アンメットに応える肥満症治療薬でノボとリリーが世界席巻 中桐成美/中西拓司
新型コロナウイルスの終息以降、株価拡大の「材料」が不足していたバイオ医薬業界に旋風が巻き起こっている。成人の肥満が増加の一途をたどる中で、画期的な体重減少効果を示す肥満症治療薬が今、市場を席巻している。そして、その旋風の中心にいるのが、デンマークの製薬企業ノボ・ノルディスクと、米イーライ・リリーという「2強」だ。
「患者のアンメットニーズに貢献していきたい」──。リリー日本法人のシモーネ・トムセン社長は5月8日、東京都内で開いた記者会見でこう述べ、糖尿病治療薬として販売している「マンジャロ」を、肥満症治療薬チルゼパチド(一般名)としても使えるよう厚生労働省に承認申請したことを明らかにした。「アンメットニーズ」とは、まだ満たされていない顧客(患者)の潜在的な需要を指す。
肥満症は糖尿病や高血圧といった生活習慣病だけでなく、がんや認知症などのリスクを高める「万病のもと」とされるが、有効な治療法がなかった。国内では処方箋が必要な医薬品の肥満症治療薬としては約30年ぶりにノボの「ウゴービ」が今年2月に承認されており、チルゼパチドも認められればノボとリリーの「2強」による肥満治療薬が国内でも出そろうことになる。
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世界保健機関(WHO)は今年2月、世界の肥満人口は2022年時点で10億人超(8人に1人に相当)に達し、1990年に比べると成人の肥満は2倍以上に増えたとする推計結果を公表した。一方、不健康な食事や運動不足、喫煙、過度の飲酒などで起きるがんや糖尿病などの慢性疾患を「NCDs」(非感染性疾患)と定義し、これにより世界全体の死者の74%に当たる4100万人が毎年亡くなっているとも分析する。
GLP-1受容体作動薬
人類の脅威になり得る肥満問題の突破口になりそうなのが、ウゴービやチルゼパチドにも含まれている「GLP-1(グルカゴン様ペプチド-1)受容体作動薬」だ。その元は、米国原産のアメリカドクトカゲの唾液腺から採取された物質を人工合成で作成したものとされる。膵臓(すいぞう)に働きかけて、血糖値を下げるインスリンを分泌させる効果があり、2型糖尿病の治療薬として開発された。
ノボは17年にこの薬を使った糖尿病薬「オゼンピック」を発売。この体重減少効果に着目し、21年に肥満症薬「ウゴービ」として発売して大ヒットした。1年強の投与で約15%の減量効果があるという。胃の働きを抑えてゆっくり消化させ、血糖値を抑えるとともに、満腹感を維持して食べ過ぎを抑え、体重増加を抑える効果もある(図2)。
ウゴービの治験に参加し、実際に患者に処方している神戸大学大学院医学研究科の小川渉教授(糖尿病・内分泌内科学)は、ウゴービの体重減少効果について「これまでの肥満症治療薬とはケタ違いの効き目といっていい」と話す。米科学誌『サイエンス』は23年の革新技術を紹介する「ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー」にGLP-1受容体作動薬を選んだ。
そのノボをリリーが追う。両社とも1920年代にはインスリンの開発を手がけるなど、糖尿病分野では長年のライバル関係にあったが、肥満症治療薬の分野でもぶつかった格好だ。リリーは22年にマンジャロを開発。23年にはマンジャロを肥満症注射薬「ゼプバウンド」に転用して米国で発売した。ゼプバウンドは1年強の投与で20%超の減量効果を示したという。
「注射」から「飲み薬」へ
肥満症治療薬の好調を受け、ノボとリリー株価はうなぎのぼりだ。ノボ株価は19年初に比べて5.7倍、リリー株価は6.6倍に上昇した(図3)。今後も肥満症治療薬市場は拡大する見込みで、医薬品データなどを扱う米IQVIAによると、23年は240億ドル(約3.7兆円)だった市場規模は、28年には740億ドル(約11.5兆円)になる見通しで、最大1310億ドル(約20兆円)規模になるとみている。
2強が先行する肥満症治療薬市場だが、開発競争は早くも「第2段階」に入りつつある。キーワードは「飲み薬」だ。現在の肥満症治療薬は腹部に自分で注射するタイプで、手間がかかるうえ個人によっては痛みがある。治療を途中でやめる患者も多く、体重がリバウンドすることもある。このため、より手軽な飲み薬の開発が急務になっていた。
中でも注目されるのが、リリーの「オルフォルグリプロン」だ。臨床試験(治験)としては最終の「第3相」に進んでおり、順調に進めば26年ごろの発売が見込まれる。大量生産が可能とみられており、供給が不足している肥満症治療薬の市場を一変させる可能性もある。そして、この薬の開発を手掛けたのは日本の中外製薬だ。
中外製薬は18年、オルフォルグリプロンの開発・販売権をリリーへ譲渡した。開発の進展に合わせて受け取る中外製薬の「マイルストーン収入」は最大3.9億ドル(約600億円)になる見通しだ(23年末時点)。商品化が成功した場合、売り上げの1ケタ台半ばから10%台前半のロイヤルティーを受け取る契約で、日本の製薬企業の技術力も光る。
ファイザー、塩野義も
「ノボ vs. リリー」の構図を横目に、その他の大手や新興企業も肥満症治療薬の参入拡大を目指している。コロナ後は売り上げ低迷に悩む米ファイザーは、飲み薬「ダヌグリプロン」で挽回を目指している。現在は第2相の治験中で、24年中に結果発表する予定だ。米バイキング・セラピューティクス(12年設立)も今年2月、飲み薬「VK2735」について、治験段階で平均15%近い減量効果があったと発表した。
新興の米ストラクチャー・セラピューティクス(19年設立)も、飲み薬の開発で生き残りを目指している。日本勢では塩野義製薬も独自の飲み薬の開発を進めており、治験は第2相が進行している。ウゴービなどとは異なるタイプの薬で、中性脂肪の吸収を抑える効果があるという。24年6月ごろまでに治験の結果が発表される見通しだ。
現在の肥満症治療薬よりも高い減量効果が期待できる注射薬タイプの「次世代型」も、今後の市場拡大の要因になり得る。ノボの「カグリセマ」、リリーの「レタトルチド」はともに「第3相」に進んでおり、26~27年ごろの発売が見込まれる。現在の注射薬は週1回、投与する必要があるが、米アムジェンが開発を進める「マリタイド」(現在は第2相)は月1回と利便性が高く、第1相の治験結果では減量効果が大きかった。
一方、肥満症治療薬は需要拡大に供給が追いついておらず、糖尿病患者への影響が懸念されている。糖尿病治療薬にも肥満症治療薬と同じGLP-1受容体作動薬が使われているためだ。急激な需要の拡大に対し、ノボ、リリーとも生産拠点の拡大を進めている。ノボの親会社ノボ・ホールディングスは24年2月、医薬品の受託製造を手掛ける米キャタレントの3工場を110億ドル(約1.7兆円)で買収すると発表。リリーも米国やドイツなどに工場を新設する計画だが、本格稼働する25年までは不安定な供給体制が続きそうだ。
神戸大学の小川教授は「画期的な効果を持つ肥満症治療薬が発売されたことは、肥満症で悩む人にとっては大きな福音だが、それによって糖尿病患者が適切な治療を受けられなくなることは問題だ。医薬品メーカーは、今後も安定供給という責任を果たしてほしい」と訴える。
(中桐成美〈なかぎり・なるみ〉大和証券アメリカ医薬品・医療機器アナリスト)
(中西拓司〈なかにし・たくじ〉編集部)
週刊エコノミスト2024年5月28日号掲載
肥満・がん・認知症 肥満 画期的な減量効果の治療薬 ノボ、リリー2強が世界席巻=中桐成美/中西拓司