週刊エコノミスト Online 歯科技工士だから知っている「本当の歯」の話
➊関わりが深い歯科技工士 林裕之
歯科医の裏方が実務の合間に体と歯を学び直し、「本物の歯科技工士」となる前後を含めた体験を赤裸々につづる。
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私は今年68歳になります。これまでに上下で7本の歯を失いました。幸い歯科技工士なので自分で作った入れ歯で快適に噛(か)むことができます。いわゆる歯の弱いタイプですので、虫歯や歯周病の痛み、不安、噛めないときの不自由さなど患者さんの気持ちが痛いほど分かる歯科技工士です。
歯を失う2大原因は虫歯と歯周病ですが、日本人の喪失歯数はどの年齢層も減少傾向にあります(図)。とはいえ、0本になったわけではありませんし、高齢になるほど失う歯の本数が増える傾向に変わりはありません。また、虫歯や歯周病のなりやすさなど個人差が大きいのも歯科疾患の特徴です。若くても喪失歯が多い人もまれではありません。
歯科治療の大きな特徴は金属や樹脂などを用いて物理的に歯を修復することです。虫歯を削り取った箇所は詰め物(インレー)やかぶせ物(クラウン)で元の歯の形に修復しますし、歯周病などで抜けた箇所はブリッジ(かぶせ物の一種)や入れ歯などの人工の歯で補います。いずれにしても、きちんと噛めるように機能回復させることが歯科治療の最終目的です。
生命活動の基本は食べることです。十分なエネルギーと栄養を摂取し続けなければ死んでしまいます。そのために不可欠なのが、上下左右でバランスよく噛める28本の歯(親知らずがある場合29〜32本)です。たとえ虫歯や歯周病になってもきちんと修復し噛む機能を回復することが生命維持の第一歩であり、健康の源となります。
見かけない歯科技工士看板
歯科での主な修復物は詰め物、かぶせ物、ブリッジ、部分入れ歯、総入れ歯です。これらを歯科医師が作っていると思っている方が多いようですが、それは誤解です。ほぼ全てを歯科技工士が作っています。
歯科技工士は専門学校や短大(2〜3年)を卒業し、歯科技工士国家試験に合格した者で、全国で約3万5000人が働いています。しかし、世間での認知度は決して高くなく、仕事内容も知られていません。
全国には歯科医院が約6万8500あります(2019年厚生労働省調査)。コンビニ(5万7000)より多く、「歯科」の看板は目に付きます。ところが、「歯科技工」の看板となるとまず見かけることはないでしょう。歯科技工士の仕事は歯科医から請け負う形になっているからです。取引先は歯科医一択の典型的なBtoB(企業間取引)で、エンドユーザーである患者さんと直接関わることはありません。ゆえに一般に向けた派手な看板もホームページも必要なく、それが歯科技工士が知られていない一因でしょう。
しかし、皆さんの口の中には詰め物やかぶせ物、ブリッジ、入れ歯などが少なくとも一つは入っていると思います。それらを作ったのは我々歯科技工士です。知名度の低い歯科技工士ですが、皆さんの口(歯)と健康への関わりはとても深いのです。
噛み合わせと全身の大切さ
近親に歯科関係者もおらず、歯の本数さえ知らなかった高校生が歯科技工士になって四十数年。私の経歴は他の歯科技工士とは少々違っています。1978年に東京にある歯科大付属の歯科技工専門学校を卒業し、国家試験に合格して免許を取得。アルバイトを含めて歯科技工所に3年、歯科クリニックに7年勤務したのち、30歳で歯科医師を雇って歯科医院を開業し独立しました(多い時で歯科医師が5人)。
ほぼ同時期に「噛み合わせと全身」の研修会である通称「市波コース」を3年間受講しました。これが運命の出会いだったのです。受講後、診療方針を変更し現在は歯科医師である弟(「市波コース」受講者)の歯科医院で歯科技工士として働いています。
歯科技工士が歯科技工所でなく歯科医院を開業し、独立したことはかなりのレアケースです。ただ、それよりも特筆したいのは「噛み合わせと全身」の勉強をしたことです。噛み合わせが悪いと頭痛や肩こりの原因になるなど、それに歯が関係していることは今では一般的ですが、勉強を始めた90年当時の歯科界ではほぼ知られておらず、この説への反発も大きかったものです。私は「噛み合わせと全身」の勉強をする機会に恵まれました。この勉強以前は「普通の歯科技工士」、以後に「本物の歯科技工士」になったと自負しています。
「普通の歯科技工士」だった10年間も、一生懸命、真面目に仕事に取り組んできたつもりですが、「噛み合わせと全身」と並行して学んだ解剖学や生理学で人間の体の構造や機能を知り、人類学ではヒトの成り立ちや日本人のルーツを知ることとなりました。この学びは自分自身を知ることにほかならず、恥ずかしながら30歳にして初めて勉強する楽しさを知りました。
一生懸命に間違い
同時に痛感したのは普通の歯科技工士時代の無知さ加減です。歯と体が密接に連動していることを知らなかったために、「一生懸命間違った歯科技工」をしていたのです。人様の口に入るもので生活していたわけですから、それまでの仕事に罪を覚え、気持ちの折り合いをつけるまではかなりの年月を要しました。それほど私にとって衝撃的な「事件」だったのです。
さらに、自分の歯の治療もそれまでの間違った方法で何本ものかぶせ物やブリッジを入れてしまっていたので、後悔はなおさらでした。ただ、この間違ったかぶせ物やブリッジが原因で、片頭痛や首や肩の重度なコリなどさまざまな症状や体調不良を実体験することができたともいえます。また、間違った治療が歯の寿命を縮めることも身をもって体験し、数本の歯を失いました。正しい方法を知らなかったとはいえ自業自得なのですが、この体験のお陰で患者さん側に立った仕事ができるようになり、不幸中の幸いと今は割り切っています。
「本物の歯科技工士」となって三十数年が過ぎ、正しい歯科治療と歯科技工で咬合(こうごう)(噛み合わせ)を回復、維持することで心身の健康に寄与できる喜びを感じられていますが、従来の歯科治療や予防法の問題点も見えてきました。この連載を通じて、噛み合わせと全身、咀嚼(そしゃく)と健康、歯の色や歯並びに対する誤解と思い込み、入れ歯への偏見が生み出す健康被害、そして、いい歯医者と悪い歯医者の見分け方などを私の実体験を基にお伝えします。
■人物略歴
はやし・ひろゆき
1956年東京都生まれ、歯科技工士。77年日本歯科大学付属歯科専門学校(現日本歯科大学東京短期大学)卒業。歯科技工所、歯科医院勤務を経て、歯科医師の弟(林晋哉)の林歯科(千代田区平河町/自由診療)で、「顎・口腔系」の技工を担当。「咀嚼と健康」「歯の誤解と正しい知識」などをテーマに講演活動も行う。
週刊エコノミスト2024年5月28日号掲載
歯科技工士だから知っている「本当の歯」の話/1 関わりが深い歯科技工士 林裕之