週刊エコノミスト Onlineワイドインタビュー問答有用

地学で人を救う=鎌田浩毅 京都大学大学院人間・環境学研究科教授/777

「今日はイッセイミヤケですが、イタリアのデザイナーの服が好きですね」撮影=中村琢磨
「今日はイッセイミヤケですが、イタリアのデザイナーの服が好きですね」撮影=中村琢磨

 カラフルなジャケットやブルゾンを身にまとい、京都大学で教える地球科学が人気講義の鎌田浩毅さん。2021年春の定年退官を前に、防災や減災の啓発に一層力を入れている。

(聞き手=竹縄昌・ジャーナリスト)

「日本は1000年ぶりの『大地変動の時代』に」

── 昨年9月に刊行した『やりなおし高校地学』(ちくま新書)は、発売と同時に重版される人気だったそうですね。センター試験の地学の問題がふんだんに掲載され、解答の平易な解説を読みながら地球と宇宙の成り立ちが理解できるユニークな本です。

鎌田 30~50代の人向けに地学の本を出そうと考えた時、単なる勉強に終わってはなかなかモチベーションが上がりません。そこで、多くの人が関心を持っている大学入試、特に基礎を問うセンター試験の問題を解いてみては、と考えたわけです。20年、30年前の自分に戻って試験問題を解いてみようとしても、当然解けない問題ばかりです。

── 大学で地学科だった私も、卒業から40年たつと「やり直し」でした……。

鎌田 解けなくてもいいんです。解こうとして解けず、解答の解説を読んで「ああ、そうか」と感じてもらえるのが、学習としては一番いいだろうと考えました。さらに、問題の背景を丁寧に解説することで、より理解を深めてもらえるんじゃないかと思っています。そもそも、これだけ地震や火山が多く、気象災害も多発する国で、地学は本当に今、日本人に必要な学問なんですが……。

大学入試の「弊害」

── 確かに、地学に触れる機会は少ないですね。

鎌田 現在の大学入試制度の弊害だと考えていますが、高校でも地学を受講するのは5%程度しかおらず、ほとんどの人の知識が中卒レベルにとどまっています。僕らの学生時代は物理、化学、生物、地学は必修で、それなりに勉強したんですが、今では理系の学生でも物理と化学、医学部を受験する子が例外的に生物を受講するぐらい。高校の地学の先生も定年退職したら補充されず、高校からどんどんいなくなってしまいました。

── それでも、本の反響から見ても、地学に関心がある人は少なくありません。

鎌田 2011年3月の東日本大震災もありましたし、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ」や「はやぶさ2」が活躍したことも大きな関心を集めましたしね。地学でもう一つ重要なのは、多様性を知ること。地面の岩石もいろいろと違うし、地形にも多様性があります。世界は実は多様性にあふれており、この多様性に対して人間がどう上手に生きていくかを考えることがこの学問の目的です。

── 日本ではやはり、地震や火山活動への備えが重視されます。

鎌田 日本列島は世界の陸地面積の400分の1しかありませんが、1年間に世界で発生する地震の1割は日本で起きています。地震のない欧州や米国の東海岸に比べると、非常に暮らしにくいんですよ。それでも、日本人は長い年月を生き延びてきました。そのため、変化に対する免疫、つまり変化を受け入れて、しなやかに生き延びる知恵があると考えています。

 東日本大震災によって、日本列島が「大地変動の時代」に入ったと訴える鎌田さん。大震災を契機に地震や火山活動が活発化しており、首都直下型地震や富士山の噴火、そして南海トラフ巨大地震への備えも呼びかける。現在の地震学では地震や噴火が起きる日付まで予知することは不可能だが、合理的に予測できる範囲で時期を示しながら、防災や減災の啓発に力を入れる。

「想定外」の大震災

── 日本列島が「大地変動の時代」に入ったとは?

鎌田 想定外だったのは、東日本大震災がマグニチュード(M)9という、1000年に1度の巨大地震だったこと。過去に同じ震源域で起きた巨大地震は、869年の貞観(じょうがん)地震までさかのぼります。平安時代のこの地震はM8・4と推定されており、Mは1増えるとエネルギーは32倍も大きくなるので、東日本大震災はまさにケタ違い。地震学者は我々が生きている時代に、日本列島の近くでこれほどの地震が起きるとは思ってもいませんでした。

── 日本列島はこれからどうなるのでしょう。

鎌田 東日本大震災によって日本列島は太平洋側に5・3メートルも引き延ばされ、地盤が不安定化しました。その結果、内陸型の直下型地震が増え、今後30年ほどは地震がやむことはありません。また、日本には111の活火山がありますが、東日本大震災後に直下で地震を起こし始めた火山が富士山を含めて20ほどあります。1000年ぶりの変動の時代が始まったので我々は生活を変えたり防災の準備をしたりしなければなりません。

── 今年あたりに首都直下型地震が起きるとも警告しています。

鎌田 東日本大震災との類似性が指摘される貞観地震の9年後の878年には、関東地方南部でM7・4の相模・武蔵地震も起きています。東日本大震災の9年後といえばまさに今年。日付まで予知することは科学から外れるためにできませんが、いつ直下型地震が起きてもおかしくないわけです。東京五輪・パラリンピックが開かれる時に首都直下型地震が起きれば、大変なことになってしまいます。

── 西日本の太平洋側にある巨大な溝の南海トラフでは、巨大地震の可能性が指摘されています。

鎌田 南海トラフ地震は2035年プラスマイナス5年の間に起きると考えています。南海トラフに沿って東海、東南海、南海の三つの震源域があり、歴史を振り返れば約100年おきに巨大地震が起きています。前回は1944年に昭和東南海地震(M7・9)、46年に昭和南海地震(M8・0)が2年の時間差で発生しました。南海トラフ地震は絶対に“パス”がなく、虎の子の知識なのでぜひ有効に活用してもらいたいのです。

 カラフルなジャケットやブルゾンを身にまとい、分かりやすくて刺激的な講義が京都大学の学生の支持を集める鎌田さん。「科学の伝道師」を自任し、メディアや講演会にも引っ張りだこだ。だが、学生時代は地学を専門にするつもりも、研究者になるつもりもなかったという。79年に東京大学理学部地学科を卒業後、就職した先は通商産業省(現・経済産業省)だった。

阿蘇で火山に目覚め

写真2 阿蘇で野外調査する鎌田さん(右)=2002年3月 鎌田浩毅氏提供
写真2 阿蘇で野外調査する鎌田さん(右)=2002年3月 鎌田浩毅氏提供

── どんな学生時代だったのですか。

鎌田 大学に入ってから全然勉強せず、3年生からの進学振り分けでは点数が足りなくて、とりあえず関心もなかった地学科へ行ったんです。ただ、リポートもまったく書けず、自分には科学は無理だと思い、さっさと就職しようと考えました。第2次オイルショックの後で、民間の就職氷河期でもあり、仕方がないから公務員になろうと。背広を着てネクタイを締めて官庁訪問をしていました。

── 結局、通産省の地質調査所(現在は産業技術総合研究所地質調査総合センター)に入ります。

鎌田 行政官になろうと思ったんですが、地質調査所に空きがあるからと決められてしまいました。科学の世界から足を洗うつもりが、研究所に戻ったんです。全然モチベーションのない研究者だったので、上司から「ぶらぶらしていないで、阿蘇山(熊本県)で地熱のプロジェクトをやっているから見てきなさい」と。地質調査所に入った翌年の1月かな。そこで、火山に目覚めたんです。

── 何に感銘を?

鎌田 火砕流が覆った阿蘇の大地がすごかった。見渡す限り平ら。そして、一緒に行った地質調査所の先輩研究者である小野晃司さんが、火砕流や阿蘇のカルデラについて説明してくれ、これが論理的でただただ面白かったんです。阿蘇にある溶結凝灰岩が、噴火して流れた軽石がつぶれてできたということを、実際に手に取ってルーペで見て教えてくれました。本物を見て観察して推論し、モデルを立てて実証する。火山って面白いな、と。小野さんは多くの火山学者を育てた、僕の師匠です。

── 阿蘇山は鎌田さんの重要な研究対象になります。

鎌田 僕が博士論文を書いたテーマにもなりましたが、東日本大震災の後、非常に興味深い現象が起きています。地震は普通、大きい地震が起きた後、徐々に震度が下がっていきますが、熊本では16年4月、最初にM6・5の地震が起き、翌日にM6・4、2日後にM7・3と大きくなっていきました。大分でも地震が相次ぎ、10月には阿蘇山も36年ぶりの爆発的噴火を記録しています。

── そのメカニズムは?

鎌田 僕の研究からすると、大分と熊本にある線状の「大分─熊本構造線」が活動を始めたと考えています。「構造線」とは断層の大規模なものですね。今までは静かだったけれど、一度活動を始めるとおそらく100年とか続くような活動です。博士論文では「豊肥火山地域」と命名しましたが、自分が生きている時に豊肥火山地域が動くとは思いもしませんでした。やっぱり地面は生きているんだと実感しましたね。

── 97年に京都大学へ移ると、講義が人気となりました。

鎌田 研究は面白いんですが、若い人とワイワイガヤガヤとやりたいなと思ったんです。京大に来てみると、東大の管理教育とは違う自由がありました。自由にすれば賢い学生は自分で勉強するし、きちんと応答する。学生が聞きたいことに応える双方向の授業にすると、授業が単調になりません。

── ファッションも注目されましたね。

鎌田 普段は白衣にジーンズなんですが、ある時にパーティーに出る服を着て授業をしたら、学生の関心が全然違ったんです。服装って大事だなと感じ、それを逆手にとってマグマの色から赤い革ジャンを着たり、和服やスカジャンも着たりするようになりました。学生に授業に出てもらうつかみであって、教育上の戦略です(笑)。これをきっかけに地球科学を勉強してもらおうと。

足りない火山学者 「研究者のうち5%ぐらいは学問を社会に還元しないと。僕はその中でも最右翼」

 鎌田さんが京大に移って大きく変わったのは、社会との関わり方だ。学生向けの講義や行政がまとめるハザードマップの策定などに関わるうち、地学の研究が防災や減災を通して人々の役に立つと実感。「急に自分の地学との関わり方が変わってきた」という。ファッションで注目を集めるのも、一般向けに著作をたくさん書くのも、メディアや講演会に出ずっぱりなのも、地学で「人を救わなければならない」という思いからだ。

── 地学では広く名前が知られるようになりました。

鎌田 地質調査所時代は500人ぐらいの専門家向けに英語で論文を書いていました。最先端の学問を押し上げる意義はありますが、南海トラフ地震で6000万人に被災の可能性がある時に、500人を相手に論文を書いていていいのかという思いがあります。研究者のうち5%ぐらいは学問を社会に還元する人でないと、学問自体が理解されません。僕はその5%の中でも最右翼でしょう。

── 日本の火山の監視体制にも、危機意識を強く訴えています。

鎌田 日本には東日本大震災後、活動が活発化した20ほどの火山を含め、常時観測火山が50ほどあります。そこに火山学者が1人ずつ張り付いて24時間体制で観測しなければなりません。しかし、日本にはプロの火山学者は40人ぐらいしかおらず、そもそも足りていないんです。火山学者を1人育てるには10年以上かかる。国にはとにかく危機感を持ってもらわなければいけません。

── 今年65歳となり、来年3月には定年退官が控えます。

鎌田 首都直下型地震、スタンバイ状態の火山の噴火、南海トラフ地震は、自分の定年とは関係なく防災・減災を呼びかけていきたいですね。そもそも地球は想定外の歴史。けれど、これからは想定外を想定内にした新しい学問が必要だとも思っています。生命が38億年も生き延びたのは、頭で考えるのではなく、体が示すことに従った結果ではないか。これは哲学で「身体論」と呼ばれるテーマでもあり、地学の研究と接合できないかと考えています。


 ●プロフィール●

かまた・ひろき

 1955年東京都生まれ。74年筑波大学付属駒場高校卒業。79年東京大学理学部地学科卒業、通商産業省(現・経済産業省)入省。通産省地質調査所主任研究官、米国内務省カスケード火山観測所上級研究員を経て、97年から京都大学大学院人間・環境学研究科教授。理学博士(東京大学)。2021年3月に京都大学大学院教授を定年退官予定。主な著書に『富士山噴火と南海トラフ』(講談社ブルーバックス)など。20年1月に『理学博士の本棚』(角川新書)を刊行。

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