市場がはらむ価格以外の外部性に注目 独自の分析枠組みでデジタル経済を読解 評者・齊藤誠
『21世紀の市場と競争 デジタル経済・プラットフォーム・不完全競争』
著者 安達貴教(京都大学経営管理大学院教授) 勁草書房 3520円
あだち・たかのり
「不完全競争の経済学」の観点から、産業組織や競争政策などに関する問題を対象としたデータ分析、経済モデル分析を行う。著書に『データとモデルの実践ミクロ経済学』がある。
本書には不思議な魅力がある。多義的に解釈されがちな「市場」と「競争」について、経済学者として禁欲的なまでに限定的な意味付けを与えておきながら、デジタル経済の本質を見事に浮かび上がらせている。
特に、「競争」が「競合者が並立している状況」とのみ定義されるのは印象的である。供給者間の切磋琢磨(せっさたくま)の競争は、不問に付される。「競争」の効果も、消費者の選択肢の多様性を確保することに限定されている。
しかも、安達の分析枠組みは、標準的なミクロ経済学と大きく異なる。まず、標準理論では、市場に参加するヒトたちは、価格を介してのみつながる。しかし、安達は、価格以外にも、さまざまな外部性で売り手と買い手がつながる状態を出発点とする。通常、こうした外部性は、「市場の失敗」から生じるとされるが、安達にとって、外部性こそが、市場に不可欠な要素となる。
また、標準理論では、供給者の側にいっさいの利潤が生じない完全競争から出発する。しかし、安達は、固定費用を抱える供給者に、独占力に起因した利潤が生じる不完全競争を参照点とする。
こうした安達の分析枠組みは、プラットフォームの分析に好都合なのである。仮想空間上のプラットフォームでは、多数の売り手と買い手の間で、価格以外の外部性で影響を及ぼし合っている。そうした取引空間を提供するプラットフォーマーは、独占力を行使でき、貪欲に利潤を追求する私的主体である。
安達は、独自の分析枠組みを果敢に用いながら、独占的なプラットフォーマーの出現によって競争政策がラジカルな変容を迫られていることを明らかにする。
プラットフォーマーは利潤を獲得するのが当然なので、完全競争を出発点として、費用を超える利潤をすべて「不当な利潤」とするわけにはいかない。そこで、プラットフォーマーの利潤を、「自然なもの」と「作為的なもの」に切り分け、後者のみを競争政策の規制対象とする必要が出てくる。
日本の規制当局(公正取引委員会)は、時に供給者の「自然な利潤」にも踏み込んで過剰規制に陥った。安達は、日本のプラットフォーマーたちが過剰規制気味の規制当局に対して従順で保守的に対応してきたことに、日本がIT革命に乗り遅れた要因があったことを示唆している。
最後に、本書は経済学の書籍に大変に珍しく、経営学や法学の方に関心のある読者の心をつかむ潜在力があることも述べておきたい。
(齊藤誠・名古屋大学教授)
週刊エコノミスト2024年8月27日・9月3日合併号掲載
『21世紀の市場と競争 デジタル経済・プラットフォーム・不完全競争』 評者・齊藤誠