経済・企業 地面師が狙っている
55億円が闇に消えた──積水ハウス地面師事件の重い教訓 安永佳代
東京都品川区の廃業旅館を舞台に、地面師グループが大手住宅メーカーの積水ハウスに約55億5900万円もの損害を与えた巨額の詐欺事件。この事件をモデルとしたネットドラマがヒットするなど、今なお多くの人の関心を集める。地面師グループの手口や詐欺と見抜けなかった要因など、この事件を今、振り返ることで得られる教訓はあまりに多い。
舞台となった廃業旅館は、JR五反田駅近くに事件当時存在し、敷地面積は約2000平方メートルと広大だった。時価100億円ともされたが、所有者Xが手放そうとしない物件としても知られていた。積水ハウスがだまされたのは、この物件取得に社長案件として強い執着を持ち、競合他社の取引妨害への懸念からリスク管理が甘くなったからだろう。
ただ、その心理を巧みに利用し、取引を後戻りできないように仕向けたのが地面師グループだった。積水ハウス事件の地面師グループは、有罪判決を受けた者だけで総勢10人にのぼり、細かく役割分担されていた(図)。本稿と図では、2020年に積水ハウスが公表した総括検証委員会の報告書に沿い、地面師グループのメンバーそれぞれに記号(Z1~10)を割り振っている。
地面師の主犯格(Z4)らがこの物件の情報を収集し始めたのは、16年11月ごろからだった。一説にはXから駐車場を借りて契約書などから個人情報を取得したという。また、手配師(Z9)を介してXのなりすまし役(Z2)を見つけ、Xの情報を教え込んで偽Xの偽造パスポートなどを作成。これを元に、役所で新たな印鑑を登録して印鑑登録証明書を取得した。
そして、所有者Xが末期がんで入院した17年2月ごろ、買い手を探し始めた。数人に断られた後、新たな買い手候補として積水ハウスが浮上した。17年4月3日、まず地面師らは偽X(Z2)とA社との間でこの物件の売買契約を締結し、その資料一式を積水ハウスに送付した。最終的に地面師らはA社との契約を解除し、積水ハウスは中間買い主B社経由でこの物件を購入するが、A社とB社の実質的な経営者は同じ人物Iだった。
「警告文」届くも見逃す
Iは金融業で財産を築いたりしていたものの、過去の取引実績もなく不動産業者でもないため、信用には大きな問題があった。それでも、積水ハウスはⅠが偽Xと親しい関係にあると考え、十分な信用調査を行わなかった。B社の所在地は元衆院議員の後援会事務所でもあり、役員に元衆院議員の妻の名前があったため、Ⅰの背後に元衆院議員の存在があると積水ハウスが思った可能性がある。
また、地面師らは「所有者Xが3億円の資金調達を急いでいる」「他の購入希望者がたくさん来ているのでスピードが大切」などと説明し、積水ハウスを焦らせた。そして4月24日、偽XとB社の売買契約、B社と積水ハウスの転売契約の締結に成功し、地面師らに手付金14億円が支払われ、それぞれの仮登記もされた。残代金決済は7月末日の予定だった。
売買契約以降、積水ハウス宛てに真の所有者Xを差出人として、売買契約に対する複数の警告文が内容証明郵便で届いた。仮登記に用いられた印鑑は偽造で、Xは入院中で面会謝絶であること、仮登記抹消を求めることが書かれていた。これを受けて、積水ハウス側は地面師らに説明を求めたが、地面師らは「偽Xには内縁の夫がいるが仲が悪くなり、この取引に反対して妨害している」とうその説明をした。
積水ハウスはこれを信じ、警告文に連絡先もないことから不審なものと判断した。なお、この警告文はXの異母兄弟が作成したものであった。その後、地面師らは偽Xが沖縄にいるように見せかけるなど、積水ハウスと偽Xとの接触を極力避けた。この物件の内覧手続きも、体調不良を理由に偽Xを立ち会わせず、代理人弁護士が立ち会うだけだった。
6月1日、積水ハウス会議室で残代金の決済が前倒しで行われる中、測量のため現地にいた積水ハウス関係者から「警察に任意同行を求められた」との連絡が入った。積水ハウス社員らはその場で話し合ったが、「おそらく競合他社の取引妨害だろう」との結論に至った。そして、積水ハウスは法務局で本登記申請が受け付けられたことを確認し、約49億円の小切手で残代金を支払った。
登記官の審査で偽造判明
そして6月9日、法務局登記官の審査でXの本人確認書類として使われていた健康保険証の偽造が判明し、本登記申請の却下が通知されたため、地面師らによる詐欺事件であることが発覚した。登記官によって厳格に審査されたのは、登記官が疑わしい事情があるときに本人確認を実施する「不正登記防止申出」を、1カ月前にXの異母兄弟が求めたことによるものだった。真の所有者Xは6月24日に亡くなり、異母兄弟がこの物件を相続した。
このように、積水ハウス事件の最大の特徴は「なりすまし」の手口にある。地面師らは、偽Xが所有者本人であると装うべく、公証人の認証による本人確認制度を利用した。不動産の所有者だと証明する登記済権利証の代替手段で、費用も安く簡単に利用できる制度だが、公証人がパスポートや印鑑登録証明書で形式的に審査するケースも少なくなく、この事件では偽Xの本人確認書類の偽造も見過ごされた。
4月24日に偽XとB社の売買契約及びB社と積水ハウスの転売契約がなされ、それぞれの売買予約を原因とする仮登記手続が完了した。仮登記手続きの際、偽造パスポート、偽造権利証を2人の司法書士が確認したが、精巧なつくりのため見抜けずそのまま申請された。積水ハウスは仮登記手続きの完了によって安堵(あんど)し、偽Xが本人であると信用した。
5月31日の最終本人確認では、積水ハウスは事前に本登記手続きに必要な権利証を偽Xに持ってくるよう伝えたが、偽Xは「内縁の夫ともめるから権利証を家に取りにいけない」と持参しなかった。権利証を再び確認され、偽造を見破られるのを恐れたとみられる。結局、権利証ではなく弁護士による本人確認で代替することになったが、偽Xが自身の誕生日やえとを間違えたものの、問題にはされなかった。
地面師らは総勢10人が東京地裁に偽造有印公文書行使、詐欺などの罪で起訴され、いずれも有罪判決が言い渡された。一部は控訴・上告されたが、現在までに全員の有罪判決が確定している。また、積水ハウスは地面師ら10人に対し計10億円の賠償を求めて東京地裁に提訴し、昨年11月の主犯格らに対する地裁判決を含め、全員に対し計10億円の支払いが命じられている。しかし、被害弁償はされておらず、だまし取られた巨額の金は闇に消えたままである。
(安永佳代〈やすなが・かよ〉相模原南法律事務所弁護士)
週刊エコノミスト2025年1月28日号掲載
地面師が狙っている 55億円が闇に消えた──積水ハウス事件の重い教訓=安永佳代