教養・歴史ロングインタビュー情熱人

映画「すべて、至るところにある」を監督――リム・カーワイさん

「コロナ禍ではどこにも行けず、やりたい仕事もできなくなって、気分がふさぎがちになりました」 撮影=武市公孝
「コロナ禍ではどこにも行けず、やりたい仕事もできなくなって、気分がふさぎがちになりました」 撮影=武市公孝

映画監督 リム・カーワイ/107

 「シネマ・ドリフター」(映画の漂流者)を名乗り、大阪を拠点に国境を越えて映画を撮り続けているマレーシア出身のリム・カーワイ監督。最新作「すべて、至るところにある」が公開中だ。「漂流者」を自称するゆえんを聞いた。(聞き手=井上志津・ライター)

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── 現在公開中の映画「すべて、至るところにある」は、バルカン半島を舞台に2017年と18年に撮った2作に続く「バルカン半島3部作」の完結編です。なぜバルカン半島で撮ろうと思ったのですか。

リム 僕がバルカン半島を初めて訪れたのは16年の夏です。当時、中国で撮った映画があまりうまくいかず、落ち込んでいたので気晴らしに旅に出ました。北京から鉄路でロシアを縦断し、たどり着いたのがバルカン半島で、スロベニアとマケドニアに行きました。バルカン半島というと、かつては「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、最近も宗教と民族の対立があって、ずっと紛争が起きているイメージがありました。

 でも、僕が行ったころはみんな心に傷を持ちながらも平和に暮らしていて、その姿に感動しました。スロベニアでゲストハウスを経営するトルコ人と親しくなり、彼に出演してもらって、翌17年から、第1作の「どこでもない、ここしかない」(18年)の製作に入りました。女癖が悪くて妻に逃げられる男のお話でした。

── 本作は20年に撮るはずが、新型コロナウイルス禍で延期になったのですね。

リム 2年間渡航できず、22年夏にようやく出発しました。僕自身、この2年はどこにも行けず、やりたい仕事もできなくなって、気分がふさぎがちになりました。22年はまだコロナ禍が続いていたこともあって、本作は前2作と比べて僕の心の状態がかなり反映された作品になったと思います。

── リムさんと俳優の尚玄さん、アデラ・ソーさん、カメラマン、録音の5人が1台の車に乗って撮影したとか。

リム セルビア、北マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナを回りながら約1カ月間撮影しました。脚本はなく、僕が現地で出会った人々と場所を生かして思いついたせりふを出演者に話してもらうスタイルです。以前は自分で書いた脚本を元に撮影していましたが、もっと自由に作品を作りたくて、「どこでもない、~」の時からこの形に落ち着きました。

「コロナ禍と戦争の時代を生きる人にささげる」

── 出来上がってみての感想は?

リム 16年にバルカン半島に出会って、バルカン半島の映画を撮りたいという目的をやり遂げたので、達成感があります。新型コロナのパンデミック(世界的大流行)と戦争の時代を生き抜く、自分を含めみんなにささげる映画になったと思います。

旧ユーゴの巨大建造物を背景に

「すべて、至るところにある」はマカオ出身のエヴァ(アデラ・ソー)が旅先のバルカン半島で映画監督のジェイ(尚玄)と出会うが、新型コロナのパンデミックと戦争が世界を覆う中、ジェイが失踪してしまう……というストーリー。ジェイの作品として前2作が登場する形になっている。 映画では、旧ユーゴスラビア時代に各地で記念碑として作られた「スポメニック」と呼ばれる独特な形状の巨大建造物や、世界文化遺産に登録されたボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルの「古い橋」など、美しい景色を背景に現実と虚構が行き来する。スポメニックをバックにジェイがコロナ禍や戦争について思いを吐露する場面が印象的だ。

── リムさんはマレーシアの出身です。どんな環境で育ったのですか。

リム 僕は7人きょうだいの6番目。クアラルンプールで父は靴屋、母は実家のワンタン麺屋で働いていて忙しかったので、赤ちゃんのころから7歳まで親戚の家に預けられていました。1カ月に1度ぐらい家に帰るんです。だから家族との関係はそんなに深くなくて、良くいえば自由に育ち、悪くいえば家族の絆をあまり感じたことがありません。今、「シネマ・ドリフター」(映画の漂流者)になっているのも、そんな子ども時代が起因している気がしますね。

── 1993年に来日して大阪大学基礎工学部に進学しました。日本の大学を選んだのはなぜ?

リム 民族が多いマレーシアでは、主流のマレー系民族を優先して大学に入学させる制度があったので、僕のような中華系やマレー系以外の学生は、アメリカやイギリスなど海外の大学に留学するのが普通だったんです。当時のマハティール首相が(日本や韓国の経済発展に学ぶ)「ルックイースト政策」を打ち出して日本ブームが起きていたのと、僕は理系だったので、日本で最先端のエレクトロニクスを学ぼうと考えました。

変化するアジアと日本の関係

── 映画監督になろうとは考えていなかったのですね。

リム 映画は好きでしたが、まったく考えていませんでした。卒業後は東京の外資系通信会社に就職し、エンジニアになりました。でも、だんだん自分はエンジニアに向いていないということが分かってきたんです。僕は人と会うのが好きなのに、人と会わない仕事だったので……。自分のやりたいことは何かと考えた時、それは物語を語ることだと思ったので、6年勤めた会社を辞めて「北京電影学院」(中国の映画人材養成大学)の監督コースに入りました。

 大学4年の夏にたまたま原一男監督の「CINEMA塾」に参加して、楽しい思いをした経験も影…

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