教養・歴史ロングインタビュー情熱人

“傷痕”を抱えた人を撮る――大石芳野さん

「希望は一人一人が自分で見つけ出すもの。人から与えられるものではない」 撮影=高橋勝視
「希望は一人一人が自分で見つけ出すもの。人から与えられるものではない」 撮影=高橋勝視

写真家 大石芳野/104

 ベトナム、カンボジア、広島、長崎、沖縄……。国内外の戦争や災害の現場で“傷痕”を抱えながら生きる人々にレンズを向けてきた。しかし、今なお紛争が勃発し続ける現実に怒りを隠さない。(聞き手=大宮知信・ジャーナリスト)

>>連載「ロングインタビュー情熱人」はこちら

「“戦争は終わっても終わらない”が私のテーマ」

── 昨年10月、一般財団法人澄和(とわ)が主催する第8回「澄和Futurist(フューチャリスト)賞~平和、人・自然 なごむ世界へ~」(毎日新聞社後援)を受賞しました。ベトナムやカンボジアなど戦争の悲劇に見舞われた地で、ひたむきに生きる人々の姿を撮り続けています。

大石 私のテーマは、写真集のタイトルにしている通り『戦争は終わっても終わらない』(藤原書店、2015年7月刊)です。これは私の20代からのテーマで、この写真集では広島や長崎、沖縄、コリアン従軍慰安婦など、日本がかかわった戦争の傷痕や、苦しみながらも生きる人々を収めた写真を集めて1冊の本にしています。

 私は(報道写真家の)石川文洋さんのように、従軍して戦闘場面を撮ったりはしていませんが、「戦争が終わっていない」国にはいくつも行っています。表面的には平和条約締結などで戦闘は終結していても、その傷痕に苦しむ人は大勢います。それが、写真集のタイトルにした理由であり、私の写真家人生の多くを占めている柱の一つですね。

── さまざまな国に取材に行かれていますが、特に印象に残っているところは?

大石 記憶に残っているところはたくさんありますが、やっぱり一番驚き、ショックだったのは、カンボジアの大虐殺後の状態ですね。カンボジアの難民がどっとタイの国境に現れた。なぜタイの国境に現れたかというと、170万人ともそれ以上ともいわれる虐殺があったからです。日本で難民という言葉が実体化したのは、その1979年のカンボジア難民からといわれていますね。

── ポル・ポト政権時代(75~79年)の悲劇ですね。

大石 当時はそうした大虐殺についてうわさや少ない報道はありましたが、それを確かめる術(すべ)はありませんでした。そうした中で、虐殺を逃れたカンボジアの人たちが78年末から、どっとタイの国境や東のベトナムの国境に現れて大騒ぎになり、初めて世界中にこの虐殺の事実が伝えられたわけです。私は80年1月にタイ国境の難民キャンプへ行き、7月にカンボジア国内へ入りました。

「地獄から戻ってきた」人たち

── 私は当時、大虐殺のニュースを半信半疑で聞いていたことを覚えています。

大石 当時、日本では否定されていたんですね。虐殺はなかったと。その時のカンボジアの人たちは、本当にたった今、地獄から戻ってきたような顔をして……。家族や友人たちを殺されている人たちばかりで、自分も大変な思いをして生き延びていました。ポル・ポト政権側にいた人たちもひどいことをしたと思っている。ひどいことをされた人たちは、もっと悲惨な状態になっていたのです。

 私はポル・ポト政権以前の66年にもカンボジアへ行きましたが、その時の姿はほとんどありませんでした。「虐殺現場」といわれたところにはたくさんの穴があり、南国の炎天下で殺された人たちが掘り起こされて、たくさんの遺骨が穴の周りに並べられていました。悪臭もあり、汗と涙と吐き気に襲われたことを今でもはっきりと思い出します。

「男というだけで殺された」というカンボジアの実相を、写真と文によるリポート『女の国になったカンボジア』(潮出版社、80年▽講談社文庫、84年)として世に知らしめた大石さん。ベトナムの美しい自然と戦争の傷痕を収めた『ベトナム凜と』(講談社、00年)では01年、写真界の直木賞といわれる「土門拳賞」を受賞した。戦争の被害者だけでなく、加害者にも会って話を聞き、撮影するのが大石さんのスタイルだ。  大石さんが主に愛用するのは、フィルムカメラのライカM6。話を聞きながら撮る対面取材が多く、望遠レンズはあまり使わない。19年にはベトナム、カンボジアのほかアフガニスタン、コソボ、スーダンなどの戦争犠牲者の姿を捉えた『戦禍の記憶』(クレヴィス)、97年から20年余り撮り続けた被爆者の中から約130人の記録を収めた『長崎の痕(きずあと)』(藤原書店)を刊行したほか、各地で精力的に写真展も開催する。

ベトナム戦争で得た決意

── 日本大学芸術学部写真学科で写真を勉強されましたが、最初から写真家になろうと思ったのですか。

大石 写真学科の先輩に言われたのは、「こんなに学生がいるけれど、この中で写真家になれるのは1割もいないだろう」って。その一言で、私なりにいろいろ考えさせられたんです。結論から言うと、だったらその1割の写真家になろうと思ったわけですね。それでも他にいい道があれば、いつでも変えたいという気持ちはあったんです。そうした気持ちを抱きながらも、写真家になろうと思ったもう一つの理由は、ベトナム戦争です。

 在学中の66年、戦争が激しくなった直後のベトナムへ行きました。私を含めて日本人が5人と、ベトナム、タイ、カンボジアの留学生3人で、留学生には日本語が話せるということで通訳として一緒に行ってもらったんです。その前の年には、(南ベトナム軍の軍人がべトコン少年のこめかみを拳銃で撃ち抜い…

残り2331文字(全文4531文字)

週刊エコノミスト

週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。

・会員限定の有料記事が読み放題
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める

通常価格 月額2,040円(税込)

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事