週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

彗星ジャパン主将=土井レミイ杏利・プロハンドボーラー/756

    「きれいなプレーでなくていい、泥臭く点を取りたい」(撮影=佐々木龍)
    「きれいなプレーでなくていい、泥臭く点を取りたい」(撮影=佐々木龍)

     ハンドボール男子日本代表(愛称・彗星ジャパン)の主将としてチームをけん引するのは、フランスで再起したハンドボールのプロ選手。本場でもまれたメンタルの強さと、筋金入りのポジティブな思考の原点にあるものとは──。

    (聞き手=浜條元保・編集部)

    「フランスで培ったプロ意識を浸透させ、世界で勝つ」

    ── 土井選手は昨シーズン(2018~19年シーズン)、ハンドボールのフランス・プロリーグ2部のシャルトルを優勝に導き、1部リーグ昇格に貢献しました。ハンドボール大国のプロチームから残留のオファーがあったにもかかわらず、日本に戻ってきたのはなぜですか。

    土井 予選リーグで5戦全敗し、順位決定戦でも2連敗して最下位(24位)となった今年1月の世界選手権後、ハンドボール男子日本代表(愛称・彗星(すいせい)ジャパン)のダグル・シグルドソン監督から「来シーズンは日本でプレーしたらどうだ」と提案されました。いつかは、日本でプレーしたいという気持ちがあり、監督の言葉に背中を押されて、7月から実業団の大崎電気工業ハンドボール部にお世話になることに決めました。

    ── シグルドソン監督からその後、彗星ジャパンの主将に指名されました。

    土井 びっくりしましたが、監督は僕に日本へ戻ることを提案した時から考えていたのかもしれません。僕の筋金入りのポジティブな性格、フランスでいい成績を残したプラスのムーブメントをそのまま日本代表に持ち込んでほしいと言われました。1月の世界選手権で痛感したのは、日本チームのメンタルの弱さ。僕が帰国を決めたのも、このメンタルの弱さを克服し、世界で勝つため。海外で経験した試合に臨む姿勢や、高いプロ意識を浸透させることが僕の役割だと思っています。

    故障で引退を一時決意

    高く滞空時間の長いジャンプでシュートを決める土井選手(2018年フランスカップ)
    高く滞空時間の長いジャンプでシュートを決める土井選手(2018年フランスカップ)

     20年の東京五輪に開催国枠で出場が決定したハンドボール男子日本代表。男子代表の五輪出場は1988年のソウル五輪以来、実に32年ぶりだ。土井選手はハンドボールの強豪国フランスの名門シャンベリ・サヴォワ・アンドバル(CSH)と13年にプロ契約し、その後も第一線で活躍を続ける。高い跳躍力や滞空時間の長さなど抜群の身体能力で、左サイドから放たれる高い精度のシュートは相手チームにとって大きな脅威。そのプレーだけでなく、ハンドボールに臨む前向きな姿勢が、文字通りチームをけん引する。

    ── ハンドボールを始めたきっかけは?

    土井 僕は、フランス人の父と日本人の母との間にパリで生まれましたが、3歳の時に千葉県香取郡多古町に引っ越して育ちました。たまたま通っていた小学校にハンドボール教室があったのが、始めたきっかけです。その後、強豪の浦和学院高校(埼玉県)で1年生からレギュラーとして試合に出場し、日本体育大学でもずっとプレーを続けました。しかし、大学卒業後は引退を決め、フランスへ語学留学に行くことにしました。

    ── 実業団チームから声がかかるほどのプレーヤーでしたが、なぜ語学留学を?

    フランス・プロリーグ時代の土井選手
    フランス・プロリーグ時代の土井選手

    土井 長年の猛練習がたたったのでしょう。大学4年生の時に膝が悲鳴を上げて、普通に歩くのも困難な状況になってしまいました。ハンドボールが大好きだったからこそ、中途半端な状態では続けたくなかったのです。語学を身につければ、仕事の選択肢も広がるし、もともと人と話すのが大好きでした。少しはフランス語も話せましたしね。ところが、渡仏すると膝が治るというミラクルが起きたんです。本当にびっくりですよ。膝が治ると、無性にハンドボールがやりたくなりました。

    ── 紹介されたチームが超名門のCSHだった。

    土井 渡仏したばかりの12年夏のロンドン五輪で、フランスが優勝する試合をホームステイ先のテレビで見ていました。そこで活躍する選手がゴロゴロいるチームだったのです。僕が入ったのはそのセカンドチームで、18~22歳の若手が上のトップリーグ(プロ)を目指す育成機関。フランス全土から有望な若手がスカウトされてきます。僕は身長180センチと体格では劣るものの、試合では力負けすることなくプレーすることができました。

    チームメートの“異変”

    ── 予定通り1年で帰国しようとしていたら、チームからプロ契約すると。即決ですか。

    土井 当然です。五輪で優勝するようなプレーヤーがいるチームとプロ契約が結べるのですから。振り返れば、何の野心もなく伸び伸びプレーできたのがよかったのかもしれません。全員がプロを目指してガツガツ練習している中で、僕は好きなハンドボールを再開できる楽しみだけでプレーしていましたからね。

    2018年フランスカップ
    2018年フランスカップ

    ── しばらくすると、チームメートの異変に気付いたとか。

    土井 シーズンが始まって4カ月くらいたったころだったと思います。それ以前から汚い下品な言葉をかけられているとは感じていたのですが、僕に対する呼び名が、中国人に対する最もひどい蔑称だったことに気付きました。チームメート全員から毎日、差別用語を浴びせられ、仲間とは認められていなかったのです。完全な孤立状態。生まれて初めてハンドボールが嫌になりました。こんなスーパーポジティブな人間が、ですよ。

    ── 何が原因だったのですか。

    土井 上下関係の厳しい日本の高校、大学と同じ調子でやってしまったのがいけませんでした。すごいプレーヤーばかりいるチームで、僕は当然彼らをリスペクトします。率先して下働きをして、差別用語を投げかけられ、みんなから笑いのネタにされても、反論することなくヘラヘラと笑みを浮かべるばかり。「こいつには自分というものがなく、仲間にできない」と思われたのです。日本とフランスとでは、文化が違いすぎました。

    ── 精神状態を元に戻すのは相当大変です。どうしたのですか。

    土井 半年ほどして、2週間の冬のバカンスに入りました。この間に自分を入れ替えないと僕のハンドボール人生は終わるな、と。そこで、逃れられない今の状況を逆に楽しんでやろうと考えたのです。バカンスの2週間、毎日メンタルトレーニングに励みました。そして、小学3年生で始めたころのように、純粋に自分のためだけにハンドボールを楽しもう、と。すると、その後の半年間はガラリと変わりました。

    「常に自信たっぷりに」

     メンタルトレーニングの効果もあり、1年目のシーズンは6試合に出場、7得点(シュート決定率70%)の成績を収めた。しかし、チームメートのいじめは相変わらず。15年5月、勝てばリーグ3位浮上という試合で、1点差で負けた直後に事件は起きた。この試合で土井選手が2シュート2得点の決定率100%だったのを、4シュート中2得点(同50%)とジャッジされた不満をフェイスブックに書き込むと、それを読んだチームメートが激怒した。

    ── チームメートから何と言われたのですか。

    土井 「お前はチームのことをまったく考えないんだな! 自分のスコアなんかどうでもいいだろう」ってすごいけんまくで僕に切れました。それから毎日のように僕に毒づきます。さすがの僕もブチ切れました。「これまで毎日のように汚い言葉で俺をけなしてうれしそうにしているけど、この2年間どれだけ我慢して笑っていたのか分かるか。そんな俺にチームのことを思えって言うのか」。涙をボロボロ流しながら、僕は訴えた。

    ── たまりにたまったストレスが爆発したんですね。

    土井 「どうして2年間も我慢していたのか」と、チームメートは一様に驚いていました。僕は自分のことだけを考えて耐えてきた。メンタルトレーニングで鍛えてはいましたが、自分でも気付かないうちに毎日の心ないチームメートの言葉に対するストレスがたまっていたのです。でも、それから生活が一変しました。僕が初めて本当の思いを伝え、自分の殻を破ってみんなに自分をさらけ出したことで、一緒に笑い合えるようになりました。最初に僕にブチ切れたチームメートとは、いまでは無二の親友です。

    ── 7年間フランスでプレーして得たことは?

    土井 海外に挑戦するうえで、一番の敵はストレスです。異文化に溶け込めない孤独感、疎外感、日本とは違うあらゆる状況から蓄積されるストレスにうまく適応できなければ、どれだけハンドボールがうまくても海外では通用しません。大学の後輩である女子ハンドボールの池原綾香選手が17年6月、デンマークのチームへの移籍を発表した際には、すぐに連絡して「海外ではミスしても絶対に謝るな。常に堂々と自信たっぷりに振る舞え」とアドバイスしました。

    ユニークな家族の支え

    ── 15年には初めて日本代表に選出されます。フランス国籍を選びフランス代表を目指すという選択肢もあったと思いますが、日本を選んだ理由は?

    土井 日体大での4年間は、厳しい上下関係や規律の下で、精神的にも身体的にも本当にきつかったです。けれど、同じ寮生活を送った仲間がいたからこそ、苦難を乗り越えられました。つらかった時期を一緒に過ごした仲間は家族同然。貴重な体験です。こうした体験が影響しているかもしれませんが、ある意味で僕は日本人以上に日本人だと自負しています。だから、日本代表に選ばれたのは、本当に光栄で誇りに思います。確かにフランス国籍を選ぶこともできましたが、フランス代表には呼ばれなかったと思いますよ(笑)。

     襲い掛かる逆境を次々とはね返してきた土井選手。何事も楽観的な父ダニエル・フートリエさん、「好きなことをやりなさい」と背中を押し、「やるなら本気で世界を目指せ」と叱咤(しった)激励する母・土井美千代さんの影響が大きいと話す。兄・勝利さんはレーシングカート選手として欧州を転戦した後、現在は祖父の会社を継ぐ。妹・桜子さんはパリで高級ブランド「エルメス」のデザイナーとして活躍後、現在はイタリアのトップブランドで仕立てを担当する。

    熱く語る土井選手 撮影=佐々木龍
    熱く語る土井選手 撮影=佐々木龍

    ── ユニークな家族ですね。

    土井 父はどんなに仕事が厳しい時でも、「何とかなるさ」と楽観的で、とにかくポジティブ。しかも、すごく子煩悩。実は、僕がフランスの有力セカンドチームにすんなり入れたのも、事前に父が知り合いを通じて「息子が訪ねていったら、頼む」と口添えをしていてくれたからです。母は独学でフランス語を学んで単身パリに行ってしまうような人。そこで父と出会って一緒に帰国しました。いろんなことに挑戦させてくれながら、中途半端を許さないという扱いは、兄と妹も同じです。

    ── 来年1月にクウェートでアジア選手権が開催されます。カタールやバーレーンなどの中東勢や韓国といった強豪との対戦が予想されます。

    土井 日本は欧州勢のような強豪には失うものがないので、思い切りぶつかっていけるのですが、絶対勝たなくてはいけないアジア勢との対戦になると萎縮してしまう。欧州では対外試合は戦争のようなもの。日本では、ウオーミングアップから試合モードに切り替えればいいと言いますが、前日から集中力を高めて、相手チームをどう攻略するかを考えるのが普通です。そうした僕の海外経験を財産として日本に還元し、前回(18年)6位に終わったアジア選手権で優勝して、東京五輪でも絶対に実力で勝ちたいですね。

    ── 現時点の手ごたえは。

    土井 まだまだですが、周囲から選手たちの試合に臨む姿勢が変わったと言われるようになりました。華麗なプレーやきれいな得点よりも、僕は泥臭く貪欲に点を取っていきたいと思っています。とにかく勝ちにこだわるチームにしたいですね。


    シュートを決める土井選手
    シュートを決める土井選手

     ●プロフィール●

    どい れみい あんり

     1989年9月フランス・パリで、フランス人の父と日本人の母の間に生まれる。3歳で千葉県香取郡多古町に移り住み、8歳からきょうだいの影響でハンドボールを始める。2012年日本体育大学卒業後、フランスに語学留学、仏名門チーム「シャンベリ・サヴォワ・アンドバル」に練習生として加入後、13年にプロ契約。19年7月大崎電気工業ハンドボール部に移籍。ハンドボール男子日本代表の主将として20年の東京五輪に臨む。

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