でした。企画を含めれば2年越しのプロジェクトで、ツアーのブッキング、興行ビザ申請、クラウドファンディングも含め、メンバーの招聘(しょうへい)、金策、集客、事務、雑務、経理なども受け持っての演奏でした。弱小音楽家のわずかな蓄えをつぎ込み、足りない分はクラウドファンディングで資金を募りました。皆さんの協力、支援がなければできなかったことで、本当に感謝しています。
── 公演では群馬県上野村の村立上野小学校も会場になっていました。
小川 地元の主催者や教育委員会の方々のご尽力で村全体の大イベントになりました! 小学校の先生がピアノを弾き、子どもたちが合唱して、曲の2番からバンドが入って演奏した時は、涙が止まらなくなりました。音楽をやっていて本当によかった、と。保育所や小学校、中学校の子どもたちが一堂に集まり、バンドメンバーへの質問コーナーや子どもたちと校長先生が書道を実演する「ライブ書道」など、素晴らしい時間を過ごしました。
── 何が小川さんのツアーにかけるモチベーションになっていたのでしょうか。
小川 バンドネオン奏者を始めて20年ぐらいになりますが、新型コロナウイルス禍で絶望感を感じました。コンサートをはじめ仕事がすべてキャンセルになってしまったのです。音楽はコンサート会場で時間を共有するのが本来のあり方だったのですが、コロナ禍の3年間でスマートフォンの動画サイトで見て、5秒で飽きられる時代になってしまいました。コロナ禍は明けても、私たちの仕事は前の状態に全然戻っていません。
── CDも売れなくなったと聞きます。
小川 そうなんです。ただ、私の経験上、すごく心に残るコンサートでは、お客さんはみんなCDを買ってくれる。今回もきっとそういうツアーになると説得して、メスカルのメンバーと5曲を録音した新アルバム「Long Distance/長距離」を300枚作りました。欧州でもCDは売れなくなっていて、メンバーも「何でCDを作るの」と言っていましたが、結果はまさかの完売です。売り切れるとは予想していませんでした。
蛇腹の押し引きで異なる音
── 4人組のメスカル・ジャズ・ユニットは、南仏を拠点にグルーブ感のあるヨーロピアン・ジャズに欧州の伝統的音楽を融合させながら、世界各国のミュージシャンとも幅広く共演しています。小川さんとの出会いは?
小川 メスカルのマネジャーが約10年前、私の音楽をネットで見つけてずっとアプローチを続けてくれていました。コロナ禍で日本で仕事を失っていたために時間ができ、2021年11月と翌年4月にフランスツアーが実現しました。私はもともとジャズピアノを弾いていたこともあり、インプロビゼーション(即興演奏)が中心なんですが、アドリブができるバンドネオン奏者って少ないんです。作曲できることも大きかったみたいですね。
── 音楽の感性もぴたりと合った?
小川 私は国内外含め、ツアーでの演奏が多いのですが、彼らも地元中心に活動しながら東欧やインド、ベトナムなど各国へ行く「旅するバンド」なんです。そのスタイルに興味を引かれ、一緒にやってみたらすごく合いました。フランスツアーの後、彼らに日本でのツアーを打診されましたが、(日本の)音楽事務所に掛け合ってもうまくいかず、私が個人で彼らの興行ビザを取ることにしました。本当に大変でしたが、貴重な経験となりました。
「“悪魔が作った楽器”とともに旅はまだ続く」
蛇腹を押し引きして演奏するバンドネオンは、アコーディオンと一見似ていても異なる楽器。アコーディオンより小ぶりに見えるが、重さは約7キログラムと演奏には体力も使う。バンドネオンにはさまざまなタイプがあり、小川さんは左右に計71個あるボタンを押して演奏する「ディアトニック式」を使用。同じボタンを押していても蛇腹を押す時と引く時で異なる音が出たりするなど、演奏は極めて難しく「悪魔が作った楽器」とも呼ばれる。
── バンドネオンはアルゼンチンタンゴに欠かせない楽器ですが、実は19世紀ドイツが発祥だそうですね。
小川 不思議な楽器なんですよね。アルゼンチンでタンゴは盛んに演奏されるのに、バンドネオンはいまだに作っていない。私は日本中、車で走り回ったり、放浪癖が高じてアルゼンチンにも7、8回演奏に行ったりしていますが、バンドネオンもドイツで生まれてイタリアへ流れ、移民とともに船でアルゼンチンへ渡って定着した「旅する楽器」なんです。
学生時代からピアノで生計
── バンドネオンとの出会いは?
小川 ドイツの「ECM」というジャズ・レーベルがすごく好きで、愛聴していたシリーズの中に大ファンになった…
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週刊エコノミスト
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