週刊エコノミスト Online 不動産コンサル長嶋修の一棟両断
江東5区が水没する地震水害/30
2019年は災害リスクを強く意識した年だった。台風15号や19号、集中豪雨による水害は全国で猛威を振るい、都市部でも水害対策の脆弱(ぜいじゃく)さが露呈した。
日本の治水の歴史のうち、河川の付け替えなど大規模なものは徳川家康が江戸に移って以降。とりわけ1594年からおよそ60年にわたって行われた「利根川東遷」とよばれる改修工事が、湿地帯だった当時の江戸を切り開いた。これによりかんがいなどの治水事業と、船による物資輸送が整備された。
一方荒川は「荒川西遷」によって1629年から治水を開始したものの、江戸に洪水をもたらし続ける。日本堤や隅田堤は、江戸市街地を洪水から守るために築堤されたといわれるが、明治時代になっても東京で洪水が頻発。明治元年からの43年間で、床上浸水などの被害をもたらした洪水は10回以上発生。とりわけ1910年の洪水は、東京を中心に浸水約27万戸、被災者約150万人という甚大な被害を記録した。
そこで1911年から実に19年をかけて完成したのが「荒川放水路」。これが現在では荒川と呼ばれているわけだが、その工事はパナマ運河の開通に携わった技師・青山士(あきら)を中心に当時の最新技術を導入した大規模なものであった。
液状化地盤の上に堤防
こうした長い年月をかけた先人の努力で、昨年のような大型台風でも一定程度は耐えられたが、それでも死角はある。それは「地震に伴う水害」だ。地震で土地が大きく揺れた場合に、堤防はどうなるか。
図は東京の液状化を予測したもの。江戸川・新中川・中川・荒川・隅田川など河川堤防の多くは液状化地盤の上に建設されている。液状化が生じる地域では地震時の揺れも大きい。この堤防そのものは土で作られている一方、水門やポンプ所の排水溝はコンクリート製だ。地震時は双方の揺れ方が異なるため、隙間(すきま)が発生して破壊が生じやすく、大地震時には複数箇所で決壊する可能性がある。
81年には茨城県小貝川で、堤防を貫通するパイプが壊れ漏水して決壊。47年のカスリーン台風でもやはりパイプが壊れて決壊した。堤防が決壊して浸水が起きた場合、決壊箇所はその傷口を広げながら浸水は際限なく続く。
95年1月の阪神・淡路大震災では、河川設備の被害は355件にのぼり、地盤の液状化によって淀川河口付近の堤防が約2キロにわたって崩壊。津波が発生していれば大阪市中心部が浸水する恐れもあった。東日本大震災においても多数地点で河川堤防が破壊された。
「今後30年で70%」の発生確率がある(中央防災会議)とされるマグニチュード7クラスの首都直下型地震が起きた場合、特に「ゼロメートル地帯」とよばれる江東5区(墨田区・江東区・足立区・葛飾区・江戸川区)における被害は甚大なものになるだろう。
■人物略歴
ながしま・おさむ
1967年生まれ。広告代理店、不動産会社を経て、99年個人向け不動産コンサルティング会社「さくら事務所」設立