「神」か希代の「変人」か? イーロン・マスクという「現象」=土方細秩子
このところ、米EV(電気自動車)メーカー、テスラのイーロン・マスクCEO(最高経営責任者、47)を巡るドタバタ騒ぎが絶えない。今年10月にはマスク氏が8月に「テスラを1株420ドルで買い取り、非上場化を検討している」とツイッターでつぶやいたことに対し、米証券取引委員会(SEC)がマスク氏を証券取引法違反で提訴した。つぶやきにより同社の株が乱高下したことを「株価操作」と見なしたためだ。
結局、マスク氏個人とテスラ社がそれぞれ2000万ドル(約22億4000万円)の和解金を支払うことで決着したが、マスク氏は今後3年間、テスラ会長職から退くことになった。しかも、SECに続いて10月には米連邦捜査局(FBI)が同社の新型EV「モデル3」の販売台数について消費者を欺いた、という容疑で取り調べに入る、という報道もされた。
テスラはモデル3の大量生産への対応が遅れ、ようやく9月になり週に5000台の生産目標を達成した。マスク氏は、この目標達成の期日を実際よりも早目に設定して、繰り返しアピールしてきたが、これが消費者や投資家をだましたことになるのか、という点が焦点となる。
そもそも、今年9月にはネットニュースのインタビューの最中に「眠れない」などと語り、放送中に大麻を吸引した疑いも持たれ、マスク氏の精神状態を危ぶむ声も聞かれていた。とっぴにも思える事業に果敢に挑戦を続けてきたマスク氏だが、その言動がややおかしくなったのは今年に入ってからのこと。テスラ社員によると、マスク氏は常に自分のデスクの下などで仮眠を取っている状態だという。
ただし、テスラは10月24日に発表した18年7~9月期決算で、8四半期ぶりに黒字となったことが市場を驚かせた。また、マスク氏が経営するトンネル掘削会社「ボーリング」社が進めるロサンゼルスの地下を走る高速移動装置も12月10日に完成披露が行われることも明らかにされ、テスラの会長辞任により他の事業に専念する時間が増えたことがむしろプラスだった、という見方もある。
潜水艦と水ろ過装置
ここで、マスク氏の経歴を振り返ってみよう。マスク氏は南アフリカで1971年に生まれ、高校を卒業後にカナダへ移住。米ペンシルベニア大学に進み、物理学の学位を取得した後、実業家への道を歩む。最初にオンラインメディアサービスの 「Zip2」を起業し、次にオンライン決済システムの「Xドットコム」を立ち上げ。Xドットコムは後に米オンライン決済大手の「ペイパル」へと成長する。
こうして得た資金を元に、2002年には宇宙事業を手がける「スペースX」を立ち上げたが、マスク氏を有名にしたのは、やはり08年10月のテスラ会長兼CEOへの就任だろう。それ以降もソーラーパネル設置会社の「ソーラーシティ」、AI(人工知能)技術リサーチ会社の「オープンAI」、人間の脳とコンピューターを結ぶ研究を進める「ニューラリンク」、そしてボーリングへと次々に事業の手を広げてきた。
しかも、その合間にチューブ内を高速で移動する交通システム「ハイパーループ」のコンセプトを考案したが、「自分には時間がないので誰か実現してほしい」とオープンソースとして情報すべてを公開している。また、タイで今年7月、少年らが洞窟に取り残されると、わずか48時間で1人乗り潜水艦を作ってみせたり、SECとの騒動の直後に水道水の鉛汚染で被害を受けた米ミシガン州フリントの子どもたちのために4000万ドル以上を投じて独自の水ろ過装置を実現させたりもした。
しかしマスク氏の名を一躍有名にしたテスラの歴史を見ると、マスク氏が実業家、投資家としてシビアな人間であることが見て取れる。
そもそもテスラは03年、エバーハード、ターぺニングという2人の実業家が起こした企業だ。テスラ(当初はテスラ・モーターズ)が作られたきっかけとなったのが1990年代初めに起きた米国でのEVブームだった。この時はまだ未来の内燃機関としてEU(欧州連合)ではクリーン・ディーゼルが有力視されていた。一方、米国では国を挙げてEV導入に取り組み、現在のように多くのEVベンチャーが生まれた。
その中から生まれたのが米ゼネラル・モーターズ(GM)の「EV1」という車で、コンパクトでスマートなデザインや性能から今後のEVの旗艦モデルになる、と期待されていた。ところがGMではEV1を650台のみ生産、1997年からリースで販売したが、突如03年に計画は中止され、リース車両は全て回収されてしまった。中止の理由は当時、原油価格が下落傾向にあり、メーカーとしてコストのかかるEV開発を進めるうまみがなかったため、とも言われる。
これに腹を立てて作られたのがテスラ・モーターズだった。起業の年は、まさにEV1の計画中止が発表された03年。しかし、当初のテスラ車はスポーツカーの「ロータス・エリーゼ」のボディーに、内燃機関をEVに換えただけのものだった。それでもかなりの話題となり、マスク氏は当初投資家としてテスラに参入したのである。しかし07年、創立当初のCEOだったエバーハード氏は更迭され、創業者の2人がほぼマスク氏によって会社を追われることになった。
経営方針の違い、実利を追求するマスク氏に対し、理想を追い求めるエバーハード氏の姿勢がそぐわなかったため、と言われる。後にエバーハード氏はマスク氏を提訴する騒ぎにも発展した。しかし、マスク氏の新体制の下、テスラは大化けする。オリジナルデザインの「モデルS」を12年に発表し、オバマ政権下では政府からの巨額融資の対象ともなった。10年には トヨタ自動車とGMの合弁会社であったNUMMI工場(カリフォルニア州)を安く買い取り、本格的なEVメーカーへと飛躍を遂げた。
「神」と風貌が酷似
このころからマスク氏が前面に出て、世間の注目を浴びる存在となった。ただ、マスク氏個人は訴訟まみれでもあり、テスラ、スペースXともに従業員から給与待遇、男女人種差別などで提訴されている。一方、マスク氏側から訴訟を起こすケースも少なくない。14年には米政府を相手取り、NASA(米航空宇宙局)や軍の衛星打ち上げなどのロケット事業にスペースXを参入させるべき、と訴訟を起こす。これに勝訴した結果、スペースXは軍の通信衛星打ち上げ契約を得ることになった。
また、マスク氏は先見の明がある半面、ある種の恐怖症でもある。オープンAIという会社を立ち上げたのは「少数の企業や国家がAI技術を独占すれば、それが暴走してターミネーターのような世界が到来する可能性がある」と考えてのことだし、スペースXの 火星ロケット事業も「将来地球が人類が住めなくなる環境となったときのため」計画したものだ。人類を救いたい、と本気で考えるマスク氏だが、その極端な姿勢を「ドン・キホーテのよう」と揶揄(やゆ)する向きもある。
しかし、マスク氏の大きな貢献は、ほとんどの事業をオープンソースで進めている点だろう。もし非公開技術として特許を取得していれば、それだけでテスラやスペースXは巨額の特許使用料を得て、現在のように経営危機が騒がれる事態は避けられたはずだ。宇宙航空産業に従事している人に話を聞くと、「マスク氏の再使用可能ロケットによりロケット打ち上げ費用は全体として低下し、大企業も真剣に技術開発に取り組むようになった」とその効果を高く評価している。
米国では興味深い研究が行われた。ノースカロライナ大学が今年初め、キリスト教徒の米国人を対象に「神はどのような風貌か」を問う実験を行い、その結果を集計し映像化したのだが、それが非常にマスク氏に似ている、と話題になった。神が創造者であるならば、現代の神はやはりマスク氏なのかもしれない。
(土方細秩子・ジャーナリスト)