『幸福の増税論 財政はだれのために』 評者・白井さゆり
著者 井手英策(慶応義塾大学教授) 岩波新書 840円
分断社会克服に向けベーシックサービス提唱
日本社会は「働かざる者食うべからず」という言葉に代表されるように、国民は勤労・倹約・貯蓄を尊び、できるだけお上(政府)の世話にならず自己責任で生活上の問題を解決すべきとの道徳観が根付いている、と本書は主張する。このため、収入が長く低迷して生活不安を抱える多くの「庶民」は、生活保護受給者(低所得・障害者)をその道徳観から逸脱する「既得権益者」だとみなし、静かな怒りに満ちた感情で社会的弱者=負け犬と位置づけて自分たち(庶民)と区別する。ここには、共生する共同体の構成員同士で痛みを分かち合う発想はなく、モラルハザードを減らすべく生活保護水準をもっと下げるべきとの見方につながる。
この分断社会で皆が幸福に生活できる方法はあるのか。従来二つの対立する改善法が模索されたが、本書はいずれも失敗だったと断定する。一つはアベノミクスが追求する「勤労国家再生主義」で、規制緩和によるイノベーションで経済成長を取り戻し、自己責任で将来不安の解消を目指す手法。だが過去5年間に生じた非正規雇用の拡大、実質収入の減少、労働分配率の低下をみれば同手法が失敗だったのは明白だという。
一方リベラル派の見解で、所得分配の促進によって低所得者の生活拡充を目指す方法は高・中所得層の反発を招き分断が進むだけだと述べている。結局、有効な解決策が見いだせない政府・与党や野党への不信感は募り、受益感が乏しい消費税率引き上げに反発、無党派層が増える結果となった。明快な論理の展開だ。
ではどうすべきか。本書は「ベーシック・サービス」社会の実現を提唱する。基礎的サービス(子育て・教育・医療・介護・障害福祉など)の所得制限の撤廃(既得権の解消)により、国民全員が同額サービスの現物給付を受ける。財源として年間20兆円程度、これに財政再建に必要な財源を加えると総額28兆円程度、消費税率換算で11%程度の追加増税(消費税率19%)が必要との試算を示す。これを高所得者の所得税率、法人税率、相続税率、消費税率の引き上げの間でバランスをとり全国民に応分の負担を促す。一定額の現金を給付するベーシック・インカム案とは一線を画すものだ。
革新的な考えで検討に値するが、それを実行する政府への信頼をどう取り戻すのかがまず大きな課題となろう。ベーシック・サービスの定義や公平で大胆な税制改革が可能なのか長い時間をかけた国民的議論が必要だ。いずれにしても新しい解決を探る方向性として参考になる。
(白井さゆり・慶応義塾大学教授)
いで・えいさく 1972年生まれ。東京大学経済学部卒業。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学などを経て現職。専門は財政社会学。著書に『経済の時代の終焉』『富山は日本のスウェーデン』など。