超低金利の長期継続がイノベーションの活力を奪う=榊原可人
超低金利の継続という今の経済環境は、日本の将来にプラス効果をもたらしているのだろうか。一般論として、金融緩和政策によって企業や投資家がリスクを取りやすくなり、より高い収益を求めるリスクマネーが増えると言われる。しかし、それが正しいか否かについて、あまり深く検証されていないのではないか。
最近になって、マイナス金利の弊害が指摘されるようになってはいる。しかし、それ以上に深刻な問題をもたらしている可能性がある。本当にリスクマネーは意図した効果をもたらすように増えているのか。実はそうではなく、日本に必要だとされる生産性の上昇を起こりにくい環境にしているとの疑いがある。そう考えられる理由を解説し、議論を喚起したい。
筆者は長年、外資系金融機関のエコノミストとして、マクロ経済の分析を行ってきたが、2017年から国内と海外の間で金融商品や投資案件の橋渡しをする仲介ビジネス(プレースメント・エージェント)に転じて以降、金融緩和の大きな問題に強く気付かされることとなった。
それは国内投資家の要求利回りへの目線が大幅に下がって定着してしまっていることである。それに伴って絶対的な「リスクテーク」意欲も顕著に低下している。
投資家はさまざまな案件に対する投資意思決定をする際、期待利回り、あるいは要求利回りと呼ばれる目安を持っているケースが多い。機関投資家であれば、基準となる一般的な投資対象と比較して、リスクを取ることへの上乗せリターンの期待だったり、自己の負債管理に基づく目指すべきリターン水準から逆算されるものだったりする。
その期待利回りや要求利回りの基準になるのが安全資産(リスクフリー)の金利で、代表的なものが国債(10年物)の金利だ。
こんなことは金融経済においてイロハとも言える知識だが、意外にもそれがどのように現実とつながっているのかは、あまり明確に意識されていない。日銀による国債や株式の保有が引き起こす潜在的な問題や、低金利が金融機関の収益に与える悪影響などは広く語られるようになっているが、長年の低金利継続が期待利回りや要求利回りを下げることの経済的意義を議論したものは寡聞にして知らず、そうした視点はこれまであまり提供されてこなかったようだ。
低い目標リターン
日本は経済が成熟し、成長率が下がっているため、金利も低くなるのは自然なことだ、という論点で終わってしまっている印象が強い。それ自体は道理にかなっており、ある程度は受け入れるしかないが、そうは言っても「成長率を下げないためにイノベーション(技術革新)を促進することが大きな課題だ」という主張を展開する識者が多い。しかし、低金利は仕方ないとする一方、イノベーションは必要という見解は、イロハの知識から応用に至る論理が矛盾を内包していることに気付いていないと言える。
一般論として、イノベーションが簡単に起こせるものでないということは論をまたない。つまり、イノベーションを狙って挑むプロジェクトは失敗する可能性が高いということである。その失敗を恐れず、チャレンジを繰り返すことによって成功の確率を高めるしかない。ならば、個々には成功の確率が高くないプロジェクトを支援するリスクを、多く積極的に取る社会になる必要があろう。実り多きイノベーションになる可能性があるプロジェクトであればあるほど、画期的で実現には困難が伴うことが多いので、ハイリスク・ハイリターンの案件になるはず。だから絶対的な「リスクテーク」への意欲が高くなければならない。
しかし、市場金利が大きく下がった状況が長く続き、投資家の期待利回りや要求利回りも下がり切ってしまった社会は、全くその逆になっている。筆者が同僚と共に投資案件の仲介を案内する中で国内投資家から頻繁に聞かれるコメントは、「そこまで目標リターンが高くない商品でよい」「目標リターンがそれだけ高いということは、取っているリスクも相応に高いということで必要ない(望ましくない)」などである。
常態化が問題
投資家のこのような姿勢を受け、プロジェクトを手掛ける起業家や開発者はどのような反応になるであろうか。超低金利で投資資金が滞留している環境(過剰流動性といわれる状況)の下、彼らは期待利回りを少し高めに設定した案件を用意すれば、すぐに資金が集まるという状況を実感しているであろう。無理してハイリスク・ハイリターンのプロジェクトに挑戦する必要に駆られないことは想像に難くない。かくして画期的なイノベーションをもたらすようなプロジェクト案件は広がらないのである。
もう古い資料の記述だが、あるプライベート・エクイティ(PE=未公開株への投資)関係者が、なぜ日本のPE案件はリターンが低めなのかと問われ、「通常は株式リターンにプラス5%程度を目指すから、株式リターンが低ければPE投資の期待リターンも低くなる」と回答していた。金利が低ければ、株式投資で得られるリターンも低くなり、連動してPE案件の期待リターンも低くなるのが自然な資本の論理だ。
企業活動が後退する中で金融緩和策により経済活動を刺激することは、当面の企業収益見通しを改善させることを通じて株式投資への期待リターンを上げる。したがって、利下げや場合によっては量的緩和も刺激効果を発揮する。再び金利が上昇する前に経済活動を強める動機が生まれるからだ。
しかし、超低金利が常態化してしまっては追加緩和によって得られる効果は限定的なものになり、むしろ投資資金の滞留が投資への要求利回りを下げ、積極的なリスクテークへの意欲をそぐことになってしまう。その結果、イノベーションの阻害要因となる可能性が高いという結論が導き出される。
最後に念のため補足しておくが、これは積極的な金融緩和政策の継続を不適切だと批判するものではない。詳しくは『日本経済の新しい見方』(会田卓司氏との共著)を参照してほしいが、日本経済がデフレからの脱却を図るマクロ政策において、金融政策に依存しすぎていることを問題視している。財政健全化を重視するあまり、財政支出を抑えすぎていることが、経済を低迷させ、デフレを長期化し、結果的に超低金利の常態化をもたらしている。今こそ発想を転換し、積極財政政策によって、経済を刺激し超低金利からの早期脱出を促すことが必要だ。
(榊原可人、ソレイユ・グローバル・アドバイザーズ インベストメント・ディレクター)