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格付けから世界をみる 三國陽夫「格付けは一種のアートなのです」(2010年7月20日)

週刊エコノミストは、各界の第一人者にロングインタビューを試みてきました。2004年から「ワイドインタビュー問答有用」、2021年10月からは「情熱人」にバトンタッチして、息長く続けています。過去の記事を読み返してみると、今なお現役で活躍する人も、そして、今は亡き懐かしい人たちも。当時のインタビュー記事から、その名言を振り返ります。三國陽夫さんは2024年8月22日に死去した。※記事中の肩書、年齢等は全て当時のままです。

格付けから世界をみる 三國事務所代表 三國陽夫

ワイドインタビュー・問答有用(2010年7月20日)

日本で唯一の独立系格付け会社を率いて四半世紀余り。企業の財務分析から発展して国際経済の本質をも見極める目を養った三國陽夫さんは、格付け業務を終了したいまも、格付けこそ究極のバブル防止策と信じている。日本における企業評価の草分けがみた世界とは。(聞き手=濱條元保・編集部)

 三國陽夫さん率いる三國事務所が昨年末、格付け業務を終了した。1983年、海外の機関投資家向けに日本企業の社債格付け情報を英語で発信し始めてから四半世紀余り。同じころにできた他の大手格付け会社と異なり、格付け先企業から手数料を受け取らず、投資家からの情報購読料のみでコストを賄ってきた三國格付けは、負債の元利返済の原資は企業が本業で稼ぎ出す利益であるという利益償還主義を貫き、80年代後半のバブル期においても含み益で目を曇らされなかった。格付けは円滑な資金調達に資するのみならず、財務の健全性確保を促すことでバブル防止の役割を果たすというのが三國さんの信念だが、時代の流れに抗しきれない面もあったようだ。

麻痺したリスク感度

―― 格付けの世界で独自の地位を築いた三國格付けがなくなってしまったのは残念です。

三國 グローバルな過剰流動性のなかで、信用リスク管理への関心が薄くなりました。格付け情報を載せた「三國格付けブック」の購読料だけでコストを賄うという仕組みが、うまく機能しなくなってきた。そこで、終了を決めました。

―― 米国のサブプライムローン危機では、大手格付け会社がその片棒を担ぐ格好となり、批判を受けました。いまこそ真っ当な格付けが必要だと思うのですが。

三國 社債投資の場合は、信用リスクは企業の収益力と負債の元利支払い負担との関係で決まるとの理解が浸透しています。また、会社法や会計規則などの確立された約束事もあり、投資家は公表データを基に自ら分析できるため、格付けは「1つの意見」にとどまります。

 しかし、サブプライムローンなど融資債権から作られた複雑な証券化商品は、組成した売り手にしか中身がよくわかりません。格付け会社が証券化商品の製造過程から関与することで、格付けが内部情報に通じた特別な存在となってしまった。金融当局やプロの機関投資家までもが格付けを一種の保証のようにとらえ、しかも本来ありえない「高格付け(ローリスク)・高利回り(ハイリターン)」を求めた。世界的なカネ余りが投資家のリスク感度を麻痺させてしまいました。

「趣味は仕事と絵画鑑賞」(東京都杉並区の自宅で) 撮影=根岸基弘
「趣味は仕事と絵画鑑賞」(東京都杉並区の自宅で) 撮影=根岸基弘

―― サブプライム問題では日本のバブルとの類似も指摘されました。

三國 日本のバブルの教訓が生かされなかったのはとても残念です。

 振り返れば、日本経済は80年代に入って変わりました。それを端的に示したのが、都市銀行の貸し出しの急拡大です。名目国内総生産(GDP)が年率5~6%しか伸びていないのに、都銀の貸出残高が年率十数%も増えていった。名目GDPの伸び率は実体経済の成長と解釈できますから、それを上回る余剰な銀行貸し出しが株や土地に回って価格を押し上げていたのです。

―― 米国の住宅バブルも構図は同じでしたか。

三國 同じです。銀行が貸し出す先を返済が確かなプライム層だけではなく、信用力が劣るサブプライム層にまで広げて住宅ローンを貸し込んだ。本来なら対象にならない人にまで住宅ローンを提供した結果、住宅需要が実体以上に盛り上がり、住宅価格を押し上げたのです。私は日本の経験を踏まえて、住宅バブルだと早くから指摘していました。

「最悪の経営環境」の想定がマクロ経済分析の足がかり

―― 格付けの草分けとして知られた三國さんは、バブルのころからマクロ経済の分析でも注目されるようになりました。格付け作業を通してなぜ、マクロ経済まで見通せるようになったのですか。

三國 社債格付けは最悪のマクロ経済下での経営環境を想定する必要があるからです。

 格付けに当たってまず必要なのは、発行企業の元利の返済能力を見極めることです。これまでどの程度余裕をもって元利を払ってきたかという実績をみるために、その企業の財務諸表を過去にさかのぼって分析します。この作業からはとても大きな情報が得られます。たとえば、本業でこれまでどのように利益を稼いできたか、投資した金額に対してその利益水準は十分かどうか……。

 次に検討するのが、経営環境が悪化したときの対応です。考えうる最悪の経営環境を設定し、そうした環境下でも返済能力があるかどうかを調べるのです。こうした分析を通じて、国単位での経済情勢も理解できるようになり、バブルの本質を見極めるといった視点が生まれました。

―― 格付けの結果は、明確な記号で表されます。

三國 三國格付けでは、最高の「AAA」から最低の「CCC」までの記号で示しました。ですがこれは、財務諸表のデータをいくつもの切り口で分析し、最悪の経営環境を想定しながら読み込み、見えてきたものの総合的な表現です。投下された資本がどう回収されているか、元利支払いが安全になされているかが基本ですが、単純に数学的に割り切れるものではありません。曖昧さこそ格付けの真髄であり、それは職人が紡ぎだす一種のアートなのです。

 戦前の新潟市で、眼科医の家庭の次男として生まれた三國さん。企業分析の原点は、50年代半ばに始まった草創期の高校生留学制度を利用して渡った米国にある。

日本初のCFAアナリスト

―― 証券業界と出会ったきっかけは。

三國 高校2年だった56年に、留学支援団体AFSの交換留学生として1年間米国に留学したことです。ホストファミリーのホームパーティに訪れた人たちが、AT&Tやゼネラル・モーターズといった米国を代表する企業の株の話をしているのがとても印象的でした。米国が日本のお手本なら、いずれ日本にも証券の時代が訪れるだろうと、漠然とですが考えました。

 大学時代にもAFSのお手伝いでニューヨークに行く機会があり、山一証券の方にウォール街を案内してもらいました。企業に資金を提供する証券市場の役割を教わって興味を持った。そこで、卒業後は野村証券に入社しました。

三國陽夫さん 撮影=根岸基弘
三國陽夫さん 撮影=根岸基弘

―― 1年後にはニューヨーク勤務になったそうですね。

三國 私は法学部出身で証券の知識がありません。先輩のお手伝いをしながら無我夢中で仕事を覚えました。しかし、当時はケネディ大統領が導入した金利平衡税(63年のケネディ・ショック)の影響で、米国の日本株投資が激減し、株価が暴落していた。日本では仕事がないので、英語力を買われたのでしょうか、ニューヨーク勤務となりました。野村の海外事業も緒についたばかりの頃で、人員は総勢10人ぐらいだったと思います。私が最年少でした。

 最初は日本株を売り込むというより、顧客からの問い合わせに答えるのが主な仕事でした。そうした質問の回答をまとめて機関投資家に配るうちに、関心を寄せてくれる人が少しずつ増えてきました。でも、そうした顧客との対応のなかで、経済や金融、会計などの知識が不足していることも痛感させられました。

 そんなときに、顧客の1人だったファンドマネジャーから、ウォール街に近いニューヨーク大学のビジネススクールの夜学で一緒に勉強しようと誘われたのです。そこで3年ほど財務分析の手法を基礎から学び、できたばかりだったCFA協会認定証券アナリストの試験に挑戦することにしました。2次試験までは米国で合格し、30歳以上の年齢制限があった3次試験は帰国後の69年に日本で受験して合格。日本初のCFAアナリストとなりました。

 CFA試験の良い点は、証券分析の知識だけでは合格できないことです。マクロ経済を含めたオールラウンドな知識が要求され、試験勉強を通じてそれらを身につけることができたのが大きな収穫でした。

―― 当時の米国投資家はどんな日本企業に関心があったのですか。

三國 ソニーやホンダが注目され始めていました。資生堂や米ゼロックスと合弁会社を持つ富士フイルム(現富士フイルムホールディングス)も人気でしたね。

 当時から、日米の企業にはいろいろな違いがありました。たとえば、米国企業に比べて銀行からの借入金が多く、一定額はずっと借りたままにしておく。いわば借入金が疑似資本になっているのですが、それは財務諸表からは読みとれません。米国の機関投資家にそうした日本独自の仕組みを解説することで、納得して投資してもらうことができました。

 3年余りのニューヨーク勤務から帰国した後は、海外投資顧問室で海外の機関投資家向けにリポートを作成する仕事についた。それを通してますます証券分析の魅力に取りつかれたという。

―― 証券分析が天職と感じた?

三國 とにかく面白くて……。財務諸表を業種別に比較したり、特定の項目で比率を計算したり、時系列で比較していくと、無機質な財務諸表から企業や産業、国の構造までが浮き上がってみえてくるのです。これを深めれば、企業や国が進む方向性までも予想できるのではないかという、大きな可能性を感じました。

 しかし、入社10年も過ぎると管理職的な業務が増えてくる。そこで、証券分析に専念できるよう、独立を決意したのです。75年、35歳の時に1人で三國事務所を設立し、企業分析の提供を始めました。応援いただいた方はいますが、特定のスポンサーはいません。

―― 仕事は順調でしたか。

三國 日本企業の海外起債ブームにぶつかったのが幸運でした。国内では大蔵省が厳しい適債基準を設けて事業債の発行を調整していましたが、海外での規制は緩いものでした。高度成長を経て実力をつけた日本企業の資金ニーズと海外投資家の運用ニーズが合致した時期でした。

 海外投資家が見知らぬ日本企業の信用リスク判断の参考資料を求めていました。準備期間を経て83年から「三國格付けブック」の発行を始めましたが、最初は英文だけでした。その後、日本語を付した英日併記のものになり、部数も増えていきます。一方、500社から始まった格付け対象企業数はピーク時に1600社に達しました。そのすべてが、格付け対象企業から手数料をもらわずに行う「勝手格付け」です。この手法こそが格付けの王道だと、いまも信じています。

日本はユーロに学べ

 企業財務から国際経済に分析対象を広げていった三國さん。その過程で、日本が過去10年以上にわたって苦しんでいるデフレの原因の1つが日本の膨大な経常収支黒字であることに気付いたという。

―― なぜ、日本の経常黒字が問題なのですか。

三國 経常黒字は簡単にいうと、対米輸出で稼いだドルを円に換えることなく持ち続けた結果です。日本の自動車メーカーは対米輸出で得たドルを銀行で円に換えますが、銀行は受け取ったドルをそのまま運用する。円に換えると、ドル安・円高になるからです。日本からモノを買った米国には資金が還流することになりますが、日本は輸出代金を米国から回収していないのと同じです。

 結果として、日本から2つの海外移転が起こりました。1つは購買力の移転。本来あるはずの国内需要が消滅したのです。もう1つは銀行の流動性の移転。銀行はドルを購入する際、日銀に持つ当座預金を取り崩すので、その分、国内の新たな与信を抑えることになります。つまり、投資や政府支出を増やすと国民所得を波及的に大きくさせる、いわゆる乗数効果を支える信用創出ができなくなる。この2つの海外移転が成長を封じる要因です。

「情報購読料のみで提供する『勝手格付け』こそが格付けの王道だと信じています」

―― どうすればいいのですか。

三國 最近は経常黒字が減少傾向にあるので、的確な手を打ちさえすれば良い結果をもたらすと思います。国内の経済活動を財政が支えれば、資金需要が出てきてドルを円に換える動きも出てくる。金利を抑えなければ円高となり、海外から日本に資金が戻り、需要が拡大し、デフレも解消されるでしょう。

 いまこそ外需に依存した経済から自立する機会です。私は自分の足で走るという意味で、これを「自走式」経済と呼んでいますが、早くそれに転換することが必要です。

―― 最近のユーロ危機についてはどうみていますか。

三國 ユーロは60年代以降、赤字を垂れ流し始めた米国のドル基軸通貨体制に巻き込まれないためにできた通貨です。日本のように受け取った輸出代金をいつまでもドルのまま保有すれば、米国債などの形で米国に吸収されてしまう。そこで通貨高を覚悟で、ドルの受け皿となりうる統一通貨が創出されました。

 そうしたユーロの役割は、実際に機能し始めています。02年以降、米国が巨額の経常赤字を垂れ流す局面で、ユーロは対ドルで切り上がっていきました。それによって欧州の対米輸出が抑制され、均衡を維持したのです。

 08年9月のリーマン・ショック後は、世界的な金融緩和と財政出動が景気を下支えしてきましたが、出口戦略を探る時期にきています。これ以上金融や財政に頼れないなかでのユーロ安は、輸出の増加で景気を回復させる原動力ともなります。

 企業財務、財政そして国単位でみる国際取引でも複式簿記を理解して分析することが原理原則です。

●プロフィール●

みくに あきお

1939年新潟県生まれ。63年東京大学法学部を卒業して野村証券入社。69年日本人初の米CFA協会認定証券アナリストとなる。75年同社を退社して三國事務所を設立、83年社債の格付けサービス開始。2002~04年経済同友会副代表幹事を務める。09年末で格付け業務を終了し、コンサルタント業に。著書に『円の総決算』(講談社)、『円デフレ』(東洋経済新報社、共著)、『黒字亡国』(文春新書)など。

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