WTO紛争解決制度 米政権が関連手続きを阻止=深作喜一郎
WTOの紛争解決制度が、前例のない困難に直面している。紛争解決制度の控訴審に当たる上級委員会の欠員が生じ、12月11日には審理手続きが機能停止に追い込まれるのだ。欠員補充のプロセスをブロックしているのは米国である。後に詳しく述べるように上級委員会の法令解釈や組織運用の方法に不満を抱いているからだ。
近年、上級委員会に対する不満は加盟国の間で高まっている。日本も例外ではない。きっかけは、韓国による水産物・食品に対する輸入規制措置を巡る上級委員会判断だ。韓国は東京電力福島第1原発事故後の2013年9月、福島県など8県で水揚げされた全水産物及び食品の一部を輸入禁止とし、それ以外の食品の検査や認可手続きを強化する措置を取った。日本政府は、韓国による措置は「必要以上に貿易制限的なものである」などとして、同年8月WTOに提訴した。18年2月の紛争解決小委員会(パネル、1審に相当)報告書は、日本の主張をほぼ全面的に認める判断を下したが、韓国は不服として同年4月に控訴していた。
そして今年4月、上級委員会が報告書を公表し、パネル報告書の判断には瑕疵(かし)(欠陥)があるとして、パネル判断の多くを取り消した。WTOの関連協定は、自国民や動植物を保護するのに必要ならば、検疫などの措置を取る権利を認めている。韓国は「適切な保護の水準」として、定量的な要素(放射性物質濃度)だけではなくて、定性的な要素(特定地域の食品に対して抱く安全安心への考え方)も鑑みるべきだと主張していたが、上級委員会は韓国の主張を尊重するべきとした。報告書は、WTO加盟国で構成するDSB(紛争解決機関、囲み参照)で採択され、これにより日本の逆転敗訴が確定した。パネルではほぼ全面勝訴していただけに、日本では逆転敗訴が驚きと不満をもって受け止められた。
司法積極主義への不満
では、上級委員会はどのような問題を抱えているのであろうか。表は、上級委員会の構成を示している。委員は裁判所で言えば判事に相当し、定員は7人だ。3人の委員が1組となって控訴された紛争案件の審理を行い、法的判断を下す。各委員は、1期4年の任期を2期まで務めることができる。また、委員の採用に際しては、加盟国全体の地域性を反映するように注意が払われている。
現在、定員7人のうち4人が欠員だ。紛争を解決するためのWTOの規則と手続きを定めた「紛争解決了解(DSU)」は、「欠員があり次第、採用すること」としており、多くの加盟国は、採用プロセスの立ち上げをDSBに要請しているが、米国によってブロックされたままである。このまま人事の停滞が続くと、12月10日にはさらに2人の委員の任期が満了することになり、上級委員会の審理手続きは完全に機能を停止する。
米国が委員欠員の採用をブロックしている背景には、(1)上級委員会による「司法積極主義」、(2)上級委員会が運営ルールを順守しないことに不満を持っているためだ。
上級委員会の役割は、パネル報告書でカバーされたWTO協定に係る法律上の問題とそれに関してパネルが下した法的解釈が妥当かを判断することである。米国は、上級委員会報告書が示す法的解釈にはこの役割を逸脱し、WTO協定上の条文が想定していないような紛争が生じた際に、そのギャップを自ら埋めようとする「司法積極主義」がみられると批判している。
米国は、「司法積極主義」のパターンとして二つを挙げて非難する。一つは、他の条文からの類推によって、問題となる条文には書かれていない義務や権利を積極的に認めようとする行為である。もう一つは、問題となる条文に曖昧さがある場合、加盟国の義務や権利に変更をもたらすような解釈を加えることによって、曖昧さを解消しようとする行為である。米国は、具体的な事例については言及していないが、上級委員会の判断によって、米国の国内法に基づくアンチ・ダンピング(AD)措置の使い勝手が悪くなっていることが背景にあると思われる。
WTOは本来、自由かつ公正な貿易を推進するための交渉機関である。この基本原則に従えば、条文の修正は必要に応じて加盟国間の交渉を通じて改正され、加盟国が承認するものである。米国は、このプロセスこそが条文に「権威ある解釈」をもたらすものであるとの立場を明確にしている。そして、上級委員会が交渉機能に取って代わる不適切な行為を取っており、WTOが「訴訟中心の機関」になったとみなしている。
運用規則違反も批判
2点目のルールの不徹底について、米国は長年不満を蓄積していたが、17年に入り、次の3点を指摘した。
(1)上級委員会の審理手続きには、報告書の作成と送付を含めて最長90日を超えてはならないという規定がある。しかし90日を超えた場合でも、上級委員会から納得のいく説明がなされたことはない。
(2)上級委員会委員の辞任は、その旨を議長に通告してから90日後に効力を持つという規定がある。にもかかわらず、17年8月1日に辞任した韓国出身委員は、このルールを完全に無視して、通告から90日を経ないで自国へ去った。
(3)任期満了した上級委員会委員は、担当する控訴審が結審するまで継続して委員を務めるという慣例がある。17年6月末に退任したメキシコ出身委員は、この慣例に従い、およそ1年近くにわたって委員にとどまった。しかし、任期満了した委員が長期間その任務にとどまるべきかの決定は、上級委員会ではなく、加盟国によって判断されるべき問題である。
上記3点のルールについては、それぞれに立法趣旨はあるだろう。たとえば、審理手続きを最長90日に制限するルールについては、パネル報告書が言及するWTO協定上の法律問題に関して速やかな法的判断を促し、紛争を迅速に終結させる側面がある。米国が問題視しているのは、ルールを守らないことによって紛争解決が不必要に長引くことなのである。
トランプ路線の影響も
ただし、長年蓄積していたこのような問題意識を、トランプ政権発足後の17年に表明したのには留意が必要であろう。トランプ政権は、2国間貿易協定により自国の利益を最大化する路線を取っている。米国が長年WTOに持ち続けた不満が、多国間貿易交渉を嫌気するトランプ政権の下で一気に噴出したとみるのが妥当であろう。
12月11日以降は上級委員会の機能が完全に停止してしまうため、申立国・被申立国双方ともパネル報告書の判断に対して控訴する道が閉ざされてしまう。仮に、パネルで敗訴した国が不服として控訴する意思を示しているとき、DSBはパネル報告書の内容を控訴審の法的判断なしに採択することはできない。
上級委員会への控訴に代わる措置として、EU(欧州連合)は、カナダ及びノルウエーとの間で、拘束力のある仲裁手続きを暫定的に採用することに合意している。この仲裁手続きは、上級委員会への控訴手続きに可能な限り準拠しつつ、DSUに規定された仲裁条項に従っている。具体的には、WTO事務局長が過去の上級委員会委員のリストの中から選抜する3人の元委員が仲裁者として控訴された案件を審理し、拘束力を持つ仲裁裁定の結果はDSBや関連理事会・委員会に報告すればよい。
もちろん、申立国・被申立国双方が控訴しないことに合意すれば、DSBはパネル報告書の内容をそのまま採択できる。だが、国際通商紛争において相手国の善意に期待することは現実的ではなく、EUと、カナダ及びノルウエーが合意した「控訴仲裁手続き」は、他の加盟国も次善の策として暫定採用するかもしれない。
欠員を補充するべく、DSBは通常の会合に加えて非公式会合も重ねて加盟国間の妥協点を探ってきた。しかし、米通商代表部(USTR)は、欠員補充手続きの開始に同意する条件を明らかにしていない。トランプ政権は人事手続きをブロックするという前代未聞の措置によって、上級委員会を機能停止に追い込んでいる。米国は、「12・11」以後の紛争解決手続きに関して早急に具体策を提示する義務がある。ウルグアイラウンド交渉では現行の紛争解決制度の確立に向けて主導的な役割を果たしたのとは対照的な状況だ。
(深作喜一郎・慶応義塾大学特任教授)
DSB(紛争解決機関 Dispute Settlement Body)
WTO全加盟国で構成する紛争解決機関で、パネル設置の権限を持つ。パネル、上級委員会の報告書が実効力を持つには、DSBの採択(全ての関係国が反対しない限り紛争解決の手続きを自動的に進めるネガティブ・コンセンサス方式を採用)が必要だ。報告書で、ある措置がWTO協定に違反すると判断された場合は、DSBが勧告を採択して、当事国に対して協定に適合するよう勧告する。DSBは、常設の上級委員会の欠員を補充する手続きも担っている。
(深作喜一郎)