百年近く前の荷風の小説を原案に現代日本の空虚の内実に迫る 寺脇研
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映画 つゆのあとさき
勤め先のキャバクラの、コロナ禍による閉店を告げる貼り紙をぼうぜんと見る若い女。そうか、あの時期の話か。踵(きびす)を返して街に出た女が歩く夜の歓楽街は、そうか、渋谷か。そして、朝帰りしたマンション自室は、同居していた男が金目のもの全部を持ち逃げした模様だ。
素寒貧となり、キャリーバッグ一つ引いてさまよう朝の渋谷は人通りもなく、烏の群れが路上に放置されたゴミを餌あさりしている……。この殺伐とした風景まで5分足らずの冒頭場面だけで、ヒロインの空虚な日常、浮遊する人生のあり方が伝わってくる。行き場のなくなった彼女は、出会い系喫茶で捕まえた男性客とのパパ活で日々の暮らしを成立させていくのだ。
これが、まぎれもなく令和の時代に実在する風景である。大きなマジックミラーの向こうに並ぶマスク姿の女たちを、こちら側から品定めしているのは大企業のサラリーマンかもしれないし、ひょっとすると下卑た政治家かもしれない。相互間の匿名性を前提に情欲を満たす男たちと、金品を得る女たち……。
嘆かわしい、と怒るなかれ。百年近く前の昭和初期、既に男女間のこうした構図は成立していた。そう、永井荷風が昭和6年に発表した小説『つゆのあとさき』は、銀座のカフェーを舞台に繰り広げられる若い女給たちとオジサンたちの色模様を描いている。銀座が渋谷、カフェーが出会い系喫茶と考えれば大して変わりはない。
この映画を生んだ一連のシリーズは、『鍵』『卍』『痴人の愛』など明治から戦前の昭和にかけての情欲系小説を令和の現在によみがえらせようという企画だ。同じ脚本家・監督コンビの『蒲団』もなかなかの出来だったが、これは…
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週刊エコノミスト
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