世界通貨体制への挑戦 リブラが開けた「パンドラの箱」=山岡浩巳
10月のワシントンG20(20カ国・地域)の話題は、暗号資産(仮想通貨)「リブラ」が独占した感がある。フェイスブックが投じたリブラという一石がこれほど巨大な波紋を生じたことは、近代以降の「国家の枠組みに基づくマネー」という体制がチャレンジされることの衝撃の大きさを示している。
2009年に誕生したビットコインも、当初は国家の枠を超えて使われる決済手段となることが目指されていた。しかし、ビットコインやその後登場した数々の暗号資産は、ボラティリティー(相場変動)の大きさや規模の制約のため、もっぱら投機の対象となり、決済手段としてはほとんど使われなかった。このため当局も、「国家を超えるマネー」という核心的な問題を直視せずに済んできた。
だが、リブラは「巨大ネットワークが提供するステーブルコイン」、つまり、価値が安定した暗号資産として、従来の暗号資産が抱えていたボラティリティーや規模の問題の克服を図った。その結果、皮肉にも初めて「本当に広く使われかねない暗号資産」となった。このため各国とも、国家を超えるマネーという問題に目を向けざるを得なくなった。G7(主要7カ国)作業部会のクーレ議長がリブラを「当局へのウエークアップ(目覚まし)コール」と評したのは至言である。
米欧中のマネー覇権
現在のマネーは、近代以降の国民国家の枠組み──各国の法制や中央銀行制度、徴税権など──によっている。欧州統一通貨ユーロもあくまで国家間の合意に基づく。21世紀に入り、米国のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)、中国のBAT(百度、アリババ、テンセント)といった国家を超える規模でデータを集積する巨大企業が登場しているが、マネーとの関連では、中国企業が発行するアリペイ、ウィーチャットペイの2大オンライン決済は人民元建てであったし、GAFAはこれまで支払い決済分野への本格的参入を控えてきた。
この中で登場したリブラは、GAFAの一角を占め、20億人を超えるユーザーを擁する米巨大企業フェイスブックが、子会社経由とはいえ、支払い決済手段の本格的提供に関与していくというものである。まさに、各国当局の目を覚まさせるに十分な衝撃であった。
ドルはIMF(国際通貨基金)のSDR(特別引き出し権)上のウエートは4割強だが、各国の外貨準備に占める比率は6割強であり、外為取引の8割以上がドルを対象としている(表)。米議会証言でフェイスブックはリブラの裏付け資産の約50%が米ドル建てとなるとの見通しを述べた。それでも、米議会や当局の実感としては、基軸通貨ドルの地位低下を懸念させるに十分なものといえる。
一方、1999年以降、ユーロのプレゼンス向上に努めてきた欧州からみれば、リブラは欧州通貨を過小評価しているとして、やはり受け入れ難いだろう。
この間、「人民元国際化」に国策として取り組んでいる中国は、人民元のクロスボーダー決済システムを15年に構築し、18年からはその24時間稼働も導入した。悲願であった人民元のSDR入りも16年に実現した。こうした中、フェイスブックが米国議会での証言で「リブラの裏付け資産に人民元を入れない」と明言したことは、中国としては到底受け入れられまい。
また、リブラは、とりわけ途上国・新興国の貧しい人々などに恩恵をもたらすことが想定されている。しかし、リブラへの資金流出、つまり通貨の「リブラ化」を危惧する当局側は、リブラにきわめて警戒的となろう。先進国通貨建ての資産のみを裏付けにするリブラの拡大は、間接的に途上国・新興国通貨から先進国通貨への資金流出につながるからである。この中で、ステーブルコインに関するG7作業部会が10月のG20に提出した報告書は、リブラのような「グローバル・ステーブルコイン(GSC)」について、マネーロンダリング(マネロン=資金洗浄)対応などに関する高いハードルを課し、そのクリアを実現の必要条件とするものである。
すでに現在、匿名性の高さを売りにしたり、裏付け資産などそもそも持たない暗号資産が多く存在するなか、リブラだけを狙って明示的に「禁止」することは難しい。リブラの技術自体も新奇なものではなく、リブラだけを止めたところで、類似のステーブルコインはいくらでも現れうる。
当局の真の関心事の中で、マネロンはその一部に過ぎない。例えば、独仏の財務大臣は9月13日、リブラに関する共同声明を発出し、「いかなる民間機関も主権国家に代わるような通貨のパワーを持ちえない」と、強い警戒感を表明している。各国のリブラへの懸念の根源が、現在の通貨制度そのものへのチャレンジにあることは、本誌8月27日号でも指摘した。「禁止はしないが、高いハードルを課す」という国際的対応の本音は、「時間稼ぎをしつつ、リブラ側の自主的な計画修正に期待する」ということであろう。
誰が貧者の金融を担うか
こうしたなか、10月23日にフェイスブックCEO(最高経営責任者)のザッカーバーグ氏が米議会で証言した。ザッカーバーグ氏は、予定されていた20年前半の発行は延期を示唆し、米国金融当局の方針に従うと述べた。同時に、貧しい人々などに便利で安価な送金・決済手段を提供していく「金融包摂」の必要性を強調したうえで、米国がこの分野でイニシアチブを取らなければ、中国が主導権を握りかねないと警鐘を発した。
今回の議会証言により、先行きリブラが「オープン化」に移行する可能性はほぼなくなった。意思決定に誰でも参加できる「オープン化」を進めれば、中国の影響力が強まることも止めにくくなる。
一方で、「デジタル技術革新の恩恵が金融に十分及んでいない」というザッカーバーグ氏の問題提起は、当局者としても無視できないものである。実際、マネロンの規制負担増などを背景に、海外コルレス送金業務から撤退する銀行は近年増加している(図)。
また中国は、中央銀行デジタル通貨の研究を着実に進めていると、繰り返し説明している。このような状況下、「リブラを止めたとしても、では、世界中の貧しい人々などへの金融サービスの提供を誰が引き受けるのか」「銀行がやってくれるのか、巨大データ企業がやるのか、それとも中央銀行が担うのか」という問いかけは重い。
(山岡浩巳 フューチャー経済・金融研究所所長、前日銀決済機構局長)