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週刊エコノミスト Online 復活する会社

ホッピービバレッジ 昭和レトロの飲み物を女性や若者に広げた=大宮知信/4

オヤジの酒と女性社長とのギャップが話題になった石渡美奈社長
オヤジの酒と女性社長とのギャップが話題になった石渡美奈社長

 ホッピービバレッジ(東京都港区)は1905年創業。当初は赤坂でラムネを売っていたが、冬になると需要はがくんと落ちる。初代の石渡秀氏が冬場用のノンアルコール飲料として、戦前から開発に取り組んだのがホッピーだった。発売は48年。「カストリ」や「バクダン」などの怪しげな酒がはびこる闇市で、値段が高いビールの代用品として飛ぶように売れた。特に下町の労働者に「焼酎割り飲料」として圧倒的な人気を博した。

 ホッピーの原料はビールと同じ麦芽とホップだが、アルコール度数は約0.8%と低いため酒税がかからない。度数の高い焼酎と混ぜることでアルコール入りの飲み物となる。だが、日本が豊かになり、ビールやウイスキー、日本酒など多種多様な酒が出回るようになった。焼酎を柑橘系の炭酸飲料で割る「サワー」などに押され、81年の1日20万本をピークに、ホッピー人気は次第に低下していった。

 そこへお家騒動が勃発。社内は石渡派と親戚派に分裂し、親族間の争いが起きていた。業績は低迷。81年に18億円あった売上高は、2001年には8億円にまでダウン。会社存続の危機に瀕していた。この危機を救うことになるのが、2代目社長だった石渡光一氏(現会長)の一人娘、美奈さんだ。

入社してすぐに大失敗

 父親の光一氏は娘に対し、会社に入れとも、後を継げとも言わなかった。入社は、同社が95年に地ビールの免許を取ったことがきっかけ。27歳のとき、父から「これからパパの会社ではビールを作る」と聞いて、「あ、面白そう」と実家の商売に興味を持った。当時、社内でお家騒動の嵐が吹き荒れていたこともあって、父は娘が会社へ入ることに反対だった。

 1年かけて父親を説得。売り上げは低迷していたが、美奈さんにどん底感はなかった。最悪のときの入社だったため、それが当たり前だと思っていた。

 経営不振から復活した企業は、持っている技術力を生かし、時流に合った新製品を開発して成功するケースが多い。一方、ホッピービバレッジは同じ商品を70年も売り続けている。

 美奈さんに「新しい商品を出そうと思わなかったのか」と聞くと、「私、逆のことをやってしまったんです」という答えが返ってきた。99年に発売した新商品「ホッピーハイ」の失敗のことだ。

 入社する前、広告代理店で3年間仕事をしたときのことを思い出し、何となく身につけた商品開発の知識が念頭にあった。焼酎をホッピーで割るのは面倒くさいと、中身をあらかじめ焼酎と混ぜたものにし、瓶のラベルもオシャレにしてダサいイメージを払拭(ふっしょく)。ところが鳴かず飛ばずで、逆に1000万円の赤字を出してしまった。

 皮肉なことに「こんなにオシャレなモノがホッピーのわけがない」という反応の方が多かった。昭和を感じさせるレトロな雰囲気を壊したのが敗因だった。

派手なホピトラを走らせ注目を集めた
派手なホピトラを走らせ注目を集めた

 商品作りでは失敗したものの、広告代理店で働いた経験は無駄ではなかった。安上がりでインパクトがある宣伝・販売促進活動をしようと、思い付いたのが運送用トラックを広告宣伝に使う「ホピトラ」。車体にカラフルな色調でホッピーやイラストを描いたトラックを走らせるという広告戦略だ。池袋や新宿、渋谷などの盛り場をぐるぐる走らせた。

 人目を引く「走る看板」の効果は絶大だった。ホッピーの知名度は急上昇。映画「ALWAYS三丁目の夕日」に代表される昭和ブーム、健康志向の高まりという時代の流れの後押しもあった。ホッピーは低カロリー、低糖質、プリン体ゼロ、ヘルシーな飲み物なのだ。

 さらに復活に大きく寄与することになったのがメディアの取材。「オヤジ」のイメージが強いホッピーを作っている会社の跡取りが女性という意外性に、雑誌やテレビが飛びついた。なかでも反響が大きかったのが、03年に放送されたテレビ朝日系の深夜番組「タモリ倶楽部」。「ホッピーと相性のいい酒は何か」を検証する番組に美奈さんが出演。放送終了後、問い合わせが殺到したという。

 ネットの情報発信にも力を入れた。光一氏は「そんなことをやって売り上げが増えるのか」と渋い顔で見ていたが、早い段階で自社サイトを立ち上げ、ホッピーのおいしい飲み方を伝えるなど努力を重ねた。そうしたイメージアップ戦略が奏功し、「オッサン」から若者や女性へと客層も広がった。

 10年に美奈さんが社長に就任。売り上げは01年を底に反転し、17年度は約40億円と5倍近くになった。

 復活の要因について聞かれると、美奈社長は「特別何かを仕掛けたとは思っていないのですが」と首を傾げつつ、「一つ一つの時代の波が一筋の大きな川になって、全体が底上げされたという感じですね」と語る。

東京の下町から世界へ

 首都圏では多くの居酒屋でホッピーを飲むことができる。だが、東京の飲み物のイメージが強く、売り上げの8割は首都圏だ。「営業が10人ちょっとしかいないので」、関西方面で営業を強化するのはまだ難しい。工場が東京都調布市にしかなく、瓶ものを運ぶのは輸送コストがかかり、利益を圧迫するという問題もある。まず「東京ドリンク」としてのブランドを定着させ、そのための人材を育成し、生産量も含めて体力をじっくり付けていかないと、次の拡大策は打てない。

 昨年はホッピー発売70周年だった。一般から「ホッピーハッピーアワード」という短編小説を募集したり、さまざまな記念イベントを実施。ブランドイメージ向上を狙ってニューヨークに乗り込んで、美奈さん自らニューヨーカーに売り込みを図った。

 かつてホッピーにはビールのまがい物的なイメージがつきまとった。そのビールの消費量が年々低下、アルコール度数の高い酒も敬遠されるようになった。ホッピーも時代の移り変わりによって中身や飲み方のスタイルが変わっていくだろうと美奈社長は見ている。

 ホッピーは完全に復活したのかと尋ねると、こう答えた。

「復活というよりも新しいステージにきているのではと思う。一応数字は伸びているので、いまのところやっていることは、おおむね間違っていないかなと」。美奈さんの社長業はこれからが本番だ。

(大宮知信・ジャーナリスト)

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