週刊エコノミスト Onlineロングインタビュー情熱人

沈んだ漁船の謎に迫る――伊澤理江さん

「漁業関係者から沈没事故の話を聞いた時、広がりを持つ話だと確信しました」 撮影=武市公孝
「漁業関係者から沈没事故の話を聞いた時、広がりを持つ話だと確信しました」 撮影=武市公孝

ジャーナリスト 伊澤理江/111

 漁船が転覆し、17人の船員が亡くなった。「転覆は波の影響によるもの」とする国の運輸安全委員会の調査は本当に正しいのか──。著書『黒い海 船は突然、深海へ消えた』にかけた思いを聞いた。(聞き手=永野原梨香・ライター)

>>連載「ロングインタビュー情熱人」はこちら

── 著書『黒い海 船は突然、深海へ消えた』(講談社、2022年)で昨年、第45回講談社本田靖春ノンフィクション賞、第54回大宅壮一ノンフィクション賞など、数々の賞を受賞しました。福島県いわき市の「酢屋(すや)商店」所属の中型巻き網漁船「第58寿和(すわ)丸」(135トン)が08年、千葉県沖の太平洋で突然沈没した事故の謎を追っています。

伊澤 真っ先に「よかった」と安堵(あんど)しました。自分の企画を考え、問題を見る目が間違っていなかったと確信しました。取材を始めた当初は、「なぜ誰も覚えていない、そんな事故の取材をしているのか」などと言われ、変わり者扱いされたこともありましたが、受賞という形で評価されたことがうれしかったです。

── 乗組員20人のうち17人が亡くなる事故でしたが、生存者や漁業関係者も今回の受賞を喜んでくれたのでは?

伊澤 酢屋商店の社長、野崎哲さんのところには、いろいろな人から電話やメールがあり、「大変だったんだね」と会社に一升瓶を持ってきた人もいたそうです。多くの取引先や漁業関係者はこの本ではじめて、事故の関係者が理不尽な状況に立たされていることを知り、遺族は事故の詳細を知ったそうです。

 第58寿和丸の沈没事故が起きたのは6月23日。千葉県銚子市の犬吠埼から東へ約350キロの沖合だった。生存者は2度の衝撃と異様な音を聞いており、沈没した一帯は油が浮き真っ黒になっていた。現場の波は2~3メートルと高かったものの、沈没につながるような状況ではなかったという。そのため、何らかの物体が衝突して船体破損したことによる転覆を疑う声が上がったが、国の運輸安全委員会は11年4月、「事故原因は波」と結論を出し、調査を終了している。

── この事故を知ったのは、偶然だったのですね。

伊澤 いわき市の地域紙『日々の新聞』の編集長、安竜昌弘(ありゅうまさひろ)さんらを19年に取材した時のことです。福島第1原発事故の処理水排出問題に関する日々の新聞の取材に同行した際、漁業関係者から沈没事故の話を聞きました。その時は少し話を聞いただけでしたが、帰りの電車の中でテーマとして広がりを持つ話だと確信していました。生存者は「大量の油が浮いていた」と証言しており、船のどこかが破損しない限り、大量の燃料油は浮かないはずです。

 しかし、転覆は波によるものとする運輸安全委の事故調査報告書の内容は、当事者たちの証言と大きく食い違っていて、実際にはどのような事故だったのかということを証言に忠実に記録に残したいと思いました。多くの船舶の専門家の反応もそうでしたが、事故調査報告書はよくできていて、これだけを読むと「波で沈没した」と誰もが疑わない内容になっています。調査報告書の発表後、メディアもこの事故について追わなくなりました。

── 延べ100人ほどの関係者にしらみつぶしに当たっています。

伊澤 何が大変だったかといえば、これは誰も受けたくない取材だったことです。取材は受けなければならないものではなく、取材を受けるかどうかためらった生存者もいました。専門家からも行政からも「嫌だなって思ったんだけど……」と言われましたね。また、当時の関係者が現在、どこにいるか分からない人も多く、探し出すのが大変でした。

── 生存者は調査報告書には納得していたのですか。

伊澤 生存者の一人は会った瞬間、私から質問する前に怒りがあふれてきて、いかに自分の証言が聞いてもらえなかったか、調査官から結果ありきの聴き取り調査をされたか、といったことを話し始めました。事故の記憶も詳細でした。誰にも怒りをぶつけられず、納得できないまま長年、いろいろなことを反すうしながら生きてきたのだと思います。

「小さな声にこそ大事なものがあるはず」

── 発表された内容の報道だけでは分からないことだらけですね。

伊澤 権力の発表した内容を大きな声とするならば、それはよく通ります。それを書くことは誰からも非難されません。小さな声、こちらから会いに行って聞かないと絶対に出てこない話にこそ大事なものがあるはずです。

開示されない調査資料

── 船の構造やタンクの位置など、専門性の高い話を一から勉強し取材するのは、根気のいるものだったのでは?

伊澤 漁船には乗ったことはないし、船も数えるほどしか乗ったことがない。インタビューした際の音源には、漁業や漁船についての知らない用語だらけ。生存者の一人、新田進さんからは「これを見たほうが早いよ」と、解説動画を送ってもらったこともありました。文献も何冊も読みましたし、書籍化する際は専門的な用語や構造など、何度も何度も間違えていないかチェックしました。

「どこかの国の潜水艦の衝突だと確信している。何より、当事者の声を軽視して調査報告書がまとめられた」

── 取材の結果として、潜水艦による衝突の可能性を提起しています。

伊澤 船体が破損しない限り、大量の油は漏れないでしょう。船体が引き上げられていないので何ともいえ…

残り2272文字(全文4472文字)

週刊エコノミスト

週刊エコノミストオンラインは、月額制の有料会員向けサービスです。
有料会員になると、続きをお読みいただけます。

・会員限定の有料記事が読み放題
・1989年からの誌面掲載記事検索
・デジタル紙面で直近2カ月分のバックナンバーが読める

通常価格 月額2,040円(税込)

週刊エコノミスト最新号のご案内

週刊エコノミスト最新号

4月30日・5月7日合併号

崖っぷち中国14 今年は3%成長も。コロナ失政と産業高度化に失敗した習近平■柯隆17 米中スマホ競争 アップル販売24%減 ファーウェイがシェア逆転■高口康太18 習近平体制 「経済司令塔」不在の危うさ 側近は忖度と忠誠合戦に終始■斎藤尚登20 国潮熱 コスメやスマホの国産品販売増 排外主義を強め「 [目次を見る]

デジタル紙面ビューアーで読む

おすすめ情報

編集部からのおすすめ

最新の注目記事