金融市場はジャパンリスクを注視=寺島実郎 デジタル経済の認識欠く産業界 偽りの世界好景気
世界経済は今、異様な同時好況にある。米中貿易戦争がエスカレートする中で、奇妙にも日米の株価は上昇している。国際通貨基金(IMF)が10月9日に公表した世界経済見通しでは、2018年の世界経済の実質成長率は7月時点に比べ0・2%の下方修正となったが、世界中でマイナス成長ゾーンがない、まれな同時好況を展望する。
もちろん、IMFでも米中貿易戦争をリスク要因としているが、私が異様な同時好況と警戒する理由は、その基本構造が金融資本主義の肥大化で成り立っているからだ。
ニューセブンシスターズ
国際金融協会(IIF)によれば、18年3月末の世界の債務残高(政府、家計、金融機関)は、247兆ドル(約2・8京円)で、世界全体の国内総生産(GDP)の3倍以上を超え、リーマン・ショックが起きた10年前の2・9倍から拡大している。
つまり、リーマン・ショック以降に始まった日米欧の大規模な金融緩和によって、市場にあふれ出たマネーが株価と借金を増幅させている。金融資本主義が発するメッセージを約言すれば「借金してでも消費と投資を増やして、景気を拡大させる」というもので、ウォール・ストリートの懲りない面々が主導する金融資産と負債の肥大化は、表面的には世界同時好況を作り出しているが、再び危機の臨界点に近づいていると警戒感を強めざるを得ない。
しかも、米トランプ政権は、10年にオバマ政権がリーマン・ショックの教訓を受けて成立させたドッド・フランク法(金融規制改革法)でさえ廃止し、したたかなウォール・ストリートにとりつかれてしまった。リーマン・ショックの教訓は生きていないということだ。
ところで、世界同時好況と言いつつ、日本の産業界の低迷ぶりをどう理解すればいいか。これを端的に示したのが、図である。
20世紀はセブンシスターズ(七つのオイルメジャー〈国際石油資本〉)が牛耳った石油の時代だった。21世紀に入り、それがGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)+M(マイクロソフト)、中国のテンセント、アリババというデジタル・エコノミーをけん引する米中巨大IT企業に置き換わった。これを世界は「ニューセブンシスターズ」と呼んでいる。
ニューセブンシスターズの株式時価総額は、実に5・1兆ドル(約576兆円)と日本のGDPに相当する規模にまで増大した。一方で、日本企業の時価総額トップのトヨタ自動車の時価総額はわずか23・2兆円と、アップルやアマゾン1社の4分の1に過ぎない。日本の時価総額トップ5の合計でも66・0兆円と、ニューセブンシスターズの約1割にとどまる(いずれも時価総額は9月末時点)。
時価総額は市場の一つの評価に過ぎないものの、企業経営の観点から時価総額以上のリスクは取れない。大規模なプロジェクトも組めないという点で、企業の競争力で格差が拡大する要因だ。デジタル・エコノミーの時代に日本企業はまるで対応できないでいる。
ITとFTの結婚
21世紀を支配するニューセブンシスターズは「プラットフォーマーズ」と呼ばれる。ネットワーク情報技術の基盤インフラをおさえる企業群に対する呼称だ。20世紀のセブンシスターズとの違いは、中国企業2社が入っていることだ。デジタルネットワークを支えるクラウド・ビッグデータにつながっており、相互依存は切り離すことができないという特徴を持つ。
トランプ大統領は、台頭する中国のデジタル技術に対するおびえ、つまりネットワークから切り離せない脅威から、知的財産権の侵害などと理由をつけて貿易戦争を加速させている。欧州でも同じような問題意識から「一般データ保護規則(GDPR)」を作って、自律性を確保しようとしている。だが、これは欧州以外の国・地域(特に米中)とつながざるを得ない現実を踏まえて、情報の自立性や課税権は確保したいというジレンマでもある。
こうした事実認識から考えるべき論点がみつかる。プラットフォーマーズと呼ばれるIT7社の時価総額の巨大化は、特別な技術優位から生まれたものでなく、「ITとFT(ファイナンシャル・テクノロジー)の結婚」、つまり金融機能による増幅という形で実現している点だ。ITは「いつでも、どこでも、誰でも使える技術基盤」である。それをデータリズムとして囲い込むビジネスモデルにファンド・金融機関が資金を投入して巨大企業に押し上げた。
「夢にカネが付く時代」とばかりに、米シリコンバレーでは成果を出す前にベンチャーキャピタルやベンチャーファンドが資金を投じて、ベンチャー企業を支え、これをM&A(企業の合併・買収)でGAFAらがのみ込んでいく。ベンチャー起業家やそれに投資するファンドも、最初からGAFAらIT企業への売却を出口戦略にしているきらいさえある。デジタル・エコノミーの隆盛とカネ余りが相関していると言える。
しかし、緩和マネーにかさ上げされたバブル的な状況が持続不可能なことは、1990年代前半の日本やリーマン・ショックまでの米国のバブルが証明している。リーマン・ショックから10年が経過し、国際金融の世界ではこのところ「ジャパン・リスク」がささやかれ始めた。
すなわち、日本が異次元緩和を続け、その資金が新興国だけでなく、米国に還流しドル高や米株高を支えているが、突然、資金を引き揚げざるを得なくなった時、世界の金融市場が受ける打撃を警戒し始めている。
水膨れした日本の株価
すでに米国は利上げを繰り返し、欧州中央銀行も金融の正常化に向けて出口へ動き始めているのは周知の通りだ。日本だけが、異常な異次元緩和を長期化させ、「正常化」できずにいるが、やがて金融緩和一辺倒のアベノミクスが世界経済に自家中毒を起こす要素に反転し始めていると国際金融筋はみている。
もう一つの論点として気がかりなのが、こうしたデジタル・エコノミーの世界的な流れに対して、日本の産業界の認識が欠ける点だ。戦後、日本の産業界はホンダやソニーのように独自技術を磨き、先行する欧米勢に追いつき、追い抜いたものだ。現在のニューセブンシスターズは技術優位でなく、ITと金融が膨らませたビジネスモデルに過ぎないが、世界の中で日本の産業界の存在感が後退している。しかも、意思を持って政治主導の金融肥大化に対峙(たいじ)する姿勢が全くない。日銀のETF(上場投資信託)買いとGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の累計65兆円の投入で水膨れした株価に依存し、真の危機に気付いていない。日本の劣化は政治と経済の相互作用から生じている。
経済と言えば、「株価」を語るだけの思考停止に陥っている日本に英知を取り戻さなければならない。金融政策だけで調整インフレを誘導する「リフレ経済学」と称する呪術経済学に埋没している日本が見失ったものを直視すべきだ。それは「技術志向の健全な資本主義」と「国権主義を排した自主自立のデモクラシー」へのこだわりだ。誇り高く21世紀の日本を踏み固め直す時である。
(寺島実郎・日本総合研究所会長)