教養・歴史 追悼

三國陽夫さんは数字と虚心坦懐に向き合う信念の“格付けアーティスト”だった 浜條元保・編集部

「財務分析がとにかく面白くて」と話す三國さん
「財務分析がとにかく面白くて」と話す三國さん

 財務分析一筋に生きた「国際経済の道しるべ」──三國陽夫さんが8月22日に亡くなった。天性のアナリストが分析対象としたのは、企業から国家財政、マクロ経済にまで及んだ。

みくに・あきお
 1939年新潟県生まれ。63年東京大学法学部を卒業して野村証券入社。69年日本人初の米CFA協会認定証券アナリストとなる。75年同社を退社して三國事務所を設立、83年社債の格付けサービス開始。2002~04年経済同友会副代表幹事を務める。09年末で格付け業務を終了。主な著書に『円の総決算』(講談社)、『黒字亡国』(文春新書)。

「金融業界で最も尊敬する一人でした」

 銀行アナリストとして活躍し、現在東洋大学で教壇に立つ野崎浩成教授が三國陽夫さんをしのぶ。85歳だった。

 日本がバブル景気に沸き上がる以前の1975年に日本初の独立系格付け会社を起業し、83年から海外の機関投資家向けに日本企業の社債格付け情報を英語で発信し始めた。格付け先企業から手数料を受け取らず、投資家からの情報購読料のみでコストを賄ってきた「三國格付け」は、負債の元利返済の原資は企業が本業で稼ぎ出す利益であるという利益償還主義を貫き、80年代後半のバブル期も含み益で目を曇らされなかった。

「格付けは円滑な資金調達に資するのみならず、財務の健全性確保を促すことで、バブル防止の役割を果たす」──が三國さんの信念である。約30年、ともに働いた児玉万里子さんは「権威や定説に左右されることなく、虚心坦懐(たんかい)に数字と向き合って自分の頭で考え抜く方でした」と、振り返る。

初のCFAアナリスト

 証券業界に興味を持つきっかけは1956年、高校2年で行った米国留学だった。1ドル=360円の固定相場で、日本が高度経済成長の入り口に立ったばかりの時期。まばゆいばかりの超大国は、17歳の青年を圧倒した。

「ホストファミリーのホームパーティーに訪れた大人たちが、グラスを片手にAT&Tやゼネラル・モーターズといった米国を代表する企業の株の話をしているのがとても印象的で格好よかった」。米国の後を追いかける日本にも証券の時代が訪れると考え、大学卒業後の63年、野村証券に入社した。

 財務分析の原点は入社2年目のニューヨーク支店勤務にある。顧客からの問い合わせに企業財務分析力の必要性を痛感。ニューヨーク大学に通い約3年間、財務分析の手法を基礎から学び、発足当初のCFA協会認定証券アナリスト試験に挑戦した。69年に合格し日本初のCFAアナリストとなる。

「CFA試験の良い点は、証券分析の知識だけでは合格できないこと。マクロ経済を含めたオールラウンドな知識が要求され、試験勉強を通じてそれらを身につけることができたのが大きな収穫だった」と振り返った。野崎さんは「三國さんに憧れCFAアナリストの資格を取った」と明かす。

 三國事務所における財務分析、格付け評価は無味乾燥な数字と格闘し、考え抜いた結論だった。それは市場のゆがみを見逃さない。矛先が向けられたのは、日本興業銀行(現みずほ銀行)、日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の長期信用銀行3行だった。

 80年代以降は企業自らの社債発行や内部留保で設備投資を賄えるようになり、3行は新たな貸し出し先が必要だった。そこでバブル期に不動産融資にのめり込み、多額の不良債権を抱えた。一方で、資金調達のために発行する金融債は3行の財務内容に違いがあるものの、同じ価格で流通。三國格付けは、ここにメスを入れた。

 興銀、長銀、日債銀の順に金融債の元本と利息を支払える信用段階を高いほうからAA、A、BBBとした。すると、外国人投資家を中心に長信銀3行の選別が進み、金融債利回り格差が拡大。3行のうち2行は破綻、残りの1行も都銀との統合を余儀なくされた。

 94年に日銀から米大手格付け会社の銀行アナリストに転じ、現在、早稲田大学教授の根本直子さんは、当時大手行幹部から掛けられた言葉が今でも忘れられない。「日本の銀行は、破綻なんてあり得ないから全部最上位のAAAでいい」。そんな緊張感を欠く時代に、三國格付けが炸裂(さくれつ)した。

「“不倒神話”がまだ信じられていた90年代前半に、格付けに差をつけるのは大変な勇気がいること。格付けアナリストとしての信念と矜持(きょうじ)で三國さんはそれをやってのけた」(児玉さん)

『黒字亡国』

 三國さんは、マクロ経済の分析にも注力した。領域は日本の国際収支や国際金融へと広がっていく。特にこだわったのが、日本の経常収支の黒字。「なぜ、安定的に経常黒字を計上する日本よりも経常赤字国の米国が豊かなのか」──米国に次ぐ世界第2位の経済大国になったはずの日本が豊かになりきれない疑問を解き明かすライフワークだった。そして、長年苦しんでいるデフレの原因の一つが経常黒字にあると気付いた。ロジックはこうだ。

 経常黒字は簡単にいうと、対米輸出で稼いだドルを円に替えることなく持ち続けた結果。例えば、日本の自動車メーカーは対米輸出で得たドルを邦銀で円に替えるが、邦銀は受け取ったドルをそのまま運用する。円に替えると、ドル安・円高になり輸出競争力を失うからだ。この結果、日本からモノ(車)を買った米国には資金が還流するが、日本は輸出代金を米国から回収できない。

 三國さんは日米のこうした経済取引を「日本人名義のクレジットカードを米国人に無制限で使わせているのと同じ」と解説した。

 結果、日本から米国に購買力が移る。同時に邦銀の流動性(マネー)も米国へ。日本は購買力を失い、国内需要が消滅。流動性も失うことで、これがデフレの一因になる。こうした黒字の怖さを詳述したのが、2005年に出版した『黒字亡国』(文春新書)だ。

「母の手料理が大好物」

 ある日、三國家に豪華な花束が次々に届けられる“騒ぎ”が起きた。経済3団体の一つ経済同友会代表副幹事の就任祝いだった。「父は仕事関係の話は家ではしませんでした」と長女の牧子さんは語る。

妻康子さんの手料理をこよなく愛した三國さん(三國牧子さん提供)
妻康子さんの手料理をこよなく愛した三國さん(三國牧子さん提供)

 三國さんは好きだったスキー旅行やヨット乗りに家族を連れ出した。「母の手料理が父の大好物で、食事はほとんど自宅でとっていました。母に言わせると特に好きだったのは『アジフライ、カキフライ、五目ずし……でも何でも食べたよ。ローストビーフは日常じゃないしね』と」(牧子さん)

「格付けアナリストは天職ですか」と、私が問うと三國さんは「とにかく面白くて……」と一瞬、目を細めた後、表情を引き締め「格付け対象企業から手数料をもらわずに行う『勝手格付け』こそが王道です。ただし、単純に数学的に割り切れるものでもありません。曖昧さこそ格付けの神髄であり、それは職人が紡ぎだす一種のアートなのです」。絵画好きだった三國さんは、格付けに“絵心”を加えていたのかもしれない。合掌

(浜條元保・編集部)


週刊エコノミスト2024年9月24日・10月1日合併号掲載

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