教養・歴史特集

「音に重さがあり、個性が宿っていると感じる」成田達輝・バイオリニスト ストラディバリウスの世界 

成田達輝 バイオリニスト
成田達輝 バイオリニスト

ストラディバリウスは弾き手にとってどんな存在なのか。気鋭のバイオリニスト、成田達輝さん(26)に聞いた。

(聞き手=藤枝克治/花谷美枝・編集部)

特集「ストラディバリウスの世界」

 成田達輝さんが現在、使用するのは1711年製のストラディバリウス「タルティーニ」。「悪魔のトリル」で知られるイタリアのバイオリニスト・作曲家のジュゼッペ・タルティーニ(1692~1770年)が使っていた名器だ。

── ストラディバリウスを初めて弾いた時の印象は。

■出会いは2016年2月、スペイン大使館で開催された展示会でした。スイスの財団がこの楽器を売りに出していて、お披露目のためのミニコンサートでの演奏を依頼されました。ステージ上で試奏した時は、正直なところ、この楽器の魅力がわかりませんでした。音がベールに包まれているような感じで、露骨に表面に出てこない。当時使っていたガルネリに比べて「そば鳴り」(自分の近くで聴こえる音)を認識しにくいと感じました。でも、離れた客席で聴いていた妻(ピアニストの萩原麻未さん)とマネジャーは「すごい音がする」と目を見開いたんです。

 遠くで鳴っているということは、サントリーホールのような2000人規模の大ホールでも多くの人を満足させられるはずです。ちょうどその頃、オーケストラとの共演機会を増やしたいという気持ちが募っていたのですが、当時使っていたガルネリではオーケストラの音に負けてしまっていました。3年間使い、自分の声だと思うほどに思い入れのある楽器でしたが、音量の問題を克服できなかった。そんな時にこのタルティーニに出会い、ぜひ使わせていただけたらと思ったのです。

 楽器商の方のアドバイスで、すぐに宗次徳二さん(「カレーハウスCoCo壱番屋」創業者。名器のコレクションを無償貸与している)に手紙を書きました。宗次さんとの接点は、13年に宗次ホール(名古屋市)でリサイタルをした時に少しお話しをさせていただいただけでしたが、幸運にも宗次さんから「若い演奏家で楽器を貸与するならば成田さんだと考えていた」とお返事をいただき、ご厚意で貸与していただけることになりました。

── タルティーニによって、音に対する印象は変わりましたか。

■この楽器はピアニッシモ(とても弱い音)で弾いても、なぜかオーケストラと違う次元に音があって、お客様に伝わる。本当に不思議です。

 もう一つ、気がついたことがあります。ドレミファソラシ、それぞれの音に「重さ」があり、個性が宿っていると感じるんです。天秤(てんびん)で、これがドの分銅、レはちょっと重くて、ミはこれくらいの形の分銅で、という具合に音を重さで捉えることができる。ドとミを弾くときはこれくらいの重さで弾けばいいと、感覚的に分かりました。今まで弾いたどんな楽器でも体験できなかったことです。

 それまでの楽器では、音はすべてつながっていました。例えば、以前使っていたガルネリは、音の横の関係、つまりメロディーを美しく弾くことを助けてくれました。一方、タルティーニは音が独立していて、それぞれの音の純度が極めて高い。食材を足し引きしながらレシピを考案するように、それぞれの音の個性を理解した上で演奏できるようにとストラディバリが考えて作ってくれたんじゃないかと思います。

 この楽器を使っていたバイオリニストのタルティーニは、「差音(さおん)」という現象を発見したことで知られています。周波数の異なる二つの音を鳴らした時、周波数の差に当たる音が第三音として鳴っているという現象です。確かに、この楽器はあまりにも音の純度が高いので、二つの音を同時に引くと、三つ目の音が耳の中に響きます。最初はうるさく感じたくらいです。タルティーニはこの楽器を使っている時に差音を発見したのではないかと直感しました。

── 演奏はどう変わりましたか。

■音の重さの違いを把握したことで、頭の中にまるで新しいOS(基本ソフト)をインストールしたような、自分自身がストラディバリウス仕様にバージョンアップされたような感じがして、音の捉え方、表現が変わりました。それまでの自分が何だったんだろうというくらい。この2年間で人生の半分を生きてしまったような感覚です。

 バイオリニストは、楽器を受け取り、楽器を知り、楽器を知ったら自分のやりたいことを表現する。そして自分のやりたいことがその楽器では表現できないくらい大きくなってしまった時、私にはいつも新しい楽器との出会いがありました。かつて、ガルネリを受け取った時もまさにそうでした。

資産家から突然の申し出

── ストラディバリウスと並ぶ高価な楽器のガルネリを、どのように手に入れたのですか。

■カナダの資産家から貸与していただきました。当時、フランス最大の楽器製作家、ビヨーム作のバイオリンを使っていたのですが、その楽器ではどうしても人間の内面をえぐるような表現ができませんでした。

 そんな時、フェイスブックに知らない人からメッセージが届きました。「ある人があなたのメールアドレスを知りたがっている。連絡が欲しい」という2、3行の短いものです。迷惑メールだろうと思いつつ、とりあえず連絡してみました。すると、ユーチューブ(動画サイト)で私がエリザベート王妃国際コンクールに出場した時の演奏を見た資産家が、1738年製のガルネリ「ex-William Kroll」を私に貸したいという。すぐにカナダに向かい、契約しました。14年10月のことです。

 17年11月に返却するまで、楽器が自分の声帯になったような感覚になるまでその楽器を愛し、知り尽くしました。手放すのはすごく苦しかったですが、コンチェルトをもっとやりたい、新しいところに行きたい、だからごめんねとお返ししました。

── 名器と言われる楽器が高額化した現代は、演奏家は所有ではなく貸与の形で楽器を使うのが一般的です。しかし、終身貸与でない限り、いずれ返却の時を迎えます。

■それは演奏家にとって最大の問題ですよね……。でも結局のところ、音楽は音楽家の中にあります。音楽家の内面で音楽が増えたり、さまざまな形に変化したりするのを助けてくれるのが楽器です。楽器との出会いは、そういうプロセスの一つだと思えばいい。

 高校時代には2000万円の楽器を使う同級生もいました。たぶん自分の楽器は一番安かったと思います。

 12年にエリザベート王妃国際コンクールに出た時も、本選出場者の半数以上は名器と呼ばれる楽器を持っていましたが、僕はパリで100万円で買った無名の楽器でした。でもピュアな音が出るすばらしい楽器で、コンクールも2位になれました。

 どんな楽器でも、それに打ち勝つ経験をしてきました。これからも楽器を通して内なる音を表現していきたいと思っています。

(成田達輝・バイオリニスト)


 ■人物略歴

なりた・たつき

 1992年、北海道札幌市生まれ。3歳からバイオリンを始めた。桐朋女子高校音楽科を卒業。10年にロン=ティボー国際コンクール2位、12年エリザベート王妃国際音楽コンクール2位入賞。26歳。

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