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「AI研究」にノーベル物理学賞と化学賞-その理論と技術を詳細解説 長谷佳明

AI機械学習にノーベル物理学賞(米プリンストン大のジョン・ホップフィールド名誉教授=スクリーン左=とカナダ・トロント大のジェフリー・ヒントン名誉教授)=2024年10月8日、スウェーデン・ストックホルム 共同
AI機械学習にノーベル物理学賞(米プリンストン大のジョン・ホップフィールド名誉教授=スクリーン左=とカナダ・トロント大のジェフリー・ヒントン名誉教授)=2024年10月8日、スウェーデン・ストックホルム 共同

 今年のノーベル賞は、物理学賞、化学賞でAIに関連する研究が受賞する「AIの年」になった。AI技術は、画像認識や音声認識などがすでに日常生活に溶け込み始め、自然科学など多くの研究活動にとっても欠かせない技術になっている。しかし、AIに関する研究がこれまでノーベル賞を受賞したことはなく、AIの社会的インパクトの大きさと時代の変化を改めて感じる結果となった。

物理学賞をAIへの衝撃

 ノーベル物理学賞は、米プリンストン大学のジョン・ホップフィールド教授とカナダ・トロント大学のジェフリー・ヒントン教授が受賞した。この受賞に関しノーベル財団のホームページには「This year's laureates used tools from physics to construct methods that helped lay the foundation for today's powerful machine learning.(今年の受賞者は、物理学のツールを使用して、今日の強力な機械学習の基礎を築くのに役立つ方法を構築した)」と、物理学とAIの領域の一つである「機械学習」に言及し、その功績をたたえている。

 ホップフィールド教授の受賞理由となった研究は、1982年に公開された論文「Neural networks and physical systems with emergent collective computational abilities.(集合的な計算能力を備えたニューラルネットワークと物理システム)」にまでさかのぼる。この論文で、画像などのパターンの記憶と再現が可能な「ホップフィールド・ネットワーク」と呼ばれる人工ニューラルネットワークを考案した。

 ホップフィールド・ネットワークは、データの一部しかなかったり、またはノイズが入ったりしたような状態から、元の完全な状態を復元する。関連する情報の断片から思い出す「連想記憶」のような仕組みが、単純なネットワークで実現できる点が画期的であった。

 ホップフィールド教授は、もともと物理学の研究者であった。そのため、人工ニューラルネットワークが記憶を定着させた状態とは、物質の安定状態に相当するエネルギーの低い状態ではないかと考え、物理学で既に確立されていた理論を応用した。このように、ホップフィールド教授の貢献は、物理学の理論を他分野に橋渡しし、情報学や人工知能に新たな道を切り開いた点にある。

 ヒントン教授の受賞理由となったのは、ボルツマン分布を用いるなどし、ホップフィールド・ネットワークを拡張した「ボルツマンマシン」である。明確な時期は定かではないが、ヒントン教授によれば、ホップフィールド・ネットワークが考案されてまもない1983年には、すでに理論が作られていたようだ。

ノーベル化学賞は、米ワシントン大のデービッド・ベイカー教授(スクリーン左)、グーグル傘下ディープマインド社のデミス・ハサビス氏(中)とジョン・ジャンパー氏(右)に授与=2024年10月9日、スウェーデン・ストックホルム 共同
ノーベル化学賞は、米ワシントン大のデービッド・ベイカー教授(スクリーン左)、グーグル傘下ディープマインド社のデミス・ハサビス氏(中)とジョン・ジャンパー氏(右)に授与=2024年10月9日、スウェーデン・ストックホルム 共同

 ボルツマン分布とは、19世紀のオーストリアの物理学者であったルートヴィッヒ・ボルツマンが考案した気体中の分子の動きに関する確率分布(発生確率のパターン)である。ヒントン教授は、ホップフィールド・ネットワークにボルツマン分布を活用し、確率的な要素を取り入れ、さらに現代のディープニューラルネットワークにも通じる「隠れ層」に似た多層構造を導入し、モデルの表現力を大幅に向上させた。その後も改良は30年以上続き、2012年の画像認識コンテスト「ILSVRC(the ImageNet Large Scale Visual Recognition Challenge)」で、圧倒的な性能をたたき出すことになるディープラーニングモデル「AlexNet」へと進化した。

 ホップフィールド教授とヒントン教授は、今日の機械学習に多大な貢献を果たした人物であり、物理学の理論を独創的なアイデアで応用した先駆者でもあったといえるだろう。

化学分野でのAI大躍進

 ノーベル物理学賞のAI研究者の受賞への驚きが冷めやらぬ中、化学賞には米ワシントン大学のデビッド・ベイカー教授、そして、英国のAI開発企業のディープマインドのデミス・ハサビスCEOとジョン・ジャンパー氏が選ばれた。

 ベイカー教授の偉業は、2003年、コンピューターを用いて「新しいたんぱく質」の人工的な設計に成功したことである。自然界にないたんぱく質の合成が可能となれば、これまでにない画期的な薬の開発も可能となり、そのインパクトは極めて大きい。

 一方、ディープマインドは、たんぱく質の立体構造を高精度に予測するAIモデル「AlphaFoldシリーズ」の開発により受賞した。AlphaFold1が2018年、AlphaFold2が20年、そして、AlphaFold3が24年5月に公開されており、バージョンが上がるごとに予測精度や予測可能な対象が拡大している。

数年かかっていた計算が数十分に

 ではなぜ、コンピューターシミュレーションが、それほど大きな偉業といわれるのか。

 自然界で確認されているほとんどのたんぱく質は、20種類の標準アミノ酸の順番を変えてつなぎ合わせた分子からなる。ただし、アミノ酸が連なってできたタンパク質は、複雑に折り畳まれるなどした立体構造を取っている。このため、構成するアミノ酸の情報だけではたんぱく質を再現できず、また、機能の解明にも立体構造が不可欠である。しかしながら、X線を用いた構造解析には、たんぱく質の結晶化という難題が前提条件となるなど、実験的手法には制約が多く容易でなかった。そこで期待されてきたのが、コンピューターによるシミュレーションであった。

人工知能(AI)は研究や社会を変えるのか(OpenAIのChatGPTの画面)=2023年1月12日 Bloomberg
人工知能(AI)は研究や社会を変えるのか(OpenAIのChatGPTの画面)=2023年1月12日 Bloomberg

 最適化のアルゴリズムを用いるなどする従来型のシミュレーションでは、膨大な演算が必要であり結果が出るまでに、数カ月から数年もの時間を要すものも多く、たんぱく質の構造解析は次のブレークスルーを待っていた。そこに登場したのが、AlphaFoldであった。AlphaFoldは、わずか数十分程度で良好な結果が得られ、従来型手法で解けなかった構造の解析に成功するなど、AIを予測に用いた効果は絶大であった。

 私が学生時代に所属していた研究室でもシミュレーテッドアニーリング(金属の焼きなましを模倣した最適化手法。高温の金属を徐々に冷却することで結晶を成長させ、ひずみの少ない良い材料を生成する技法に着想を得た手法)により、たんぱく質の構造解析を研究するチームがあったが、比較的小さなテストケースでも、大型計算機を数週間回し続けることもあり、AlphaFoldがどれほど画期的かよくわかる。

 AlphaFoldシリーズのプログラムはインターネットで公開されており、AlphaFold2は、すでに全世界で200万人以上が使用している。AlphaFold1の誕生からまだ10年もたなない中でのノーベル賞受賞は、AIを含む情報技術の伝播(でんぱ)がいかに速く、社会的影響が大きいのか示した好例といえる。

AIが自律的にノーベル賞級の発見をする時代に?

 2024年は、AIの研究者がノーベル賞を受賞する初の年となった。では、その先は何が起こるのか。ソニーコンピュータサイエンス研究所の北野宏明所長は「2050年までにノーベル賞級の発見を自律的にできるようなAI(“AIサイエンティスト”)の開発」を目指す「ノーベル・チューリング・チャレンジ」を提唱している。北野所長が描く、研究を自律的に遂行する“AIサイエンティスト”が実現すれば、科学技術の進歩は現在とは比べ物にならない速度で進展するだろう。

 AIサイエンティストについては、24年8月に日本のスタートアップ「Sakana AI」が、あくまで実験的な取り組みながら、AIの研究をテーマに研究計画から実行、評価、論文作成までの自動化の成功を発表している。ソフトウエアで完結し、高度な実験器具の操作を伴わない作業には、ますますAIが活用されるようになるだろう。

 AIそのものにノーベル賞が授与されることはないが、AIによりノーベル賞級の発見が続くイノベーションの新時代は、想像していたよりも早くやってくるかもしれない。

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