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中国を崩壊させる習近平の毛沢東化=安田峰俊

中国最大のリスクとなった習近平国家主席(Bloomberg)
中国最大のリスクとなった習近平国家主席(Bloomberg)

 最近の中国は、何かがおかしい。日本国内での報道に接し、そう感じる人も少なくないのではないか。

 最たる「おかしい」事件の一つは、昨年9月に北京で発生した、北海道大学法学部教授・岩谷將(のぶ)氏の拘束だろう。

 報道によれば、岩谷氏が北京市内のホテル内に滞在中の9月8日、中国のインテリジェンス機関である国家安全部の関係者が捜索に踏み込み、「国家機密に関わる資料」を押収。反スパイ法違反などの容疑で岩谷氏を拘束したとされる。

 岩谷氏の訪中は、中国の政府系学術機構・中国社会科学院の招きによる。学術交流を理由に招聘(しょうへい)された外国人の拘束は異例だった。

 また、拘束の直接の根拠は、岩谷氏が古書店で購入した中華民国時代の書籍とされる。西側先進国では、考えられない理由だろう。

 ゆえに、日本国内のさまざまな学会や研究組織が相次いで抗議声明を発表。さらに安倍晋三首相が直々に、10月に訪日した王岐山副主席や11月にタイの東アジア・サミットで同席した李克強首相ら中国政府の首脳に対して懸念を直接表明した。結果、岩谷氏は11月15日に解放、無事帰国している。

日本人の拘束は14人

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 もっともこの事件は、学究の徒が理不尽な迫害を受けた──という話のみでは解釈できない。岩谷氏は精緻な中国近現代史研究で知られる歴史学者だが、北大赴任以前は防衛省防衛研究所戦史研究センターに長く籍を置き、外務省系のポストも兼任していた。中国側の視点から見れば日本の「体制内」の人物であり、普通の研究者とは考えられていない。

 加えて、アジア各国における大戦当時の日本の加害行為(慰安婦問題や南京大虐殺問題など)を強調する過度な言説に対して、安倍政権はこれに積極的に対抗する「歴史戦」への関心が強い。外務省などの各省庁の対外業務にも、その方針が反映されてきた。消息筋によれば、岩谷氏は「歴史戦」において日本の国益に沿う資料を探していた可能性があるとされる。

 ちなみに習近平政権の成立後、少なくとも14人の日本人が中国国内で拘束され、うち9人が起訴された(表)。容疑が不明確なものも多いが、一部が日本の公安調査庁の協力者だったこともほぼ判明している。近年、公安調査庁は外事問題に関心を強め、国外での情報収集は民間人に委託するケースが多い。

 他の日本政府協力者と比較すると、岩谷氏のケースでは政府が救出に熱心で、事実として彼は比較的早期に解放された。理由は岩谷氏の社会的地位が高く、日本の「体制内」の人物だったためだろう。

 ただ、それでも今回の拘束は異常さが際立つ。本来、一定のバックグラウンドを持つ外国人による小規模な情報収集は、よほど中国に都合が悪いもの以外はなかば黙認されると思われるからだ。拘束が国際問題となるリスクとてんびんにかけて、合理的に判断されるはずなのである。今春には習近平国家主席の国賓訪日も控えており、中国外交部も日本との無用なトラブルは避けたい。

 岩谷氏の拘束は、中国社会科学院や外交部といった平和的な性質の中国政府機関と、彼を拘束した国家安全部との足並みの乱れを感じさせる。国家安全部の暴走を招き得る現在の中国国内の体制が、今回の拘束事件の本当の原因だ。

 習近平主席は2013年の政権成立以来、強力な権力集中を進めてきた。いまや党・国家・軍の権力は習近平に集中し、李克強以下の他の党常務委員(最高幹部)らは習の部下に等しい。これは過去30年間の常識に照らせば未曽有の出来事だ。

始まりは共産党の危機感

 1980年代以降、中国は文化大革命時代の毛沢東独裁への批判から、鄧小平が集団指導体制を構築。1人のトップへの権力集中や個人崇拝が戒められ、天安門事件を経た90年代半ば以降は、社会に対しても「党に逆らわない」限りは自由の範囲が拡大された。

 だが、指導力が脆弱(ぜいじゃく)な胡錦濤体制(03~13年)のもとで、集団指導体制の負の面が噴出する。軍を握る徐才厚・郭伯雄、公安部門を握る周永康や盟友の薄熙来らが独立王国化し、クーデターを起こしかねないほど増長。官僚の間では極度の腐敗が横行した。

 また、国家のガバナンス(統治)が弱いことで、メディアやネット世論の言論の自由は大幅に拡大し、党批判がなかば公然と語られるようにすらなった。少数民族の権利要求運動も活発化し、チベットや新疆ウイグル自治区では大規模な騒乱が発生。その実態は広く海外メディアによって報じられた。

 習近平は、このままでは体制が維持できないという、中国共産党内部の強い危機感のもとで登場した指導者だ。ゆえに言論統制の強化や権力集中は、当初は改革派を除いた党内の各勢力からむしろ広く求められていたものだった。

 習近平の統治は、意外にも都市部の貧困層や農民からの受けがいい。習の農村政策が評価されたこともあるが、それ以上の理由は、習が就任後に激烈な腐敗摘発を行い、多くの官僚を失脚させたことだ。これは権力闘争が主たる目的と見られるが、庶民層から見れば、自分たちをいじめている「悪代官」を、徳を持った強い「皇帝」がこらしめた構図にほかならない。

 習近平が言論を徹底的に統制して「強い中国」のイメージを国民に刷り込んだことは、一定の成果も出ている。日本財団が19年秋に世界9カ国で実施した「18歳意識調査」では、自国の将来を「良くなる」と回答した中国の若者が96・2%にのぼった(アメリカは30・2%、日本は9・6%)。中国は少子高齢化や産業構造の変化にともなう経済の足踏み鈍化がささやかれるが、若者は国家をまったく疑わなくなったのだ。党への反乱が絶対に起きそうにない社会を作ったことは、習の功績ともいえる。

ウイグル・香港の矛盾

 ただし、党内の引き締めや反体制世論の封じ込めには成功しても、「皇帝」の統治は別の問題を生む。それは往年の毛沢東時代さながらに、体制内の官僚らが唯一の権力者である習近平の機嫌を取ることに血道を上げるようになった点だ。

 上層部が聞いて気分を悪くする報告は上げない、現地の事情を無視して中央に喜ばれる政策を取るなどが、代表的な例だ。これは官僚社会に常に見られる傾向だが、習体制後の中国で極度に強まった。

 たとえば昨年11月、反政府デモが続く香港の区議選で、民主派が議席の9割近くを奪取する大勝をおさめた際、『人民日報』をはじめとした中国メディアはしばらく結果を報道せず沈黙した。

『ニューズウィーク』によれば、彼らは親中派が圧勝する予定稿しか準備しておらず、民主派勝利の記事を出せなかったからだとされる。「デモ隊はごく一部の暴徒で、大多数の香港人は中国支配を歓迎している」という中国政府のプロパガンダを、メディアの人間まで信じていたのだ。

 この失策は、香港の情勢リポートを執筆する中国側の研究者が「忖度(そんたく)」をして耳に心地よい情報だけを伝えてきたことや、中国側の香港統治担当者が親中派以外の香港人とほぼ接触していなかったことが理由と見られている。習政権は香港デモの発生から約5カ月後にいたるまで、デモの背景や世論の動向をほとんど正確に把握していなかったと見ていい。

 新疆ウイグル自治区での人権弾圧問題の深刻化も、習体制の影響が大きい。14年春、習近平が新疆に初訪問をおこなった際にウルムチ南駅で大規模な爆破テロが発生し、激怒した習はテロリズムの徹底した取り締まりを指示。世界的に悪名高いウイグル人の収容所が立ち上げられたのはこの指示以降とされている。

 やがて16年から新疆のトップに就任した陳全国は、次期の党常務委員の座を狙ってか北京(習近平)一辺倒の少数民族政策を取り、収容所を大幅に拡充する。陳の就任後はウイグル族の学者やメディア関係者・資本家などが軒並み行方不明になった(収容所に入れられたと見られている)ほか、ウイグル族の出国の事実上の禁止や、ほとんど理由を明示しない形での強制収容が常態化したと伝わる。

 国連や人権保護団体は100万~200万人が施設に拘束されていると指摘する。信じがたい人数だが、19年12月にはこれを根拠に米国下院でウイグル人権法案が成立した。陳全国による大量拘束の背後には、「テロ」を防止して北京の覚えをめでたくするには、ウイグル族を根こそぎで収容所に入れればいいという乱暴な論理が見え隠れする。

 20年1月20日にヒト・ヒト感染による大流行が明らかになった武漢で発生した新型肺炎も、前年末から20日間以上にわたりささやかれていた問題が、習がゴーサインを出すことでやっと大規模な報道が解禁され、全中国規模での流行防止策が取られるようになった。

 習の意向に沿う政策を忖度(そんたく)し、「下」の人間が過剰な形で実行したり問題を隠蔽(いんぺい)したりするのが、現在の中国の体制の最大の問題点だ。北大の岩谷教授の拘束をもたらした国家安全部の暴走も、おそらく同様の要因があってのことだろう。

病死、事故、暗殺のリスク

 往年、毛沢東の独裁体制の末期には体制が硬直化し、ナンバー2の林彪によるクーデター未遂事件が起きた。毛の死の直後には、葉剣英らが文革派の「四人組」に対するクーデターに成功。やがて鄧小平のもとで、従来の文革路線や個人独裁が事実上否定され、政策の大きな揺り戻しが起きた。

 現在の習近平体制は「盤石」に見えるが、習が今後になんらかの形で執務能力を失う──つまり、加齢や病気による判断力の低下や、不測の事故や暗殺に見舞われるなどした場合、中国の情勢は一気に迷走しかねない。かつての集団指導体制は、指導者の認知能力の低下が国政を混乱させることを防ぐため作られた面もあったが、それを破壊したのは習自身なのである。

(安田峰俊・ルポライター)

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