国際・政治 日韓関係
岸田首相の訪韓に「物足りなさ」を感じる韓国世論 澤田克己
退任を目前に控えた岸田文雄首相が韓国を訪問し、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領と会談した。日本側には関係改善の流れを確認しておきたいという思惑があったとされるが、韓国では「やめる人が何をしに来るのか」という戸惑いも語られた。11月の米大統領選の結果にも大きな影響を受けそうな日韓関係の今後を考える際には、日韓両国の温度差にも目を配る必要がある。
支持率低迷の尹政権
尹大統領はいま、極めて厳しい状況に置かれている。政権の中間評価と位置づけられた4月の総選挙で与党・国民の力は惨敗し、与党との関係はぎくしゃくしたままだ。総選挙前に目玉政策として打ち出した医療改革では、反発する医師のストライキがいまだに続いており、事態を収拾できない政府に批判の矛先が向いている。
にもかかわらず、尹大統領は妥協しない姿勢を貫いており、事態が好転する兆しは見えない。韓国ギャラップ社の調査では、総選挙前に30%台だった支持率は選挙後に20%台に低下したままだ。9月6日発表の調査では23%だった。
進歩派野党の主な攻撃材料となっているものの一つが対日政策だ。日韓の事前協議を経て世界文化遺産への登録が決まった「佐渡島(さど)の金山」についても、現地での展示に「強制労働」という言葉が使われていないのに受け入れたと問題視し、「屈辱外交」と政権批判のボルテージを高めている。
日韓関係を取材している韓国紙の記者は「いま岸田首相と写真を撮っても尹大統領にメリットはなく、むしろ野党に攻撃材料を与えるだけだ。それでも岸田首相が来るというなら歓待してしまうのが、尹大統領のキャラクターなのだけれど……」と話していた。
くすぶり続ける徴用工問題
政治的な分断と対立が深刻な現在の韓国では、野党は使えそうな攻撃材料を次から次へと繰り出してくる。対日政策も、そうした政争の具にされている側面は否定できない。それに呼応する世論が盛り上がっているとは言えなそうだ。昨年は東京電力福島第一原発からの処理水放出を容認した尹政権を攻撃するキャンペーンが展開されたが、世論への影響は限定的だった。佐渡金山への批判も、それによって訪日客が減ったり、日本製品の売り上げに影響が出たりというわけではない。
だが尹政権にとって痛いのは、支持層である保守派の間にも「尹大統領がこれだけ頑張っているのだから、日本はもう少し協力してもいいのではないか」という不満がくすぶっていることだ。尹大統領はまったく気にしていないとされるのだが、昨年来の日本の対応が不十分だという不満は政権内からも聞かれた。
よく引き合いに出されるのが、昨年3月に徴用工問題の解決策を発表した時に朴振(パク・チン)外相(当時)が口にした言葉だ。朴氏は、韓国側の措置によって「コップに半分以上の水が入った。残りは日本による誠意ある呼応によって満たされることを期待している」と語った。だが、水は注ぎ足されてなどいないというのである。
韓国側には賠償金の支払いを肩代わりする財団への日本企業の拠出に期待する声もあったが、実現しなかった。解決策の発表を受けて日韓の経済界が「未来パートナーシップ基金」を立ち上げたものの、日本企業の動きは鈍かった。日本との交流に熱心な韓国の企業経営者は当時、「日本企業がカネを出そうとしない。韓国世論の受けもよくないし、野党は攻撃材料にしている。そんな状況では、寄付したくてもできないよ」と話していた。
日本にも求めれる「後戻りさせない対応」
この間の岸田首相の対応についても、日本と韓国では受け止め方に温度差がある。日本政府関係者は、韓国に対する世論が厳しい中で岸田首相が前向きに動いて状況を動かしたと自賛する。韓国側にも理解を示す向きがないわけではないが、そう語る人は少数派だろう。
日韓シャトル外交の復活で昨年5月に訪韓した際、首相は徴用工について「当時、厳しい環境のもとで多数の方々が大変苦しい、そして悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」と発言した。日本側では踏み込んだ発言とされたものの、韓国ではむしろ、過去の談話で使われた「痛切な反省と心からのおわび」というフレーズを口にしなかったことへの不満が語られた。
背景には、文在寅(ムン・ジェイン)前政権下で強まった不信感から脱し切れていない日本側の事情、そして、それが韓国側で理解されていないことがある。韓国の日本研究者は「韓国では政権交代したら完全にリセットなので、前政権のことを言われても戸惑ってしまう」と話す。現在の状況に当てはめて意訳すれば、「尹政権がこれだけ頑張っているのに、まったく関係ない前政権への恨み節を言われても……」ということになる。継続性重視の日本とは政治風土が違うということだ。
ただ尹政権の間に関係改善をなるべく進め、誰が後任になっても簡単には後戻りできないようにするというのが日本の戦略であるならば、韓国世論の不満を「あまえ」だと切り捨てるのは得策ではない。少なくとも尹政権の支持層を納得させる程度の対応は必要になるのだが、前述した日本国内の不信感が足かせになっている。
外交に通じた韓国与党の重鎮に今回の訪韓についてたずねた。すると「韓日関係正常化のモメンタムを維持するためのレガシーを作ろうとする努力だろう。肯定的に見ている」と話しつつ、「もう任期を終える首相なのだから政治的負担は少ないだろうし、徴用工などの歴史問題でもう少し前向きな話をしてくれるといいのだが」と付け加えた。日韓関係や日米韓連携の重要性を昔から強調してきた人であるだけに、日本側との温度差を考えさせる言葉だった。
澤田克己(さわだ・かつみ)
毎日新聞論説委員。1967年埼玉県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。在学中、延世大学(ソウル)で韓国語を学ぶ。1991年毎日新聞社入社。政治部などを経てソウル特派員を計8年半、ジュネーブ特派員を4年務める。著書に『反日韓国という幻想』(毎日新聞出版)、『韓国「反日」の真相』(文春新書、アジア・太平洋賞特別賞)など多数。